京都市交通局の
75系統
は梅津JRが担当していますが、2004年11月から2007年3月まで横大路京阪が担当していました。元々75系統は山越操車で梅津が受け持っていたのですが、民営委託拡大に伴って三哲操車へ変更した上で横大路京阪に移管されました。その後、回送区間が長いなど問題がいろいろ出ていたようで、2007年3月に九条京阪へ移管されました。横大路京阪担当時代は2年半と短かったのですが、その間は特定の車両が専属的に担当するなど車両の偏りが大きかったのがポイントでした。そんな横大路京阪担当時代の75号系統を見てみましょう。
75号系統が横大路京阪担当になった時は
機械式AT車
が主力でした。そもそも75号系統が梅津から横大路京阪へ移管された時に直営にいた機械式AT車が全て横大路京阪へ転属し、基本的に75号系統で活躍していました。写真は1991年式の日野ブルーリボンで、75号系統の移管に合わせて西賀茂から転入してきたものです。しかし、機械式AT車は取り扱いづらかったのか、永くは活躍せず2005年に廃車されてしまいました。
因みに機械式AT車は75号系統だけでなく、84号系統などでも走っていました。
こちらは1991年式のキュービックです。こちらは75号系統の移管に合わせて梅津から転入してきたものですが、機械式AT車ではなく、普通のMT車です。こちらも主に75号系統で活躍し、2006年に廃車されました。
機械式AT車などが廃車になると、横大路京阪のいろんな車両が充当されるようになったようですが、その中に2004年式のエアロミディも充当されています。つまり、徐々に中型車化が進んでいる形とも言えましょうか・・・。
2006年4月に
元MK
のエアロミディが投入されると、主力はこれに移りました。つまり、ほぼ全便を元MKのエアロミディが担当するようになった形です。その状態は九条京阪への移管まで続く事になります。
因みに75号系統の移管後、元MK車は78号系統と南5号系統へ移っています。
75号系統の九条京阪移管後もCNG車やKC代のノンステなど他の系統で使いづらそうな車両の活躍場として機能していたこともありましたが、2014年の梅津JRへの移管により、他の系統と変わらぬ車両構成になって来ました。でも、私としては横大路京阪時代の方がやや特殊な感じでした。
以上です。
75系統
は梅津JRが担当していますが、2004年11月から2007年3月まで横大路京阪が担当していました。元々75系統は山越操車で梅津が受け持っていたのですが、民営委託拡大に伴って三哲操車へ変更した上で横大路京阪に移管されました。その後、回送区間が長いなど問題がいろいろ出ていたようで、2007年3月に九条京阪へ移管されました。横大路京阪担当時代は2年半と短かったのですが、その間は特定の車両が専属的に担当するなど車両の偏りが大きかったのがポイントでした。そんな横大路京阪担当時代の75号系統を見てみましょう。
75号系統が横大路京阪担当になった時は
機械式AT車
が主力でした。そもそも75号系統が梅津から横大路京阪へ移管された時に直営にいた機械式AT車が全て横大路京阪へ転属し、基本的に75号系統で活躍していました。写真は1991年式の日野ブルーリボンで、75号系統の移管に合わせて西賀茂から転入してきたものです。しかし、機械式AT車は取り扱いづらかったのか、永くは活躍せず2005年に廃車されてしまいました。
因みに機械式AT車は75号系統だけでなく、84号系統などでも走っていました。
こちらは1991年式のキュービックです。こちらは75号系統の移管に合わせて梅津から転入してきたものですが、機械式AT車ではなく、普通のMT車です。こちらも主に75号系統で活躍し、2006年に廃車されました。
機械式AT車などが廃車になると、横大路京阪のいろんな車両が充当されるようになったようですが、その中に2004年式のエアロミディも充当されています。つまり、徐々に中型車化が進んでいる形とも言えましょうか・・・。
2006年4月に
元MK
のエアロミディが投入されると、主力はこれに移りました。つまり、ほぼ全便を元MKのエアロミディが担当するようになった形です。その状態は九条京阪への移管まで続く事になります。
因みに75号系統の移管後、元MK車は78号系統と南5号系統へ移っています。
75号系統の九条京阪移管後もCNG車やKC代のノンステなど他の系統で使いづらそうな車両の活躍場として機能していたこともありましたが、2014年の梅津JRへの移管により、他の系統と変わらぬ車両構成になって来ました。でも、私としては横大路京阪時代の方がやや特殊な感じでした。
以上です。