3月改正で紀勢本線で活躍していた
キハ40系
が引退しました。2015年3月改正で高山本線と太多線で活躍していたキハ40系が引退し、残りは紀勢本線及び参宮線のみとなっていましたが、キハ25系の増備によりついに引退を迎え、ここでJR東海のキハ40系は全廃となってしまいました。紀勢本線で活躍していたキハ40系を見てみましょう。
最晩年で紀勢本線で活躍していたキハ40系はほとんどがキハ48形で、キハ40形は1両のみだったようです。写真は上からキハ48-3809、キハ48-5802、キハ48-6804です。3800番台、5800番台、6800番台がメインのようです。種車は500番台と1500番台なので、寒冷地向けという事になりますね・・・。いずれもワンマン化及びエンジンの換装が行われています。2両編成を組むことが基本のようですね・・・。
最晩年のキハ40系は2両編成での列車がほとんどでしたが、1日1往復だけ
4両編成
で運用されていました。朝の亀山発伊勢市行きと夕方の伊勢市発亀山行きの1往復のみで、平日と土休日と共に設定がありました。2両編成の短編成が基本ながら4両編成は迫力ありますね・・・。
JR東海のキハ40系は全車がエンジン換装を行い、番号体系が複雑化していましたが、車内は比較的オリジナルを保っている事が特徴でした。冷房化やシートカバー以外は国鉄時代そのままでしょうか・・・。そして、ワンマン表示灯は前面だけでなく、側面にも設置されている事も特徴でしたね・・・。
最晩年のキハ40系は紀勢本線の亀山から参宮線の鳥羽までの区間で運用されていました。伊勢区のキハ40系にとって起点となるのが
亀山
でした。ここから新宮方面、伊勢市方面に向けてキハ40系の列車が出ていたわけで、まさしく紀勢本線のスタート地点とも言えるでしょうね・・・。上の写真はキハ120系と並んだシーンです。
こちらは
津
です。比較的大きな駅で、ここで数分間停車したりしていました。下の写真はワイドビュー南紀に抜かされているシーンです。
こちらは
松阪
です。名松線との分岐駅です。名松線にはキハ40系の運用はありませんが、キハ11系との並びもよく見られたシーンです。そうそう、この改正でキハ11系鋼製車も引退してしまいましたね・・・。
松阪から2駅目の多気で紀勢本線と参宮線が分岐し、多気発着の列車も多数設定されています。そのため、多気の側線ではキハ40系が休む姿も見られたものです。
こちらは
伊勢市
です。参宮線の途中駅ですが、駅に隣接して伊勢車両区が置かれており、紀勢本線のキハ40系はそこに配置されていました。なので、キハ40系数両が休んでいるシーンを見かける事が出来ました。伊勢市発着列車もそこそこ設定されていた事もポイントですね・・・。尚、伊勢車両区は3月末で名古屋車両区に統合される予定だそうです(そのため、キハ25系は伊勢区ではなく名古屋区所属)。
こちらは参宮線の終点である
鳥羽
です。少し前までは乗り入れが無くなっていたのですが、2015年12月からの運用変更で乗り入れが復活しています。従って、12月から3月までの4ヶ月間の限定で乗り入れが復活した形になります。しかし、本数はそんなに多くなく、1日5往復のみでした。しかも、朝出ると、昼過ぎまで来ないという時間帯がありました。
鳥羽は近鉄線と隣接しているだけに近鉄車両との並びも・・・。撮影時はたまたましまかぜとの並びが見られました。
新宮で出発を待つキハ40系です。伊勢区のキハ40系はトイレが付いている関係で多気~新宮間の運用がメインで、参宮線は出入庫の関係で多気~伊勢市間で運行されるのみでしたが、キハ25系の投入により、2015年11月末で多気~新宮間から撤退し、鳥羽までの運用が復活した形になります。なので、新宮にキハ40系が来なくなってしまった形でしょうか・・・。
キハ40系が引退したことにより、気動車から国鉄型が全廃となり、JR東海の在籍車両のほとんどがJR化以後に投入された車両で占められるようになりましたね・・・。
以上です。
キハ40系
が引退しました。2015年3月改正で高山本線と太多線で活躍していたキハ40系が引退し、残りは紀勢本線及び参宮線のみとなっていましたが、キハ25系の増備によりついに引退を迎え、ここでJR東海のキハ40系は全廃となってしまいました。紀勢本線で活躍していたキハ40系を見てみましょう。
最晩年で紀勢本線で活躍していたキハ40系はほとんどがキハ48形で、キハ40形は1両のみだったようです。写真は上からキハ48-3809、キハ48-5802、キハ48-6804です。3800番台、5800番台、6800番台がメインのようです。種車は500番台と1500番台なので、寒冷地向けという事になりますね・・・。いずれもワンマン化及びエンジンの換装が行われています。2両編成を組むことが基本のようですね・・・。
最晩年のキハ40系は2両編成での列車がほとんどでしたが、1日1往復だけ
4両編成
で運用されていました。朝の亀山発伊勢市行きと夕方の伊勢市発亀山行きの1往復のみで、平日と土休日と共に設定がありました。2両編成の短編成が基本ながら4両編成は迫力ありますね・・・。
JR東海のキハ40系は全車がエンジン換装を行い、番号体系が複雑化していましたが、車内は比較的オリジナルを保っている事が特徴でした。冷房化やシートカバー以外は国鉄時代そのままでしょうか・・・。そして、ワンマン表示灯は前面だけでなく、側面にも設置されている事も特徴でしたね・・・。
最晩年のキハ40系は紀勢本線の亀山から参宮線の鳥羽までの区間で運用されていました。伊勢区のキハ40系にとって起点となるのが
亀山
でした。ここから新宮方面、伊勢市方面に向けてキハ40系の列車が出ていたわけで、まさしく紀勢本線のスタート地点とも言えるでしょうね・・・。上の写真はキハ120系と並んだシーンです。
こちらは
津
です。比較的大きな駅で、ここで数分間停車したりしていました。下の写真はワイドビュー南紀に抜かされているシーンです。
こちらは
松阪
です。名松線との分岐駅です。名松線にはキハ40系の運用はありませんが、キハ11系との並びもよく見られたシーンです。そうそう、この改正でキハ11系鋼製車も引退してしまいましたね・・・。
松阪から2駅目の多気で紀勢本線と参宮線が分岐し、多気発着の列車も多数設定されています。そのため、多気の側線ではキハ40系が休む姿も見られたものです。
こちらは
伊勢市
です。参宮線の途中駅ですが、駅に隣接して伊勢車両区が置かれており、紀勢本線のキハ40系はそこに配置されていました。なので、キハ40系数両が休んでいるシーンを見かける事が出来ました。伊勢市発着列車もそこそこ設定されていた事もポイントですね・・・。尚、伊勢車両区は3月末で名古屋車両区に統合される予定だそうです(そのため、キハ25系は伊勢区ではなく名古屋区所属)。
こちらは参宮線の終点である
鳥羽
です。少し前までは乗り入れが無くなっていたのですが、2015年12月からの運用変更で乗り入れが復活しています。従って、12月から3月までの4ヶ月間の限定で乗り入れが復活した形になります。しかし、本数はそんなに多くなく、1日5往復のみでした。しかも、朝出ると、昼過ぎまで来ないという時間帯がありました。
鳥羽は近鉄線と隣接しているだけに近鉄車両との並びも・・・。撮影時はたまたましまかぜとの並びが見られました。
新宮で出発を待つキハ40系です。伊勢区のキハ40系はトイレが付いている関係で多気~新宮間の運用がメインで、参宮線は出入庫の関係で多気~伊勢市間で運行されるのみでしたが、キハ25系の投入により、2015年11月末で多気~新宮間から撤退し、鳥羽までの運用が復活した形になります。なので、新宮にキハ40系が来なくなってしまった形でしょうか・・・。
キハ40系が引退したことにより、気動車から国鉄型が全廃となり、JR東海の在籍車両のほとんどがJR化以後に投入された車両で占められるようになりましたね・・・。
以上です。