私の掘り出し物からです。
今回は2000年10月に運行された
885系甲種輸送
の写真です。これは登場間もないの885系がJR東日本の大宮工場で展示され、展示を終えての帰路の甲種輸送です。当日は平日でしたが、21時前後に草津駅でしばし停車するという事で、撮りに行ってきました。当時は高校生で、部活を終えて家に帰った後、夕食を食べてすぐに撮りに行ったのを記憶しています。
尚、展示されたのはトップナンバーのSM1編成でした。
機関車は新鶴見所属の
EF65 1001
でした。EF65形PF型のトップナンバーで、常に注目を浴びていた車両です。甲種輸送を1001号機が担当していた事から、注目度が高かったような気がします。現在は廃車となり、訓練機となっているそうです。
機関車の次位はクロハ884−1でした。クロハ884形は長崎方先頭車なので、甲種輸送時点で正位ですね・・・。先頭部はパンタグラフ汚れを防止するためにカバーがかけられていました。これは甲種輸送でよく見かけるスタイルですね・・・。
最後尾のクモハ885−1です。連結器のカバーが外された状態で、尾板が取り付けらています。そして、連結器も自動連結器になっています。連結器カバーが外された状態では滅多に見られないシーンですね・・・。
パンタグラフはもちろん下げられていました。885系は交流電車なので、ここでは走行不可能ですね・・・。
885系と201系のツーショットです。当時は東海道山陽緩行線に201系が走っていて、夜間の草津発緩行線列車も設定されていましたね。全て過去帳入りしてしまいましたが・・・。
JR九州の特急形車両が大宮工場で展示されるのは787系に次いで2回目なのですが、現時点で2000年の885系を最後にJR九州の車両の展示は行われなくなっています。しかし、JR九州の車両が甲種輸送で関西地区を通過するとあって、撮影者も多数いたのを覚えています。ただ、当時は今と比べると少なく、集まった撮影者は現在のマイナーな甲種輸送とほぼ変わらない数だったような気がします(もし、今なら多数の撮影者が集まり、ホームに駅員が立つ事態になっているはずです)。
当時は885系に乗車&撮影した事がなく、新鮮な目で眺めたのを覚えています。
以上です。
今回は2000年10月に運行された
885系甲種輸送
の写真です。これは登場間もないの885系がJR東日本の大宮工場で展示され、展示を終えての帰路の甲種輸送です。当日は平日でしたが、21時前後に草津駅でしばし停車するという事で、撮りに行ってきました。当時は高校生で、部活を終えて家に帰った後、夕食を食べてすぐに撮りに行ったのを記憶しています。
尚、展示されたのはトップナンバーのSM1編成でした。
機関車は新鶴見所属の
EF65 1001
でした。EF65形PF型のトップナンバーで、常に注目を浴びていた車両です。甲種輸送を1001号機が担当していた事から、注目度が高かったような気がします。現在は廃車となり、訓練機となっているそうです。
機関車の次位はクロハ884−1でした。クロハ884形は長崎方先頭車なので、甲種輸送時点で正位ですね・・・。先頭部はパンタグラフ汚れを防止するためにカバーがかけられていました。これは甲種輸送でよく見かけるスタイルですね・・・。
最後尾のクモハ885−1です。連結器のカバーが外された状態で、尾板が取り付けらています。そして、連結器も自動連結器になっています。連結器カバーが外された状態では滅多に見られないシーンですね・・・。
パンタグラフはもちろん下げられていました。885系は交流電車なので、ここでは走行不可能ですね・・・。
885系と201系のツーショットです。当時は東海道山陽緩行線に201系が走っていて、夜間の草津発緩行線列車も設定されていましたね。全て過去帳入りしてしまいましたが・・・。
JR九州の特急形車両が大宮工場で展示されるのは787系に次いで2回目なのですが、現時点で2000年の885系を最後にJR九州の車両の展示は行われなくなっています。しかし、JR九州の車両が甲種輸送で関西地区を通過するとあって、撮影者も多数いたのを覚えています。ただ、当時は今と比べると少なく、集まった撮影者は現在のマイナーな甲種輸送とほぼ変わらない数だったような気がします(もし、今なら多数の撮影者が集まり、ホームに駅員が立つ事態になっているはずです)。
当時は885系に乗車&撮影した事がなく、新鮮な目で眺めたのを覚えています。
以上です。