士別軌道にはモノコックボディの
日野K-RC301P
が残存しており、現在復刻塗色に変更したうえで運用に就いています。そんな日野K-RC301Pを見てきましたので、レポートします。
日野K-RC301Pは1982年式で、社番も82009となっています。この車両は士別軌道が自己発注で投入したものではなく、和寒町が使用していたものです。和寒町時代は自家用車として使われたのだと思われますが、士別軌道入りにあたって、ワンマン機器などを装備して一般路線で活躍しています。
側面行先表示器は無く、サボで対応しています。でも、士別軌道は自家用車上りが多いため、側面行先表示はサボを使用しているケースが多いです。そして、扉横には出入口表示があり、幕式となっています。でも、この車両は前乗り前降りで使用しているため、前扉のみ「出入口」で表示されています。因みに前扉に整理券箱が置かれています。
前面窓上に行先表示器が無いという典型的な自家用車スタイルです。でも、前面窓下に行先表示器が付いています。そして、日野のエンブレムが輝いていますね・・・。
更にリアには日野RCのエンブレムも付いています。モノコック時代の日野にはリアなどにエンブレムが付いている事が当たり前だったようですね・・・。でも、色あせています。
車内です。2人掛けシートが主体ですが、前中扉間の公式側のみ1人掛けソートが並んでいます。ただ、シート形状が違うので、おそらく和寒町時代は2人掛けシートが並んでいたのが士別軌道入りしてから一部を1人掛けシートに交換されたものだと思われます。あと、網棚や窓枠にある押しボタンなどが独特の雰囲気を醸し出しています。
復刻塗色になる前のK-RC301Pです。現行塗色を纏っていました。
当日は30線西3号→士別駅の便に入るということで、乗ってきました。士別駅~30銭西3号は中多寄線(士別駅~風連)の区間便に当たるもので、学休日運休です。K-RC301Pはその運用に入ることが多いと聞いていたので、朝一の風連行きに乗車して30線西3号まで先回りして待ちかまえました。そしたら、K-RC301Pがやって来ました。
30線西3号
バス停の近くにある広場で発車待ちしているシーンです。風連発着便は道路上で乗降扱いしますが、30線西3号発着便はここで乗車扱いするようです。
30線西3号の待合室です。そのバス停にはバス停ポールが無く、待合室に時刻表が貼りつけられていました。因みにこの辺りはバス停ポールがあっても色あせてて読みにくいところが多いうえにバスの車内には次停留所表示が無いため、運転手に30線西3号で降りる旨を伝えて、そこに止めてもらいました・・・。
K-RC301Pは30線西3号発7時50分の士別行きとなり、士別駅へ向かうわけですが、その途中で中多寄線のルートから外れて士別翔雲高校などを経由して士別駅に到着しました。因みに郊外線で朝一の士別行きは士別翔雲高校を経由するみたいですが、時刻表には何も記載されていませんでした。
士別駅に到着後、入庫かと思いやバス乗り場へUターンし、数人の生徒を乗せて走り去って行きました。どうやら士別駅発の士別翔雲高校行きのスクールバスになったようです・・・。その後、入庫しました。
しばらく士別軌道を撮影していないうちに
新顔
がやってきていました。ただ、新顔は全て元自家用車で、上から94006(旭川200か 866)、91026(旭川200か 877)、94031(旭川200か 914)です。U代とKC代ですね・・・。
新顔が登場した一方、廃車となった車両もいます。写真は1989年式のP-HT235BAの89021ですが、後継車の投入に伴って廃車になったようです。元自家用車ですが、小型の前面行先表示器が特徴でした。
車庫内での撮影は事務室の許可をいただいております。
以上です。
日野K-RC301P
が残存しており、現在復刻塗色に変更したうえで運用に就いています。そんな日野K-RC301Pを見てきましたので、レポートします。
日野K-RC301Pは1982年式で、社番も82009となっています。この車両は士別軌道が自己発注で投入したものではなく、和寒町が使用していたものです。和寒町時代は自家用車として使われたのだと思われますが、士別軌道入りにあたって、ワンマン機器などを装備して一般路線で活躍しています。
側面行先表示器は無く、サボで対応しています。でも、士別軌道は自家用車上りが多いため、側面行先表示はサボを使用しているケースが多いです。そして、扉横には出入口表示があり、幕式となっています。でも、この車両は前乗り前降りで使用しているため、前扉のみ「出入口」で表示されています。因みに前扉に整理券箱が置かれています。
前面窓上に行先表示器が無いという典型的な自家用車スタイルです。でも、前面窓下に行先表示器が付いています。そして、日野のエンブレムが輝いていますね・・・。
更にリアには日野RCのエンブレムも付いています。モノコック時代の日野にはリアなどにエンブレムが付いている事が当たり前だったようですね・・・。でも、色あせています。
車内です。2人掛けシートが主体ですが、前中扉間の公式側のみ1人掛けソートが並んでいます。ただ、シート形状が違うので、おそらく和寒町時代は2人掛けシートが並んでいたのが士別軌道入りしてから一部を1人掛けシートに交換されたものだと思われます。あと、網棚や窓枠にある押しボタンなどが独特の雰囲気を醸し出しています。
復刻塗色になる前のK-RC301Pです。現行塗色を纏っていました。
当日は30線西3号→士別駅の便に入るということで、乗ってきました。士別駅~30銭西3号は中多寄線(士別駅~風連)の区間便に当たるもので、学休日運休です。K-RC301Pはその運用に入ることが多いと聞いていたので、朝一の風連行きに乗車して30線西3号まで先回りして待ちかまえました。そしたら、K-RC301Pがやって来ました。
30線西3号
バス停の近くにある広場で発車待ちしているシーンです。風連発着便は道路上で乗降扱いしますが、30線西3号発着便はここで乗車扱いするようです。
30線西3号の待合室です。そのバス停にはバス停ポールが無く、待合室に時刻表が貼りつけられていました。因みにこの辺りはバス停ポールがあっても色あせてて読みにくいところが多いうえにバスの車内には次停留所表示が無いため、運転手に30線西3号で降りる旨を伝えて、そこに止めてもらいました・・・。
K-RC301Pは30線西3号発7時50分の士別行きとなり、士別駅へ向かうわけですが、その途中で中多寄線のルートから外れて士別翔雲高校などを経由して士別駅に到着しました。因みに郊外線で朝一の士別行きは士別翔雲高校を経由するみたいですが、時刻表には何も記載されていませんでした。
士別駅に到着後、入庫かと思いやバス乗り場へUターンし、数人の生徒を乗せて走り去って行きました。どうやら士別駅発の士別翔雲高校行きのスクールバスになったようです・・・。その後、入庫しました。
しばらく士別軌道を撮影していないうちに
新顔
がやってきていました。ただ、新顔は全て元自家用車で、上から94006(旭川200か 866)、91026(旭川200か 877)、94031(旭川200か 914)です。U代とKC代ですね・・・。
新顔が登場した一方、廃車となった車両もいます。写真は1989年式のP-HT235BAの89021ですが、後継車の投入に伴って廃車になったようです。元自家用車ですが、小型の前面行先表示器が特徴でした。
車庫内での撮影は事務室の許可をいただいております。
以上です。