先日、久しぶりに関東鉄道の
鹿行地区
を巡ってきました。鹿行地区は最近になっていくつかの動きがあり、その様子を見てきましたのでレポートします。
成田線で佐原駅に到着し、駅前に出ると、駅前にあった関鉄観光バス佐原営業センターの施設が解体され、
更地
になっていました。佐原営業センターが佐原駅前再開発に伴って今春に水郷大橋の近くへ移転していたのです。バス停のすぐ後ろに建物と窓口があり、そこに路線図や運賃表などが掲げられていました。そして、下の写真の場所に車庫があって、貸切車などが留置されていましたが、今は単なる回転場になっていました。
そして、ほどなくして佐原駅発12時25分の潮来車庫行きがやってきました。車両は
1608SW
でした。1610SWの置き換えのためにやってきたものです。佐原への転属にあたって前面行先表示が小型のものに交換されており、特徴的な顔立ちになっています。
というわけで、1608SWに乗り込みます。当日はあやめ祭りの最中であったため、水生植物園へ向かう乗客でそこそこ賑わっていました。佐原駅を出て商店街の中をぐるっと回り、水郷大橋を渡って茨城県に入ります。水郷大橋を渡る直前に新しい関鉄観光バス佐原営業センターが見え、そこに7017SWが休んでいるのが見えました。大半の乗客は水生植物園入口で下車し、ここから貸切状態になってしまいました。扇島を過ぎると、常陸利根川を渡り、すぐに潮来の中心部に入ります。そんな中で潮来バス停を通ったのですが、旧潮来バス停周辺の建物が解体され、更地になっていました。旧潮来バス停はかって潮来の交通の拠点で、立派なバス停ポールがあったのですが、今は高速バスを除くと1日1往復しかバスが来なくなってしまいました。もはや免許維持ですね・・・。
国道51号線に沿う旧道を通って終点の
潮来車庫
に到着しました。バスはすぐに行先表示を回送に変えて国道51号線を東の方へ向かって行きました。
そして、周辺を見渡すと、潮来営業所が解体されて更地になろうとしていたのです。そうそう、ここはかって関東鉄道の潮来営業所があったのですが、今年に入って潮来市洲崎の北浦の側へ移転していたのです。この営業所は元々関東鉄道潮来営業所で、潮来地区の拠点として機能していましたが、一時期関鉄観光バスへ移管され、鹿島営業所の移転によって再び関東鉄道の営業所になったというような変遷をたどっていました。車庫が無くなってもバス停は「潮来車庫」のままとなっていますが、こういうのは田舎でよくありますね・・・。
潮来車庫は2004年の初訪問から何度も訪れていただけに寂しさを覚えたものです・・・。佐原駅行きは14時頃に出発するのですが、私はすぐに東の方へ向かって歩き出しました。
潮来車庫から国道51号線を歩いて約50分で
新潮来営業所
に到着しました。新潮来営業所は延方駅から歩いて15分ぐらいの北浦沿いにあり、目の前に2つの神宮橋があります。旧潮来営業所は敷地が狭く、一般路線車、高速車、特定車全て収まりきらず、第2車庫を確保したほどですが、新営業所は広大な敷地が確保されており、全ての車両が休んでいました。
営業所の建物です。検修庫も含めて全て新築です。関東鉄道の営業所施設といえば古くからある建物ばかりなので、そういったイメージがあったのですが、新築するとはびっくりしました・・・。でも、高速バスが旺盛なので、何とかなるのでしょうか・・・。すぐに建物内の事務室へ向かい、撮影許可を得て敷地内で撮影います。その時、移転を祝う花が置かれているのを見かけました。
営業所で休んでいるバスたちです。一般路線車と高速車で留置場所を分けていました。これは鹿島時代でも同様だったので、流儀がそのまま残っていたんですね・・・。上の写真は1735IT、1742IT(KS)、1835ITですが、いずれも鹿島にいた車両で、2度の移転を味わったことになりますよね・・・(1835ITは一旦竜ヶ崎へ行っていますが・・・)。
そして、高速車に囲まれて1608SWが休んでいました。潮来車庫での折り返し待機は営業所で行っているということになりますね・・・。なら、潮来車庫から潮来営業所まで延長すれば・・・と思うのですが、既に免許を手放していますし・・・。そうそう、かっては営業所の前をバスが通っていたけど、廃止されてしまいましたね・・・。
営業所訪問を終えて、神宮橋を渡って鹿島方面へ歩いていきます。その時、神宮橋では橋を赤に塗りかえる工事が行われていました。
潮来車庫から営業所経由で1時間以上かけてようやく
鹿島神宮駅
に到着しました。ここから14時25分発の海岸線銚子駅行きに乗り込みます。車両は1835ITでした。1835ITはKS時代以来久々の乗車ですが、運転席後部の次停留所表示器が撤去されていました。KS時代はあったのに・・・。
鹿島神宮駅を出てバス車内から更地になった旧鹿島バスターミナルを見たのですが、相変わらず更地のままでした。周辺の商店街が空洞化していたので、しばらくは更地のままでしょうか・・・。約1時間半揺れられて銚子駅に到着しました。海岸線に乗るのは数年ぶりですね・・・。
久しぶりに銚子駅に来ると、バス停ポールが変わっていました。昔はやや大型のものだったのが、一般的なタイプになっていました・・・。工事の関係でしょうか・・・。
こちらは元京成バスグループの
9339HS
です。レインボーワンステは関鉄パープルバスや関鉄グリーンバスへ数台が行っていますが、本体はこの9339HSが唯一です。
そして、こちらは
1817HS
です。かっては守谷市コミュニティバス用として水海道に新製配置されましたが、コミュニティバスから追い出されて一般車化されて波崎にやってきたものです。鹿行地区の三菱ふそうは三菱ふそうメインだった鉾田を除けば珍しく、1517IT以来でしょうか・・・。1517ITはDPFを搭載していなかった関係で潮来地区のみと運用が限られていたけどね・・・。1817HSはKK代なので、1816ITとともに千葉県に乗り入れてきています。
運転手氏の好意で車内を撮らせて頂きました。車内については運賃表示器などを除いて水海道時代そのままとなっています。ただ、元コミュニティバス用であったことから中扉周辺において整理券箱設置スペースを確保していなかったようで、出入口の一部を犠牲にして取り付けたような感じでした。1816ITと1817HSは鹿行地区初のノンステなので、ちょっともったいないな・・・という感じでした。
鹿行地区を見てきたのですが、営業所の移転と低床化が進んだことは驚きでした・・・。撮影許可をいただいた関係者方々、この場にてお礼を申し上げます。
以上です。
鹿行地区
を巡ってきました。鹿行地区は最近になっていくつかの動きがあり、その様子を見てきましたのでレポートします。
成田線で佐原駅に到着し、駅前に出ると、駅前にあった関鉄観光バス佐原営業センターの施設が解体され、
更地
になっていました。佐原営業センターが佐原駅前再開発に伴って今春に水郷大橋の近くへ移転していたのです。バス停のすぐ後ろに建物と窓口があり、そこに路線図や運賃表などが掲げられていました。そして、下の写真の場所に車庫があって、貸切車などが留置されていましたが、今は単なる回転場になっていました。
そして、ほどなくして佐原駅発12時25分の潮来車庫行きがやってきました。車両は
1608SW
でした。1610SWの置き換えのためにやってきたものです。佐原への転属にあたって前面行先表示が小型のものに交換されており、特徴的な顔立ちになっています。
というわけで、1608SWに乗り込みます。当日はあやめ祭りの最中であったため、水生植物園へ向かう乗客でそこそこ賑わっていました。佐原駅を出て商店街の中をぐるっと回り、水郷大橋を渡って茨城県に入ります。水郷大橋を渡る直前に新しい関鉄観光バス佐原営業センターが見え、そこに7017SWが休んでいるのが見えました。大半の乗客は水生植物園入口で下車し、ここから貸切状態になってしまいました。扇島を過ぎると、常陸利根川を渡り、すぐに潮来の中心部に入ります。そんな中で潮来バス停を通ったのですが、旧潮来バス停周辺の建物が解体され、更地になっていました。旧潮来バス停はかって潮来の交通の拠点で、立派なバス停ポールがあったのですが、今は高速バスを除くと1日1往復しかバスが来なくなってしまいました。もはや免許維持ですね・・・。
国道51号線に沿う旧道を通って終点の
潮来車庫
に到着しました。バスはすぐに行先表示を回送に変えて国道51号線を東の方へ向かって行きました。
そして、周辺を見渡すと、潮来営業所が解体されて更地になろうとしていたのです。そうそう、ここはかって関東鉄道の潮来営業所があったのですが、今年に入って潮来市洲崎の北浦の側へ移転していたのです。この営業所は元々関東鉄道潮来営業所で、潮来地区の拠点として機能していましたが、一時期関鉄観光バスへ移管され、鹿島営業所の移転によって再び関東鉄道の営業所になったというような変遷をたどっていました。車庫が無くなってもバス停は「潮来車庫」のままとなっていますが、こういうのは田舎でよくありますね・・・。
潮来車庫は2004年の初訪問から何度も訪れていただけに寂しさを覚えたものです・・・。佐原駅行きは14時頃に出発するのですが、私はすぐに東の方へ向かって歩き出しました。
潮来車庫から国道51号線を歩いて約50分で
新潮来営業所
に到着しました。新潮来営業所は延方駅から歩いて15分ぐらいの北浦沿いにあり、目の前に2つの神宮橋があります。旧潮来営業所は敷地が狭く、一般路線車、高速車、特定車全て収まりきらず、第2車庫を確保したほどですが、新営業所は広大な敷地が確保されており、全ての車両が休んでいました。
営業所の建物です。検修庫も含めて全て新築です。関東鉄道の営業所施設といえば古くからある建物ばかりなので、そういったイメージがあったのですが、新築するとはびっくりしました・・・。でも、高速バスが旺盛なので、何とかなるのでしょうか・・・。すぐに建物内の事務室へ向かい、撮影許可を得て敷地内で撮影います。その時、移転を祝う花が置かれているのを見かけました。
営業所で休んでいるバスたちです。一般路線車と高速車で留置場所を分けていました。これは鹿島時代でも同様だったので、流儀がそのまま残っていたんですね・・・。上の写真は1735IT、1742IT(KS)、1835ITですが、いずれも鹿島にいた車両で、2度の移転を味わったことになりますよね・・・(1835ITは一旦竜ヶ崎へ行っていますが・・・)。
そして、高速車に囲まれて1608SWが休んでいました。潮来車庫での折り返し待機は営業所で行っているということになりますね・・・。なら、潮来車庫から潮来営業所まで延長すれば・・・と思うのですが、既に免許を手放していますし・・・。そうそう、かっては営業所の前をバスが通っていたけど、廃止されてしまいましたね・・・。
営業所訪問を終えて、神宮橋を渡って鹿島方面へ歩いていきます。その時、神宮橋では橋を赤に塗りかえる工事が行われていました。
潮来車庫から営業所経由で1時間以上かけてようやく
鹿島神宮駅
に到着しました。ここから14時25分発の海岸線銚子駅行きに乗り込みます。車両は1835ITでした。1835ITはKS時代以来久々の乗車ですが、運転席後部の次停留所表示器が撤去されていました。KS時代はあったのに・・・。
鹿島神宮駅を出てバス車内から更地になった旧鹿島バスターミナルを見たのですが、相変わらず更地のままでした。周辺の商店街が空洞化していたので、しばらくは更地のままでしょうか・・・。約1時間半揺れられて銚子駅に到着しました。海岸線に乗るのは数年ぶりですね・・・。
久しぶりに銚子駅に来ると、バス停ポールが変わっていました。昔はやや大型のものだったのが、一般的なタイプになっていました・・・。工事の関係でしょうか・・・。
こちらは元京成バスグループの
9339HS
です。レインボーワンステは関鉄パープルバスや関鉄グリーンバスへ数台が行っていますが、本体はこの9339HSが唯一です。
そして、こちらは
1817HS
です。かっては守谷市コミュニティバス用として水海道に新製配置されましたが、コミュニティバスから追い出されて一般車化されて波崎にやってきたものです。鹿行地区の三菱ふそうは三菱ふそうメインだった鉾田を除けば珍しく、1517IT以来でしょうか・・・。1517ITはDPFを搭載していなかった関係で潮来地区のみと運用が限られていたけどね・・・。1817HSはKK代なので、1816ITとともに千葉県に乗り入れてきています。
運転手氏の好意で車内を撮らせて頂きました。車内については運賃表示器などを除いて水海道時代そのままとなっています。ただ、元コミュニティバス用であったことから中扉周辺において整理券箱設置スペースを確保していなかったようで、出入口の一部を犠牲にして取り付けたような感じでした。1816ITと1817HSは鹿行地区初のノンステなので、ちょっともったいないな・・・という感じでした。
鹿行地区を見てきたのですが、営業所の移転と低床化が進んだことは驚きでした・・・。撮影許可をいただいた関係者方々、この場にてお礼を申し上げます。
以上です。