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Channel: 斬剣次郎の鉄道・バス斬り
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和歌山バスの中古車たち 他

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 和歌山バスでは2011年に元大阪市交通局のブルーリボンを
 中古車
 として投入していましたが、それ以降も順次増備が続き、更に新顔も登場しています。



こちらは第2弾として2012年に投入されたグループで、元大阪市交通局の2000年式のブルーリボンです。行先表示器がLED化されたことがポイントです。座席がそのままなので、形状からして2000年式であることが分かります。
 因みに幕式として登場した第1弾は最近になって行先表示器がLED化されているのを確認しています。



 こちらは第3弾として2013年に投入されたグループです。前回と同じ元大阪市交通局のブルーリボンですが、登場当初から全面ラッピング車となっている事がポイントです。前面行先表示器まわりが白く塗装されているということは当初からラッピングされることが前提になっているのでしょうか・・・。



 そして、2014年に入った
 元阪神バス
 のエルガミオが投入されました。2000年式ですが全国的にも希少な前後扉のツーステです。和歌山バスオリジナルのエルガミオは全てワンステなので、前後扉車は今回が初めてとなります。
 因みにこのエルガミオは和歌山シャトルに充当されていました。和歌山シャトルは大型車が入っていたのですが、最近は中型車が入っており、一部はHRも入っていました。こんなに変わったんだね・・・。



 和歌山バスでは最近、在来車に対して行先表示器の
 LED化
 が進んでいます。はちまき付きのU代の車両まで及んでいて、幕車はOCEAN塗装車ぐらいしか見かけませんでした・・・。




 そこで、エルガミオの和歌山200か  67を見てみましょう。この車両は2001年式?のエルガミオワンステですが、登場当初はハートフル塗装でした(上の写真)。これは低床車に対して採用された塗色ですが、低床車が一般化されると新車も一般塗色に戻り、ハートフル塗装車についても車体更新に合わせて一般色に変更されました(中の写真)。そして、最近になって行先表示器がLED化されました(下の写真)。3枚の写真はこれらの変遷です・・・。



 和歌山バスの子会社の和歌山バス那賀では2012年に
 元高槻市交通部
 のいすゞ+西工が投入されました。狭隘路線用に投入された中型短尺車です。しかも、塗色が高槻市交通部時代そのままで、南海グループの社紋が付いたぐらいです。何か見間違えそうな感じですね・・・。撮影当時は橋本線に入っていましたが、橋本線は6月1日改正で大幅に減便されたようです・・・。

 以上です。

キハ48系配給

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 先日に下関総合車両所広島支所に所属していた
 キハ48系
 が金沢へ転属することになり、その配給が運行されました。その配給列車を撮影しましたので、UPします。


 宮原からは敦賀の
 EF81 108
 が牽引していました。敦賀のローズピンク色のEF81形は日本海の廃止により定期運用が無くなり、一部が廃車されたものの、臨時などで元気で活躍する姿が見られます。


 機関車次位の
 キハ48 4
 です。キハ48系は首都圏色となっていますが、昨年に国鉄色のラッピングがなされた状態で運行され、その後にラッピングがはがされたまま使われていなかったせいか、所々色あせやはがした跡などが見られました。


 最後尾の
 キハ48 1004
 です。行先表示は回送となっていました。幕は英字無しのものですが、予備用を付けたのでしょうか・・・。


 広島色で活躍していた時のキハ48−1004です。山陰本線の列車にキハ47系と混じって活躍していました。

 JR西日本のキハ48系は4と1004の2両しか残っていないみたいなので、金沢でも末長い活躍を祈るばかりです。
 以上です。

羽後交通みたまま2014 その6(象潟編)

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 羽後本荘からさらに羽越本線で南下して、特急停車駅である
 象潟
 駅に到着します。その象潟駅の近くに羽後交通の象潟案内所が置かれており、駅前からバスが出ています。


 象潟駅発着路線でメインとなるのが
 本荘・象潟線
 です。文字通り本荘から象潟を結ぶ路線で、1時間に1〜2本が設定されています。鉄道線と完全に平行しており、更に本荘の中心部から出ていることもあり、鉄道線を補完しているような感じです。象潟は車両の配置がなくなった?みたいなので、本荘が担当しています。


 こちらは
 小砂川線
 です。象潟から羽越本線に沿うように南下して三崎公園前にいたる路線です。三崎公園前は秋田県と山形県の県境のすぐ近くにあるので、この路線は秋田県の南まで行くような感じですね・・・。7往復が運行されていますが、うち4往復は土休日運休です。小砂川線は本荘・象潟線と一体で運用されているようで、写真の車両は本荘から本荘・象潟線で象潟駅前へ行き、ここから小砂川線に入っていました。


 こちらは
 仁賀保高校線
 です。象潟駅前から仁賀保高校を経由して金浦駅前に至る路線です。本荘・象潟線とほぼ平行しているように見えますが、仁賀保高校を経由するのと金浦駅前に入る点で違いがあるようです。実質的に仁賀保高校のスクールバスとして機能しているようで、朝に金浦駅前→仁賀保高校前の区間便1本と夕方に2本が設定されているのみで、すべて土休日及び仁賀保高校休校日運休です。本荘・象潟線と一体で運用されているようです。
 因みに仁賀保高校線はかって大竹線の送り込みを兼ねていましたが、大竹線が廃止されたため、実質的にスクールバスとなっているようです・・・。



 象潟駅前行きのバスです。本荘・象潟線は仁賀保経由の表示が付いており、経由地表示なしが仁賀保高校線です。


 象潟案内所です。かっては営業所でしたが、2010年に案内所に格下げされました。その時、仁賀保線、大竹線、長岡線、鳥海線が廃止されており、路線の大幅縮小に伴う事だと思われます。従って、車両は運用に就いているものだけ来ていました。中央に案内所があり、その周りに車両留置スペースがある感じでした。



 象潟駅前バス停です。象潟発着路線は全てここから出ています。駅舎前に乗り場、駅舎の向かい側におりばが設けられています。象潟案内所は駅から北へ線路沿いを歩いてすぐにあります。なので、象潟駅前に到着したバスは降車扱いを終えると回送で案内所へ向かい、ここで休憩に入ります。


 象潟駅前にやってきたにかほ市コミュニティバスです。このコミュニティバスは羽後交通ではなく、象潟合同が担当しています。因みに象潟合同の営業所は羽後交通のすぐ近くにあります。

 尚、象潟は今回が初訪問なので、7年前の写真はありません。

 以上です。
 6回にわたって羽後交通の見たままをレポートしてきましたが、昔と比べて路線の縮小が進み、更にかっての主力だった富士5Eが大幅に減っていました。それだけに時代は変わっていたのです・・・。

313系3000番台を見る

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 1999年に313系の第一陣として登場した
 3000番台
 は転換クロスシートが標準である313系の中で唯一ボックスシートを装備するなど車内設備において他の313系と異なっています。


 3000番台は閑散路線でのワンマン運転を考慮しているために2両編成となっており、Mc車にはパンタグラフを2基搭載しています。元々は後位の1基のみでしたが、のちほど霜取り用として増設されています。


 3000番台はセミクロスシートで、扉間にボックスシートを左右2組ずつ配置した113・115系などの国鉄型車両と同じ配置になっています。313系の座席モケットは青色が標準ですが、3000番台のみは緑色がかかったものになっており、他の313系とは異なった雰囲気となっています。



 ボックスシート部分
 です。国鉄型車両と同じ配置ですが、枕が独立するなど座席形状が変わっているほか、見た感覚では厚みが増したような感じになっています。ボックスシート1組につき大型窓1個が付いているので、眺めは抜群です。JR東日本のE231・E233系よりのんびりできそうな感じです・・・(E231・E233系は座席が固いし・・・)。
 最近は転換クロスシートが増えており、ボックスシートはやや減少していますが、形状に工夫を加えるなど少しずつ進化しているような感じでした。しかし、JR東海では3000番台を最後にワンマン対応車両も転換クロスシートへ移行しました。


 扉周辺は国鉄型車両と同じく横向きシートが配置されています。国鉄型車両と同じですが、座席がバケットシートになっています。ただ、313系では戸袋窓が廃止されているため、この座席から景色を眺めるには不向きになってしまいました・・・。これはE231・E233系でも同様に言えますが・・・。


 車端部
 は1000番台グループと同様にロングシートが配置されています。閑散路線において短編成で運行されると時々混むときがあるので、そこを考慮したものだと思われます。でも、JR東日本やJR西日本では閑散路線に転換クロスシートの車両を導入するケースが増えていますが、いずれも車端部をロングシートにすることで混雑に対応したりしているようですね・・・。このロングシートは優先席に指定されています。



 こちらはTc車の車端部で、そこには便所が設けられ、その向かい側には2対1のボックスシートが設けられています。これは313系の初期車に見られる仕様です。便所と目を合わせないようにボックスシートにしていますが、扉側には車いすに対応するために1人掛けとしていることがポイントです。そこには車いす固定用ロープしして可動肘掛けが付いて今qす。一見して特急用車両の座席と似ているような感じですね・・・。
 尚、2006年度から投入された3次車から便所が大型化され、向かい側が車いすスペース(座席無し)になりました。




 こちらは
 ワンマン機器
 です。運転席後部に運賃箱と運賃表示器、後扉に整理券箱が置かれていることはワンマン対応車両の標準的なスタイルになっています。しかし、JR東海では他の事業者と異なり、扉を助手側へスライドさせることで運賃箱の位置が固定し、使用しないときは板で隠すことが出来るようになっています。そして、整理券箱そのものは大きなボックスの中に収められ、整理券取り出し口のみ出ているような感じになっています(中には消火器と一体も・・・)。おそらく、むやみに機器を触れないようにしているのでしょう・・・。これは3次車以降も同様となっています。運賃表示器については当初LED式でしたが、最近になって液晶表示に交換されています。


 こちらは
 半自動ドアボタン
 です。313系のワンマン対応車両や寒冷地対応車両にはドアスイッチが設けられています。この形状は初期車に見られるもので、開閉ボタンの上に操作可能ランプが付いています。でも2010年度から投入された4次車からはボタンそのものにLEDランプが付く仕様に変更されています。

 3000番台の細かいところを眺めると、他の313系と異なる点がたくさん見られました。しかし、3000番台は閑散路線における仕様の変化の過渡期の中にいるような感じでした。でも、こういう仕様は乗客の入れ替わりが比較的多い飯田線にはピッタリだと思います。
 以上です。

東名ハイウェイバス45周年×東京駅100周年車両展示会

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 今月、東京駅赤レンガ駅舎前において、東名ハイウェイバス45周年×東京駅100周年を記念して
 車両展示会
 が行われ、少し見てきましたので、レポートします。東名ハイウェイバス45周年ということで、JRバス関東の車両が展示されていました。




 こちらは国鉄高速バスの
 青いつばめ
 の復刻塗色車です。2012年式のセレガのH657−12402です。青系の塗装だけでなく、車輪マークや国鉄マークも再現されています。1964年に国鉄バスが初めて高速バスを運行開始した時に施された塗色そのもので、この塗装がそのまま採用されたため、国鉄高速バスといえば「青いつばめ」というイメージが付いたそうですね・・・。


 車内です。エアロエースの時は楽座シートが採用されていましたが、セレガになってから普通の座席に戻ったようですね・・・。しかし、座席のデザインがJRバスのイメージと合わないような気がするのは気のせいかな・・・。




 こちらは
 訓練車
 です。訓練車といえば各事業者で一般路線バスを改造もしくは準じた仕様で新製投入したりしていますが、高速バス仕様はJRバス関東が初めてとなります。車両自体はセレガで、訓練用として車体各所にカメラやセンサ等が付いています。カラーはJRバス関東の標準塗色に緑系カラーとした感じです。




 車内は貸切用の一般的な座席配列で、後部にはミーティングスペースが設けられ、この部分の座席が横向きになっている他、ホワイトボードが置かれています。横向き座席自体は貸切車に多数の例があるので、貸切仕様をベースにしたのでしょうね・・・。そして、運転席後部にはモニタリングが置かれており、典型的な訓練車の仕様となっています。それだけでなく、荷棚が無いんですよね・・・。

 以上です。

特徴的な上信電鉄オリジナル車

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 上信電鉄では近年西武からの中古電車を投入しているものの、
 オリジナル車
 が多数在籍しています。これらのオリジナル車は全国的にもあまり例を見ない独特な仕様が見られます。そんなオリジナル車を見てみましょう。


 こちらは1976年に投入された
 1000系
 です。前世代の200形から車体形状が変わり、前面が非貫通となったことがポイントです。そして、これまでの車両は1M方式を採用していましたが、1000系は上信電鉄で初めて2M方式を採用しています。したがって、クモハ1001+クモハ1201の2両編成を組んでいます。1000系は3両編成で登場しましたが、乗客減などにより2両編成に短縮され、現在に至っています。



 車内です。上信電鉄標準のロングシートです。そして、運転台を見ると、
 右側運転台
 となっていることがポイントです。日本では左側走行なので、運転台も左側にある事が標準です。しかし、上信電鉄の車両は代々右側に運転台を置いていたのです。これはタブレット交換を容易に行うためです。タブレット交換を容易にするための工夫は運転台だけでなく、交換駅も2面3線の上州富岡を除いて島式ホームになっていることもポイントです。
 でも、今はタブレットが廃止されたため、西武中古は左側のままで使用されています。


 そして、ドア開閉ボタンが中扉横に設置されていました。これは車掌による無人駅での運賃収集を効率よく行うために中扉からでも開閉操作が容易に行えるようにしたのでしょうか・・・。


 こちらは1981年に登場した
 6000系
 です。新製当初から冷房装置を搭載し、セミクロスシートとして登場しています(後にロングシート化)。1000系と同じ2Mですが、パンタグラフの位置が1000系と異なっています。1000系は全て下仁田方に搭載しているに対し、6000系は先頭部に搭載しています。
 6000系は日野自動車のラッピングがなされているため、前面に日野マークが付いています。


 こちらは1000系の前世代にあたる
 200形
 です。写真は制御車のクハ300形となります。200形は1964年に登場した上信電鉄初のカルダン駆動車です。現在は最古参車となっており、運用に出る機会は減っているようです。



 そして、こちらは2012年に登場した新型車両の
 7000形
 です。6000系以来となる新型車両で、上信電鉄初のVVVFインバータ制御、シングルアーム式パンタグラフなどの最新技術が採用されています。地方ローカル私鉄は譲受車が当たり前なだけに新造車を投入したとは驚きです(行政の支援があったとはいえ・・・)。




 7000形は6000系以来となるセミクロスシートとなっており、旅情を誘いたくなるような雰囲気となっています。横向きシートの袖切りなど最新仕様が反映されています。運転台はタブレットが廃止され、右側へのこだわりが消えたようで、元西武と同じ一般的な左側になっています。

 特徴的な仕様が多い上信電鉄のオリジナル車でした。
 以上です。

基幹バスの主力となったLKG/QKG−MP

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 名鉄バスにおいて、一時期エコハイブリッドが集中的に投入されていた
 基幹バス
 ですが、最近になってLKG−MP及びQKG−MPのノンステが多数転入してきて、エコハイブリッドのほとんどを置き換えて、主力となっています。


 こちらは2012年式のLKG−MP37FMの1121です。この車両は名古屋に新製配置されたものですが、最初は一般路線で活躍していましたが、エコハイブリッドの置き換えのために基幹バスに転用されています。


 こちらは2013年式のQKG−MP37FMの1272です。上の1211と同じ経歴で、一般路線から基幹バスへ転用されています。



 こちらは2013年式のQKG−MP37FMの1355です。この車両は岡崎に新製配置されましたが、エコハイブリッドの置き換えのために名古屋中央へ転属し、基幹バス用になりました。転入車は岡崎だけでなく、知立など色んな営業所からLKG/QKG−MPのノンステが集められています。下の写真は岡崎時代のものですが、転属により、岡崎のQKG−MPが激減し、代わってエコハイブリッドが増えたようですね・・・。QKG−MPの大量転出直前に岡崎へ行って以来、ご無沙汰なので確認してみないと・・・。


 こちらは2014年式のQKG−MP37FMの1376です。この車両は新製当初から基幹バス用となっています。最初は転入や転用だったものが、落ち着いてから新製投入も始まったようですね・・・。
 これにより、基幹バスの大半がLKG/QKG−MPになった感じですね・・・。先日に撮影した時はまさにこういう状況でした。



 一方、ワンステも少数ながら活躍している姿が見られました。エコハイブリッドが投入される前はこういうタイプが主力だったのですが、エコハイブリッドの投入で数を減らし、更に今回のノンステの投入により、更に数を減らした感じですね・・・。


 基幹バスに充当されているエコハイブリッドです。当時はエコハイブリッドの全盛時代で、基幹バスにおいてエコハイブリッドが続々と来ていたのが印象的でした。しかし、今は相次ぐ転出でほとんど見られなくなってしまいました・・・。登場間もないころに名鉄バスセンター〜引山間を乗り通したのを思い出したものです。



 昔から転入の多かった津島ですが、最近になって05NSのPJ−MPノンステやエコハイブリッドが転入するようになってきました。少し前はKL代が多かったのですが、いつの間にかPJ代やBJG代も来るようになったなんて驚きです・・・。PJ−MP37JMの1766は元春日井ですが、春日井にはもちろんQKG−MP37FMが投入されています。


 最後に知立に入った2014年式のQKG−MP37FMの1387です。知立では最近ブルーリボン?ノンステの投入が続いており、エアロスターノンステの投入は2011年以来3年ぶりとなります。なので、知立初のQKG−MPとなりますね・・・。

 以上です。

ダイヤ改正後の大学輸送

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 京都市交通局では3月にダイヤ改正が行われ、幕が一新されました。そこで、幕変更後の
 大学輸送
 を見てきましたので、レポートします。




 こちらは
 快速202号系統立命館大学行き
 です。経由地表示が白梅町から北野白梅町になっていますね・・・。







 こちらは
 快速205号系統立命館大学行き
 です。経由地表示が白梅町から北野白梅町になっていました。九条を主体に梅津、梅津JR、九条京阪が加わっているのを確認しています。つまり、変わっていないということでしょうか・・・。



 こちらは
 快速202号系統九条車庫行き
 です。朝に2本が設定されており、大学輸送を終えて車庫に戻るところを営業運転化した感じでしょうか・・・。改正前は西大路通 九条車庫という感じでしたが、新幕は西大路四条・西大路駅と付くようになりましたね・・・。






 こちらは
 快速205号系統九条車庫行き
 です。朝の大学輸送を終えて車庫に戻る際に営業運転を行う形で3本が設定されています。新幕では途中で1回切り替わる形になりました。各停便は終点までに2回切り替わるに対し、快速便は1回のみで、京都駅に着くときは「京都駅・九条車庫」と表示されていました。各停便は京都駅と九条車庫で別々に表示されているのですが、快速のように1つまとめたほうが無駄が無いと思うんですがね・・・。











 こちらは
 快速205号系統京都駅行き
 です。昼過ぎから夕方にかけて設定されている京都駅止まりの便です。新幕では途中で1回切り替わる形になっています。夕方の便はときどき見るのですが、改正前にあった九条京阪担当便が無くなり、九条、梅津、西賀茂担当になっていました。


 たまたま見かけた西賀茂による205号系統京都駅行きです。快速205号系統の前を走っていて、臨時表示が付いていたのですが、これは大学輸送の仲間なのでしょうか・・・。



 こちらは
 臨15号系統立命館大学行き
 です。朝に1本のみ設定されていることは変わりありませんが、担当が九条京阪から錦林に戻りました。新幕では快速の文字が目立たなくなっていました・・・。



 こちらは
 立命館ダイレクト
 です。2本設定されており、担当は梅津である点は変わりありません。新幕では直行の文字が行先表示と同じ色になって目立たなくなっているように感じました・・・。



 こちらは
 特205号系統立命館大学行き
 です。ダイヤ改正で増発され、毎時1本の運行になりましたが、朝ラッシュ時は本数が増え、大学輸送も担う形になっています。改正前は衣笠操車の出入庫を兼ねていた関係で本数が多かったように感じますが、改正後は直営になったため少し減ったような感じでした。通常の大型車以外にM1号系統の出入庫で中型車、そして梅津JR担当便もありました。でも、中型車は立命館大学行き最終便にも充当されているのを確認していますが・・・。



 ここから佛教大学です。
 こちらは
 臨1号系統佛教大学行き
 です。担当は西賀茂のままでした。新幕になってから快速の文字が行先表示と同じ色になって目立たなくなったような気がします・・・。



 こちらは
 臨6号系統佛教大学行き
 です。担当は西賀茂京都バスから九条京阪に変わっていました。

 以上です。

関東鉄道 鹿行地区巡り 2014・06

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 先日、久しぶりに関東鉄道の
 鹿行地区
 を巡ってきました。鹿行地区は最近になっていくつかの動きがあり、その様子を見てきましたのでレポートします。



 成田線で佐原駅に到着し、駅前に出ると、駅前にあった関鉄観光バス佐原営業センターの施設が解体され、
 更地
 になっていました。佐原営業センターが佐原駅前再開発に伴って今春に水郷大橋の近くへ移転していたのです。バス停のすぐ後ろに建物と窓口があり、そこに路線図や運賃表などが掲げられていました。そして、下の写真の場所に車庫があって、貸切車などが留置されていましたが、今は単なる回転場になっていました。


 そして、ほどなくして佐原駅発12時25分の潮来車庫行きがやってきました。車両は
 1608SW
 でした。1610SWの置き換えのためにやってきたものです。佐原への転属にあたって前面行先表示が小型のものに交換されており、特徴的な顔立ちになっています。
 というわけで、1608SWに乗り込みます。当日はあやめ祭りの最中であったため、水生植物園へ向かう乗客でそこそこ賑わっていました。佐原駅を出て商店街の中をぐるっと回り、水郷大橋を渡って茨城県に入ります。水郷大橋を渡る直前に新しい関鉄観光バス佐原営業センターが見え、そこに7017SWが休んでいるのが見えました。大半の乗客は水生植物園入口で下車し、ここから貸切状態になってしまいました。扇島を過ぎると、常陸利根川を渡り、すぐに潮来の中心部に入ります。そんな中で潮来バス停を通ったのですが、旧潮来バス停周辺の建物が解体され、更地になっていました。旧潮来バス停はかって潮来の交通の拠点で、立派なバス停ポールがあったのですが、今は高速バスを除くと1日1往復しかバスが来なくなってしまいました。もはや免許維持ですね・・・。




 国道51号線に沿う旧道を通って終点の
 潮来車庫
 に到着しました。バスはすぐに行先表示を回送に変えて国道51号線を東の方へ向かって行きました。
 そして、周辺を見渡すと、潮来営業所が解体されて更地になろうとしていたのです。そうそう、ここはかって関東鉄道の潮来営業所があったのですが、今年に入って潮来市洲崎の北浦の側へ移転していたのです。この営業所は元々関東鉄道潮来営業所で、潮来地区の拠点として機能していましたが、一時期関鉄観光バスへ移管され、鹿島営業所の移転によって再び関東鉄道の営業所になったというような変遷をたどっていました。車庫が無くなってもバス停は「潮来車庫」のままとなっていますが、こういうのは田舎でよくありますね・・・。
 潮来車庫は2004年の初訪問から何度も訪れていただけに寂しさを覚えたものです・・・。佐原駅行きは14時頃に出発するのですが、私はすぐに東の方へ向かって歩き出しました。


 潮来車庫から国道51号線を歩いて約50分で
 新潮来営業所
 に到着しました。新潮来営業所は延方駅から歩いて15分ぐらいの北浦沿いにあり、目の前に2つの神宮橋があります。旧潮来営業所は敷地が狭く、一般路線車、高速車、特定車全て収まりきらず、第2車庫を確保したほどですが、新営業所は広大な敷地が確保されており、全ての車両が休んでいました。


 営業所の建物です。検修庫も含めて全て新築です。関東鉄道の営業所施設といえば古くからある建物ばかりなので、そういったイメージがあったのですが、新築するとはびっくりしました・・・。でも、高速バスが旺盛なので、何とかなるのでしょうか・・・。すぐに建物内の事務室へ向かい、撮影許可を得て敷地内で撮影います。その時、移転を祝う花が置かれているのを見かけました。



 営業所で休んでいるバスたちです。一般路線車と高速車で留置場所を分けていました。これは鹿島時代でも同様だったので、流儀がそのまま残っていたんですね・・・。上の写真は1735IT、1742IT(KS)、1835ITですが、いずれも鹿島にいた車両で、2度の移転を味わったことになりますよね・・・(1835ITは一旦竜ヶ崎へ行っていますが・・・)。
 そして、高速車に囲まれて1608SWが休んでいました。潮来車庫での折り返し待機は営業所で行っているということになりますね・・・。なら、潮来車庫から潮来営業所まで延長すれば・・・と思うのですが、既に免許を手放していますし・・・。そうそう、かっては営業所の前をバスが通っていたけど、廃止されてしまいましたね・・・。
 営業所訪問を終えて、神宮橋を渡って鹿島方面へ歩いていきます。その時、神宮橋では橋を赤に塗りかえる工事が行われていました。


 潮来車庫から営業所経由で1時間以上かけてようやく
 鹿島神宮駅
 に到着しました。ここから14時25分発の海岸線銚子駅行きに乗り込みます。車両は1835ITでした。1835ITはKS時代以来久々の乗車ですが、運転席後部の次停留所表示器が撤去されていました。KS時代はあったのに・・・。
 鹿島神宮駅を出てバス車内から更地になった旧鹿島バスターミナルを見たのですが、相変わらず更地のままでした。周辺の商店街が空洞化していたので、しばらくは更地のままでしょうか・・・。約1時間半揺れられて銚子駅に到着しました。海岸線に乗るのは数年ぶりですね・・・。


 久しぶりに銚子駅に来ると、バス停ポールが変わっていました。昔はやや大型のものだったのが、一般的なタイプになっていました・・・。工事の関係でしょうか・・・。


 こちらは元京成バスグループの
 9339HS
 です。レインボーワンステは関鉄パープルバスや関鉄グリーンバスへ数台が行っていますが、本体はこの9339HSが唯一です。



 そして、こちらは
 1817HS
 です。かっては守谷市コミュニティバス用として水海道に新製配置されましたが、コミュニティバスから追い出されて一般車化されて波崎にやってきたものです。鹿行地区の三菱ふそうは三菱ふそうメインだった鉾田を除けば珍しく、1517IT以来でしょうか・・・。1517ITはDPFを搭載していなかった関係で潮来地区のみと運用が限られていたけどね・・・。1817HSはKK代なので、1816ITとともに千葉県に乗り入れてきています。




 運転手氏の好意で車内を撮らせて頂きました。車内については運賃表示器などを除いて水海道時代そのままとなっています。ただ、元コミュニティバス用であったことから中扉周辺において整理券箱設置スペースを確保していなかったようで、出入口の一部を犠牲にして取り付けたような感じでした。1816ITと1817HSは鹿行地区初のノンステなので、ちょっともったいないな・・・という感じでした。

 鹿行地区を見てきたのですが、営業所の移転と低床化が進んだことは驚きでした・・・。撮影許可をいただいた関係者方々、この場にてお礼を申し上げます。
 以上です。

元泉北高速鉄道3000系の南海3000系

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 2012年のダイヤ改正で余剰となった泉北高速鉄道
 3000系
 の一部編成が南海へ譲渡され、2013年より南海線で営業運転を開始しました。そんな3000系を和歌山市駅で見かけました。



 こちらは3513編成の難波方先頭車の3513です。南海への譲渡に当たって帯色の変更が行われたのですが、前面の車番と社紋表示がはがされた跡がはっきりと出ていました。車番と社紋は板金なので、外した跡がくっきりと見えるわけですね・・・。



 3513編成は3515編成と8両固定編成を組んでいます。そのため、中間となった3514と3515は運転台を閉鎖し、行先表示を板でふさいでいました。南海線での8両編成は急行と空港急行などに限られているようで、撮影当日は和歌山市駅の側線で休んでいました。データイムで和歌山市駅に来る普通列車は6両編成が多いし・・・。


 大阪府都市開発(泉北高速鉄道)時代の3513編成です。南海線と直通することから南海の6200系をベースに設計されています。なので、南海に行っても違和感無いわけですね・・・。でも、南海への譲渡に当たってこれまで活躍してきていた高野線でなく、南海線となったのは普通鋼製の7000・7100系置き換えのためなのでしょうか・・・。

 以上です。

北九州市交通局 ゼロエミッションバス

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 北九州市交通局では3月より
 電気バス
 の運行を開始しました。電気バスは北九州市が企画しているゼロエミッション交通システムの一環で、太陽光で発電した電力を電気バスの蓄電池に充電することにより、電気バスを走らせるというものです。これまでに電気バスは多数走っていますが、通常の発電によるものです。現在は九州電力からの電力を受けて走っていますが、10月頃にメガソーラーを設置し、そこで発電した電力を使って走行させるのことです。




 電気バスです。電気バスは電気で走るだけでなく、車体に対して
 カーボンファイバー(炭素繊維)
 を採用し、軽量化を図っていることがポイントです。つまり、軽量化を図ることにより、航続距離を伸ばそうというものです。車体の組み立ては韓国の企業が行っており、車体デザインは国内では見られないタイプとなっています。扉も前扉がスライドドアで、中扉が外開きとなっています。


 車内です。電気バスはノンステップバスとなっているのですが、中扉より後ろは1段ずつ高くなっており、最後尾はかなりの高さになっています。どちらかといえば、フルフラットに似た感じです。座席配置は一般的なノンステと同じですが、横向きシートがありません。車内にはLCD表示が2か所ありますが、いずれも次停留所表示や運賃表示のみで、電気バスのPRはありません。因みに照明はLEDでした。



 電気バスは平日のみの運行で、
 戸畑駅〜エコタウンセンター
 を結ぶ系統を中心に充当されています。配置が若松営業所のため、出入庫で若松営業所発着系統にも充当されます。


 こちらはエコタウンセンター〜若松営業所間の出入庫便で、1往復半が運行されています。これは電気バスの運用に合わせて設定されたもので、全区間でも4分という短距離です。系統番号はありません。


 エコタウンセンターで顔を合わせた電気バスです。電気バスは2台が投入されていますが、運用は1つのみのため、1台のみ運用入りしています。しかし、当日はエコタウンセンターで小学生の見学があったようで、その試乗車両としてエコタウンセンターに来たようです。


 もう1台のZEROー02です。電気バスはZERO−01とZERO−02の2台があり、それぞれナンバーが1111と2222になっています。


 戸畑で西鉄バスのエアロスターとのツーショットです。車体の違いが大きく目立ちますね・・・。

 電気バスは全国的に運行されていますが、太陽光を使用するという例はあまりなく、画期的な取り組みだと思います。にしても、電気バスの技術の進歩は凄いですね・・・。
 以上です。

古い駅舎が残る西浦駅

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 名鉄蒲郡線に
 西浦駅
 があります。西浦駅は駅集中管理導入に伴い、駅の改築が進んでしまった中で古い駅舎がそのまま残っている数少ない駅の一つです。


 西浦駅は島式ホームの1面2線を持っており、上下線の列車の交換が行われています。1番ホームは吉良吉田方面、2番ホームは蒲郡方面の列車が発着しています。


 駅標です。



 駅舎内です。蒲郡線のワンマン化により、駅自体が無人駅化されました。しかし、蒲郡線は駅集中管理方式を導入しておらず、かつ車内運賃収集方式のワンマン運転を導入していいます。したがって、駅舎は昔からのものをそのまま使い、事務室や窓口などは閉鎖したじょうたいで使用していました。でも、窓口跡には自動券売機が1つ設置されていました。


 西浦駅は西浦温泉の最寄り駅なので、西浦温泉の看板が駅舎前に置かれていました。西浦温泉へはこの駅からバスで行けますが、バスは蒲郡駅から出ています。


 丁度吉良吉田行きにの普通列車がやってきました。西浦駅では朝から夜まで全列車がここで交換を行っており、昼間は30分ごとにこういうシーンが見られます。

 蒲郡線は駅集中管理方式の対象外となったため、古い駅舎が残る駅がいくつかあり、西浦駅はその一つになります。
 以上です。

下北半島の交通を担う下北交通

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 下北交通
 は下北半島をエリアに持つバス事業者です。かっては鉄道線も運営していましたが、今は廃止されています。下北交通は三菱ふそうメインですが、最近は三菱ふそう以外の車両も入っています。


 こちらは1991年式?の
 エアロミディ
 で、U−MK517Jとなります。そのエアロミディはトップドアで、メトロ窓という仕様になっています。下北交通は元々トップドアが標準であったため、今でも前乗り前降りとなっていますね・・・。


 こちらは1993年式の
 エアロスターM
 で、U−MP618Kです。エアロミディと同じくトップドアでメトロ窓仕様となっています。しかも、シートもハイバックシートですね・・・。しかし、下北交通は海沿いである上に融雪剤の影響なのか車体の所々に錆が目立っています。


 こちらは2002年式の
 エアロミディ
 で、ワンステとなっています。バリアフリー対応のために前中扉となりましたが、中扉は車椅子専用となっています。前乗り前降りということもあり、側面行先表示器が前扉後ろに設置されています。シートは標準的なものになっていますが、これでも長距離路線に入るんですよね・・・。


 こちらは2001年式?の
 ローザ
 です。前面に行先表示がついたれきっとした路線車です。ローカル線に入っていました。


 こちらは2002年式?の
 エアロミディ
 で、小型ワンステです。このエアロミディはナンバーが小判となっていることがポイントです。どうやら、立ち客は考慮されていないようです・・・。もちろん、中扉は車椅子専用です。小型ワンステでも長距離路線に入るようで、撮影時は野辺地駅〜むつバスターミナルに充当されていました。


 こちらは2010年式の
 エアロミディ−S
 で、ワンステとなっています。当時は日デRMのOEMとなっていたので、西工で投入されています。この時から側面行先表示器がやや後ろに下がりました。


 そして、三菱ふそうの中型車が一時的に発売中止となった時に
 レインボー?
 が投入されました。もちろんワンステです。下北交通は元々三菱ふそうユーザですが、中古車でいすゞが入っていた中で三菱ふそう以外の車両を新車で買うようになった感じですね・・・。


 次に中古車です。
 こちらは
 元南海バス
 のエアロスターMです。1993年式ですね・・・。しかし、下北交通は自己発注でエアロスターMを投入しており、違和感を感じませんでした。



 こちらは
 いすゞ+富士7E
 で、上が元東武バス、下が元川崎鶴見臨港バスです。いずれもU代です。下の元川崎鶴見臨港バスの車両は中扉を埋めていることが分かります。下北交通は元々前乗り前降りなので、中扉を閉鎖し、そこに座席を設置するケースがあるようです。沖縄のバスと似たやり方ですね・・・。因みに元東武車は貸切用で、行先表示器は撤去されています。



 こちらは
 元自家用車
 で、いずれも日デです。最近は元自家用車の車両を投入しているようですね・・・。しかも一般路線に投入しています。


 こちらは観光ルートバスに充当されていた貸切車のエアロバスです。自己発注のKC代ですが、SHD構造になっています。


 こちらはお買い物無料送迎バスに充当されていた貸切車のエアロバスです。ナンバーからしてどっかからの中古だと思われます。



 こちらはスクールバス用の車両たちです。エアロバスK、そして富士5Rが現役で活躍していました。いずれもナンバーが新しいので、どこからの中古車だと思われますが、全国的に貴重なタイプばかりです・・・。




 下北交通の中心的なバスターミナルである
 むつバスターミナル
 です。下北駅から少し離れた場所にあり、どちらかというとかっての下北交通大畑線の田名部駅の近くにあります。このバスターミナルには下北を発着する路線バス全てが発着しており、ここから各方面へのバスが出ています。1階が窓口と待合室がありますが、年季が入った感じです・・・。下の写真は恐山行きのバスです・・・。


 こちらは
 野辺地駅
 です。野辺地線、泊線などが発着していますが、青い森鉄道の駅から下北半島へのアクセスも担っています。

 車庫内で撮影したものは事務室の許可を得ています。
 以上です。

山万ユーカリが丘線

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 先日、京成本線ユーカリが丘駅から出ている
 山万ユーカリが丘線
 に乗車してきましたのでレポートします。この路線は不動産会社の山万が鉄道事業部を設置して運行していますが、本来鉄道事業者ではない事業者が鉄道を運営するのは全国的に珍しいです。そのユーカリが丘線は京成本線のユーカリが丘駅から山万が開発したユーカリが丘を一周してユーカリが丘駅に戻ってくるラケット状運行となっていることがポイントです。


 ユーカリが丘線で使用されているのは
 1000形
 です。1982年の開業時に導入された車両で、1100形+1300形+1200形の3両編成を組んでいます。1000形は3編成が投入されており、それぞれこあら1号、こあら2号、こあら3号と名付けられています。
 写真は第2編成です。




 車内です。オールロングシートで、一部が優先席になっています。1000形は非冷房で、屋根上にラインデリアが設置されています。非冷房がゆえに窓は全て開閉可能で、上段が内側へ折れるように開くことができる構造になっています。夏季になると全ての窓が開いた状態で走行します。窓の下段は固定窓ですが、そこにカーテンが付いています。


 運転台です。ユーカリが丘線はほとんどの駅で右側にホームがあるため、運転台が右側によっていることがポイントです。そして、ハンドルはワンハンドル方式ですが、ハンドルが右側に設置されていることもポイントです。日本のワンハンドル式は中央もしくは左側にあることが標準で、右側にある事は全国的に珍しいです。おどらく、ハンドルに手を置きながらホームの確認をしやすくするためでしょうか・・・。



 こちらは第3編成です。上の第2編成とは座席モケットの色が異なっていることがポイントです。第1編成は車庫で寝ていたので、確認できなかったのですが、l第2・3編成とは色が異なっているのだと思われます。要するに第2編成は赤、第3編成は緑ということになりますね・・・。





 こちらはユーカリが丘線の起点駅である
 ユーカリが丘駅
 です。片面ホームが1面あるだけの駅で、京成本線より高いところにホームがあります。列車は来てはすぐに折り返すという感じで捌いています。ホールより階段を降りたところに改札口があり、自動改札機も稼働しています。首都圏ではPASMOの導入が進んでいますが、山万はPASMOが導入されていないため、旧型が現役で活躍中です。


 山万は全線で200円均一となっているため、自動券売機もボタンが大人と小人の2つしかなく、単純な操作面となっています。


 こちらは
 地区センター
 ですが、ラケット状の分岐点で、島式ホームを持っています。ユーカリが丘液を出た列車は島式ホームの右側に入り、ラケット状を1周して左側のホームに入り、ユーカリが丘駅に戻る感じです。ユーカリが丘線は全線で単線なので、地区センター駅のユーカリが丘方に分岐器が設置されています。

 以上です。

隠岐一畑交通

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 隠岐一畑交通
 は名前の通り隠岐の島をエリアに持つ一畑系列の事業者です。隠岐の島は大きく分かれて島前と島後があるのですが、隠岐一畑交通が運行しているのは島後の方です(島前は一畑系列でない他の事業者が運行)。


 まず、車両からです。
 こちらは1992年式の
 ジャーニーK
 です。ツーステで一畑バスからの移籍車です。私が見かけたときの唯一のツーステでした。隠岐の島へ行く前に調べたところ、ツーステが多数いたようですが、ほとんどが置き換えられてしまったようですね・・・。



 こちらは1997年式の
 ジャーニーK
 で、KC−LR333Fのワンステです。1997年に少数だけ短尺車が投入されましたが、その車両は窓が逆T字になっていることがポイントですが、このうち1台が隠岐へ移籍していました。下の写真は昨年に撮影した松江時代のものです。つまり、1年間の間に移籍したことになりますね・・・。


 こちらは2004年式の
 エアロミディ
 で、小型ノンステです。一畑グループとしては珍しい三菱ふそうの一般路線車で、旧塗色を纏っていることがポイントです。いすゞには小型車の設定が無かったため、三菱ふそうを選んだのでしょうか・・・。このエアロミディは隠岐の生え抜きだそうで・・・。



 こちらは2006年式の
 エルガミオ
 で、ノンステです。エアロミディに続いてのノンステとなります。これは隠岐一畑交通の生え抜きでしょうか・・・。


 こちらは2013年式の
 ポンチョ
 です。古参車の代替のために投入されたもので、一畑の標準塗色ではなく、紫色ベースのオリジナル塗色になっている事がポイントです。ショート車ですが、2人掛けシートを採用した郊外型です。


 こちらは2014年式の
 ポンチョ
 です。2台目のポンチョです。紫をベースに世界ジオパークのラッピングがなされています。前のポンチョと同じく短尺が選択されています。




 貸切車たちです。一畑グループはいすゞがメインですが、隠岐ではいすゞもいるものの、三菱ふそうや日野もおり、バラエティに富んでいるという感じでした。写真のガーラとセレガRはナンバーがやけに新しいのですが、ひょっとしたら、グループ間の移籍でしょうかな・・・。





 ここから路線です。隠岐一畑交通は島後の中心部にあたる西郷に拠点を持ち、ここから郊外に向けて路線網を伸ばしています。写真は郊外への路線で、上から中村線、布施線、都万線、五箇線です。郊外への路線はこの4路線です。かっては営業所から中心部を通って隠岐病院から各地へ散らばるというルートでしたが、2014年6月に隠岐病院整備事業完了に伴うダイヤ改正があり、この時に営業所から中心部を通らずに隠岐病院を経て各方面へ散らばるというルートに変わりました。その代わり中心部を巡回する路線と隠岐病院で接続し、乗り換えるという形になりました。
 因みにこの4路線は営業所発着が中心ですが、一部の便は中心部を巡回する西郷港線などに充当し、隠岐病院でそのまま郊外線に直通するという流れになっています(つまり、形としては隠岐病院発着ですね)。


 こちらは中心部を巡回する路線に入った時のものです。中心部を巡回する路線は西郷港線を中心に経由地により隠岐高校線と水産高校線もあります。これらの路線は西郷港、町役場、隠岐病院といった中心部の重要なところを全て経由しています。これらの路線は郊外線との接続や直通などから本数はそこそこ確保されているものの、特に郊外線が隠岐病院を通る時間帯に本数が集中するなど時間帯のばらつきが大きいです(15分間隔とか・・・)。
 写真はありませんが、隠岐空港線も運行されています。航空便発着に合わせて運行されていますが、撮影当日は2往復が運行されていました。この路線は営業所から中心部を巡回して空港まで行くというルートです。撮影当日はエアロミディが充当されていました。




 こちらは隠岐一畑交通の拠点である
 営業所
 です。中心部の外れにあり、営業所の前は狭い道路が通っているなど田舎の営業所らしい雰囲気です。この営業所は西郷港から徒歩10分と比較的近いです。上の写真は郊外線に充当される車両が休憩している時で、中の写真は郊外線が中心部を出て行った時のものです。つまり、郊外線が出て行った時は静かになる事がポイントですね・・・。



 こちらは隠岐一畑交通の拠点である
 隠岐病院
 です。文字通り病院の構内にありますが、郊外線と西郷港線が接続する交通の拠点です。そのため、病院内にバスの待合室が設けられ、郊外線が発着する時には乗客がゾロゾロト集まってきていました。時刻表を確認いただければわかるのですが、郊外線は4路線ともほぼ同じ時間帯に病院を出ています(差は何と約10分!)。




 こちらは隠岐の島の島後の玄関口である西郷港に隣接して設けられている
 ポートプラザ前
 です。西郷港に隣接するバス停名は何故か西郷港ではなくポートプラザ前になっています。港に隣接するホテルの一角にバス停が設けられています。かっては郊外線も発着していましたが、隠岐病院で接続する形に改められたため、西郷港線をはじめとする中心部を巡回する路線のみ発着しています。でも、時刻表には郊外線と接続する旨が記載されています。
 にしても、バス停にある注意表示に描かれているバスの絵が富士6Eになっていますね・・・。



 最後に本土の見たままを・・・。こちらは今年に出雲に入ったエルガのノンステの8384です。旧塗色であることは変わりありませんが、今回は何と標準尺で投入されている事がポイントです。遷宮の影響かもしれませんが、まさか標準尺で入れるとは・・・。

 以上です。

485系「いなほ」定期列車から引退

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 7月11日をもって
 特急「いなほ」
 の定期列車から485系が引退し、E653系に統一されました。特急「いなほ」に485系が投入されたのは1972年なので、42年間活躍した形になります。最晩年は新潟車両センターの485系R編成が主力で活躍していたわけですが、私が撮影した特急「いなほ」は全てR編成でした。でも、JR西日本やJR九州で485系が定期運用などから撤退していく中で、「白鳥」「北越」とともに頑張っていたのですが、ここにきて潮時が来た感じですね・・・。「いなほ」ではかって青森や秋田まで足を延ばしていたものが、最晩年は新潟〜酒田間のみの運用となっていました。


 こちらは
 青森
 に停車中の「いなほ」です。当時の「いなほ」は新潟〜青森間の列車が設定されており、その列車こそ日本最長距離の電車特急でした。写真の列車は2001年に廃止された特急「白鳥」のスジを引き継いでいました。
 しかし、2010年の東北新幹線八戸〜新青森間開業により、秋田で系統分割され、秋田〜青森間が「つがる」になりました。



 こちらは
 らくらくトレイン村上
 ですが、「いなほ」と同じくE653系に置き換えられました。その列車はT編成を中心に充当されていたようです。写真では愛称表示が2種ありますが、途中で変わったのかそれとも編成によって異なるものが用意されていたのかはわかりませんが・・・(写真の車両は違う車両ですが・・・)。
 485系時代は折り返しの快速列車を含めグリーン車は普通車扱いで営業していたのですが、E653系では非営業となったようですね・・・。


 こちらは昨年から運行開始したE653系による「いなほ」です。今年のGWに初乗車しましたが、E653系自体が羽越本線を走るだけでも違和感に感じたものです。何しろ、E653系は常磐線でたくさんお世話になったもので・・・。


 秋田駅で並んだE653系とE751系です。両者はデザインが似ているのですが、元々E653系が常磐線、E751系が東北本線盛岡以北と離れた場所に投入していただけに両者が顔を合わせるとは思いもしなかったものです。これは時代の運命でしょうか・・・。

 こうして485系が「いなほ」から撤退したわけですが、42年間って本当に長かったんだなと感じたものです(「雷鳥」の47年間には及ばないけど・・・)。
 以上です。

東洋バスの特定輸送&前乗りの面影

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 東洋バスでは八千代松陰中学・高校などのスクールバスをはじめとする多数の
 特定輸送
 を担当しており、これらには一般路線から転用された車両たちが充当しています。



 こちらは東洋バスで最古参となる
 KC−MP317M
 です。東洋バスのKC代はわずか6台のみと少数派なのですが、現時点で全車が現役で、行先表示器が幕のままで特定輸送に充当されています。ここは千葉県で、排ガス規制に引っ掛かるはずなのですが、DPFを装備して延命しているようです。東洋バスではQKG代の新車を投入していますが、玉突きで在来車を千葉シーサイドバスへ移籍するなど対処しており、KC代は何も影響ないそうですね・・・。
 尚、KC代は八千代松陰中学・高校のスクールバスで活躍しているようですが、一応土曜日も走っていました。


 こちらは2004年式の
 KL−MP35JM
 です。KL代から多数のワンステが投入されましたが、2004年の途中までは標準尺、2004年の途中から長尺で投入されていますが、標準尺は全車一般運用から離脱し、特定輸送で活躍しています(つまり、一般路線に充当されているワンステは全て長尺ということになります)。写真は八千代松陰中学・高校スクールバスに充当されたシーンです。



 こちらは八千代松陰中学・高校のスクールバスに充当された
 ノンステ
 です。ノンステもスクールバスに充当されていますが、ノンステは全車一般路線に充当可能になっているので、一応兼用という感じでしょうか・・・。


 こちらは日立物流の特定輸送に充当された2003年式のワンステです。東洋バスの特定輸送はスクールバスが中心ですが、少数ながら企業輸送も担っています。


 こちらは2006年式のPJ代のワンステで、
 元千葉シーサイドバス
 の車両です。子会社からの移籍車となるのですが、一般路線には入らず特定輸送で活躍しているようです。千葉シーサイドバス時代のカラーそのままですが、社名表記が東洋バスに書き換えられています。
 にしても、千葉シーサイドバスから東洋バスへ移籍するとは驚きました・・・。では、ノンステの方は・・・。



 そこで、特定輸送に活躍している車両たちを見てみると、前面行先表示横に
 前のり まえ払い
 の表示がなされています。これは東洋バスが2008年まで前乗り先払い方式を採用していた名残りです(運賃は多区間なので信用乗車方式ですね)。2008年に中乗り後払い方式へ移行した時に「前のりまえ払い」の表示を消したのですが、特定用の車両は一般路線に入らないことからそのまま残されています。つまり、写真の車両は既に一般路線から離脱しているということになります。それだけでなく、運賃箱も旧型のままになっています。



 私が東洋バスを始めて撮影したのが2006年なのですが、当時は前乗り先払い方式でした。したがって、ノンステやPJ代のワンステまで「前のりまえ払い」の表示が付いていました。こういうシーンは過去のものになってしまいましたね・・・。

 以上です。

大井川鉄道 きかんしゃトーマス号

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 大井川鉄道ではSL列車が有名ですが、このほどC11 227をきかんしゃトーマスの意匠に改装し、
 きかんしゃトーマス号
 として運行を開始しました。そのきかんしゃトーマス号を撮影してきましたので、レポートします。



 きかんしゃトーマスに改装された
 C11 227
 です。C11 227は1975年に国鉄で廃車されたのちに大井川鉄道入りし、1976年よりSL列車で運用を開始しています。そんなC11 227がこのほど「きかんしゃトーマス」の意匠に改装されました。車体が青系になっただけでなく、前面に顔が取り付けられています。それだけでなく、前面灯が「きかんしゃトーマス」に合わせてボイラー上から台枠の上へ移動しています。しかし、よく見るとC11 227の文字が見当たりません・・・。


 真正面から見たものです。本物のきかんしゃトーマス号が走りだしたかのような感じでした・・・。





 きかんしゃトーマス号に充当されている
 客車
 たちです。客車は7両編成ですが、全てきかんしゃトーマスに合わせて塗色が茶色などから橙色に変更されている事がポイントです。何しろ、きかんしゃトーマスに牽引される客車等は橙色がメインですからね・・・。でも、車体に記載されている番号が消えてる・・・。
 車内は基本的に改装はしていないようですが、それぞれの座席にきかんしゃトーマスが描かれたシートカバーがなされているなどきかんしゃトーマス仕様になっている事がポイントです。


 きかんしゃトーマス号は7両編成で運行されているため、最後尾にED500形501が補機として連結されていました。C11形のみで牽引できるのは4両までらしいので・・・。



 きかんしゃトーマス号の運行開始に合わせて千頭駅構内でイベントが開催され、きかんしゃトーマス号の並びなどが行われました。下はDLをきかんしゃトーマスのキャラクターに改装されたもので、ラスティーに改装されています。ラスティーはきかんしゃトーマスに出てくるDLのキャラクターです。上でトーマスの隣の機関車は千頭で展示されていたものを改装したみたいなのですが、どんなキャラクターでしょうか・・・。車体にはHIROとあるけど、きかんしゃトーマスにはHIROというキャラクターいないっぽいし・・・。
 このイベントでは親子連れで大盛況でした。そのため、臨時急行列車が出た他、駐車場シャトルバスも運行されていました。



 撮影当日のSL列車は2往復が運行されていましたが、きかんしゃトーマス号ともう一つの列車は
 C56 44
 が担当していました。C56 44は戦時中にタイへ渡った機関車の1両で、1979年に日本に戻り、大井川鉄道で活躍しています。





 次に新金谷駅で見かけたものを・・・。
 こちらは
 日本ナショナルトラスト
 が保有し、大井川鉄道で運行している車両たちです。C12 164、スハフ43 3、スハフ43 2、オハニ36 7の4両です。これは募金で購入し、大井川鉄道においてSL列車として運行していたのですが、ATS取り付けの費用が集まらず、休車状態になっています。長いこと休車になっているため、車体に所々錆が出ており、痛々しい姿になっています。特にスハフ43形は特急用客車で貴重なので大井川鉄道の方で受け取って走らせたい気分ですが、大井川鉄道の方も苦しいみたいなので、難しそうですね・・・。




 こちらは
 お座敷車
 のスイテ82とナロ80です。西武鉄道のサハ1500形を譲り受けて客車化したものです。出来る限り客車に見えるように改装していますが、ナロ80 2には電車時代の面影が所々残っています。これらの車両は時折SL列車などに連結している程度みたいです。

 きかんしゃトーマス号は大きな話題となっているようで、きかんしゃトーマス号は連日満席だそうです。大井川鉄道はSL列車の乗客減などで大減便を行うなど苦しい状態ですが、きかんしゃトーマス号は久しぶりの明るい話題とも言えましょう。きかんしゃトーマス号は10月までの運行の事です。
 以上です。

市内循環線&ぐるっとバスのラッピングバス

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 奈良交通では創立70周年を迎えた昨年7月から
 市内循環線
 において専用のラッピングがなされるようになりました。これは創立70周年記念事業として観光客が多いことをにらんで他の路線バスと区別するために黄色をベースにしたラッピングがなされた次第です。



 こちらは2010・2011年式の
 ブルーリボン?ノンステ
 です。側面行先表示器が前扉後ろにある前乗り仕様です。上の674は2010年の平城京遷都1300年祭のシャトルバス用として投入され、終了後は市内循環線に入っていたものです。下の682は新製当初から市内循環線に入っていたようです。



 こちらは2011年式の
 ブルーリボン?ノンステ
 です。側面行先表示器が前中間にある後ろ乗り仕様です。新製当初は一般路線に投入されましたが、ラッピングにより市内循環線用になりました。これにより、市内循環線には2つのタイプのブルーリボン?が投入されているということになりますね・・・。


 こちらは2008年式の
 ブルーリボン?ワンステ
 です。中扉が4枚折戸になっていますが、これは2008年式のみのタイプです。502はもっぱら市内循環線に充当されており、そのままラッピングがなされました。


 こちらは2010年式の
 ブルーリボン?ワンステ
 です。側面行先表示器が中扉横にある前乗り仕様です。この車両は平城京1300年祭のシャトルバスに充当されていたものです。
 今回の撮影時に見かけた車両は以上ですが、いつのまにかブルーリボン?で占めていて、全て低床車になっていました。




 少し前の市内循環線です。当時はツーステ、ワンステ、ノンステが混在していて、観光客が多いことから3扉車も結構充当されていました。更に車椅子利用客を考慮してリフト付きバス、ノンステを早い段階で投入していたこともポイントです。下のキュービックノンステはラッピングされ、今でも走っているようですね・・・(撮影時は見かけなかったけど・・・)。







 こちらは奈良公園前(県庁前)を起終点に奈良市内の観光地をまわる
 ぐるっとバス
 ですが、今年の6月から専用のラッピングがなされた車両で運行されるようになりました。「平城宮跡・ならまちルート」は青ベース、「奈良公園ルート」は赤ベースのラッピングがなされています。「平城宮跡・ならまちルート」は昨年撮影した時は全て大型ノンステが充当されていたのですが、ラッピングは2013年式の中型ノンステに対して施されています。「奈良公園ルート」は2013年式のポンチョにラッピングが施された上で充当されています。


 こちらは2014年に投入された最新のブルーリボン?ノンステです。QPG代ですね・・・。

 市内循環線、ぐるっとバスにラッピングがなされたので、一般路線と区別がしやすくなり、観光客にとってわかりやすくなったかと思います。にしても、最近の観光路線の充実化が目立っていますね・・・。平城京130年祭が一つのきっかけになっているのかもしれませんね・・・。
 以上です。

湖西線開通40周年

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 7月20日に湖西線が開業してから
 40周年
 を迎え、これを記念して記念列車などのいろんなイベントが開催されました。とうわけで、その様子をレポートします。滋賀県民の私ですが、東海道本線沿線に住んでおり、東海道本線がメインなので湖西線といえば湖西線沿線へ行くときに使う程度でそんなに身近な存在ではありませんでした。しかし、十数年前まで各家庭に配布されていた石山駅・膳所駅・大津駅時刻をまとめた表に少しながら西大津駅(当時)の時刻表が載っており、少々身近に感じたものです。
 さて、7月20日には京都〜近江今津間において「湖西線開通40周年記念号」、近江今津〜敦賀間において「高島市民号」がDD51+サロンカーなにわにより運行されました。



 サロンカーなにわを牽引した
 DD51 1183
 です。DD51には湖西線開業40周年を祝う専用のHMが取り付けられていました。尚、HMのデザインは高島市内の中学生がデザインしたものだそうです。湖西線における機関車は基本的にEF81形が務めるはずなのですが、DD51形はあまり聞かないような・・・。




 記念号に充当された
 サロンカーなにわ
 です。最後尾には専用のHMが取り付けられていますが、取り付けたのは京都方だけだったようですね・・・。尚、側面はサロンカーなにわ表示でした。


 大津京を通過する湖西線開通40周年記念号です。湖西線の高架上をDD51が走る姿を見るだけでも違和感に感じたものです。しかし、湖西線は高速走行を目的で建設されたため、ほとんどが高架で踏切が一つもありませんね。私としてはこれが湖西線の特色だと感じています。


 近江今津に到着した湖西線開通40周年記念号です。近江今津駅では凄い盛り上がりで、式典などが行われていました。記念号は3番ホームに入線し、ここで1時間以上停車していました。



 高島市民号
 の案内表示及び受付です。高島市民号は近江今津〜敦賀間を往復する形で運行され、高島市民を対象に募集されていました。湖西線の北半分は高島市内にあるので、高島市民にとっては湖西線とは縁深い存在ですね・・・。
 因みに高島市は2005年に平成の大合併により高島郡マキノ町、今津町、新旭町、安曇川町、高島町、朽木村を合併して誕生したのですが、個人的には高島市というより今津町、マキノ町、安曇川町などといった合併前の町の方がじっくりと来ます・・・。


 近江今津駅前では露店などが出点しており、賑わいを見せていました。ふだんは閑散としているのですが、この日ばかりはすごい盛り上がりでした。まさに町をあげて40周年を祝っているような感じでした。


 湖西線の各駅では40周年を記念して
 写真展
 が開催されていました。湖西線開業時やイベント列車や旧江若鉄道の写真が展示されていました。




 湖西線開通40周年を記念して113系2編成に対して
 HM
 を取り付けて運行されています。写真はご当地カラーのC17編成ですが、湖西線は湘南色とともに歩んできただけに湘南色編成に取り付けてほしかったのですが、現時点でC10編成しかないうえに最近まで工場に入場していたみたいですし・・・。
 7月20日は2編成とともに湖西線運用に入り、しかも記念号の前後を走ったそうで・・・。

 湖西線開通から40周年を迎えましたが、今は近畿から北陸へのバイパス的な役割を果たし、日本海縦貫線の一つとして、更に湖西の足として活躍されています。今後の発展を祈るばかりです。
 以上です。
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