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Channel: 斬剣次郎の鉄道・バス斬り
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N-6243納車

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 京阪バス大津に
 N-6243
 が納車されました。いすゞのエルガで、QKG-LV234N3となります。ナンバーは滋賀200か1022です。



 基本的に従来車と変わりありません。でも、N-6243の投入により、大津の大型ノンステは10台となり、このうちエルガは7台を占める形になりました。とはいえ、最近は京阪バス全体でエルガの勢いが凄いですね・・・。


 代替はA-1962です。残り3台となっていたAタイプがまた減り、エアロスターとブルーリボンの各1台ずつになってしまいました・・・。A-1962はA-1964とともによく運用に入っているのをよく見かけたものですが・・・。そういや、先週に走っているのを見かけましたな。

 以上です。

総合車両製作所新津事業所一般公開

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 10月11日ににいつ鉄道フェスティバルの開催に合わせて
 総合車両製作所新津事業所
 の一般公開が行われました。JR東日本新津車両製作所時代から毎年10月に一般公開を行ってきましたが、総合車両製作所となった今年も開催されました。


 今回の公開の目玉は何ともいっても
 E129系
 の展示でしょう。E129系は新潟地区の115系を置き換えるために新潟地区に投入される新型車両です。E721系をベースに耐寒耐雪構造とした事がポイントのようですね・・・。



 展示されたのはA3編成で、クモハE129-103+クモハE128-103でした。車内をちらっとのぞいたら、セミクロスシートであるものの、運転台側はロングシート、車端側はセミクロスシートという変則的な座席配置になっていました。混雑緩和と長距離利用の両立を図ったのでしょうか・・・。


 先頭部です。E721系をベースに意匠を少し変えていますね・・・。


 所属は新ニイです。まさしく地産解消ですね。確か、新津車両製作所が発足した時は地産解消が夢だったような気がしますが、実現した形ですね。しかも、新津車両製作所にとっては初めての3扉車ですね。




 新津車両製作所といえば車両製造工程の公開がポイントなのですが、今年はJR直営でなくなったためか、製造工程の公開が
 縮小
 されていました。車体組み立て工程及び擬装工程が非公開となり、台車工場及び材料加工工程のみ公開されていました。でも、台車工場でも溶接工程の3Dモデルも公開されなくなってました。まぁ、JR直営からメーカーになったので、企業秘密という意味合いもあるのかもしれませんね・・・。ちょっとさびしいですが、こればかりは仕方ありませんね。


 でも、ロープ外からであるものの、製造途中の車体を眺めることもできました。公開当時は南武線向けE233系とE129系の製造が並行して行われており、3扉車と4扉車が混在していました。でも、新津車両製作所はほぼ通勤型(4扉車)ばかりを製造して来ているので、違うタイプの並行製造はいろんな面でスキルアップにつながるかと思います。



 製造工程の公開が縮小された代わりなのか、保線車両の展示及び実演が行われていました。



 ミニ電車です。これらは昨年も登場していますが、E129系をイメージした感じになっています。E129系は地産解消なだけに注目の的ですね・・・。

 以上です。

N-6244納車

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 京阪バス大津に
 N-6244
 が納車されました。いすゞのエルガで、QKG-LV234N3となります。ナンバーは滋賀200か1024となります。



 基本的にN-6243と同じです。N-6244の投入により、大津の大型ノンステは11台となり、このうちエルガは8台を占める形になりました。エルガ8台のうち4台は今年に入ったものなんですが、これだけエルガが入ってくるとはビックリです。


 代替はA-1964です。A-1964は三菱ふそうのAタイプのラストナンバーに当たる車両でした。これにより、大津から三菱ふそうのAタイプが消滅し、大津に残るAタイプはA-3797の1台のみになってしまいました。数年前はAタイプが主力だったのに近年急速に代替が進み、とうとう1台のみになってしまいました。2012年に大阪地区のAタイプが消滅した時は京滋地区に多数のAタイプが残存していて、しばらくは安泰だろうとおもっていたのですが、ここまで減るとは思いもしませんでした。
 A-1964は一時期2012年9月に運行を開始した深夜バスにほぼ固定で入っていました。何度か深夜バスを見に行った時、大抵はA-1964だったのを思い起こします。しかし、今夏から深夜帯の便がほぼNタイプになり、A-1964は20~21時台に入庫する運用をメインに充当されるようになっていました。その中でも石山駅発19時8・53分の1号経路石山団地行きは特にその確率が高く、今月に入って充当されているのを確認しています。



 最晩年のA-1964です。最晩年は幕が新幕から旧幕に交換されていました。A-1964は転入時から新幕を装備していたので、突然旧幕に変えた事はさすがにびっくりしました。でも、旧幕のニューエアロスターのAタイプというのは大津生え抜きのA-1934を思い起こしたものです。
 逆に旧幕を装備していたW-1951・1989・3793が新幕に交換されているのを確認しています。

 以上です。

様似~広尾~帯広 バスの旅

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 様似まで日高本線を乗車し、これでJR北海道全線踏破を達成したことは先日の記事にてUPしましたが、この後様似から
 帯広
 までバスを乗り継いで移動しました。その時の様子をレポートします。


 様似からJR北海道バスが運行する日勝線に乗って広尾まで行くわけですが、日勝線の起点は広尾駅ではなく、様似駅から少し歩いた先にある
 様似営業所前
 です。様似発着の路線は全てここを起点とし、様似駅を経由したうえで各方向へ向かいます。
 様似営業所前のバス停は営業所敷地内ではなく、道路上にあります。バス停ポールの後ろは何と牧場でした・・・。


 様似営業所前発13時57分の広尾行きに乗車します。車両は元神奈川中央交通のエアロミディの424-5345でした。どうやら、最近になって様似に来たようです・・・。てゆうか、広尾まで約2時間こんなバスに揺れられるわけですがね・・・。


 様似営業所前を出発し、3分で様似駅前に到着。ここで数人の乗客を乗せて出発します。様似駅前を出てすぐに襟裳国道の国道336号線に入ります。国道に入っていきなり海岸の側に入るのですが、国道336号線を通っている間はこんな光景が続きます。途中でアポイ山荘に寄るために国道から外れてますが、アポイ山荘前を過ぎるとすぐに元の道に戻ります。



 国道335号線を通ること約30分でえりも町の中心部に入り、その中で
 えりも駅前
 を通ります。えりもには鉄道が通じていないのに「えりも駅」が存在すること自体に驚きましたが、バスも国鉄バス→JRバスなので、バスの駅として機能していたんでしょうね・・・。因みにえりも町内の各バス停には立派な小屋が建っており、ここが待合室的な役割を担っているようです。しかも、出入口にはバス停名商が掲げていました。
 えりも駅間を出てほどなくして国道336号線から外れ、県道34号線に入って南へ向かいます。えりもといえばえりも岬が有名ですが、このバスはえりも岬を目指すために県道34号線でひたすら南下していくのです。


 県道34号線で南下すること約20分で
 えりも岬
 に到着しました。でも、えりも岬周辺は草原が広がっているような感じで、木はほとんど見かけませんでした・・・。
 えりも岬を過ぎると、すぐに集落があり、1往復はここにある岬小学校で折り返しています。庶野付近で国道336号線に再合流し、海岸にそってひたすら北上していきます。この区間は黄金道路と呼ばれています。ただ、えりもまでの時と比べるとカーブが多く、本当に海岸の側を走っているような感じでした。でも、数か所でトンネルでショートカットした新しい道路への切り替え工事が進められていました。中には完成した所もあり、バスはその中を通って行きます。


 えりもから約1時間かけて走ると、広尾の市街地の中に入りました。


 市街地の中をそのまままっすぐ走り抜けると、終点の
 広尾
 に到着しました。広尾はもちろん国鉄の広尾駅舎そのもので、駅舎をそのまま使っていました。駅舎からまっすぐ道路が出ているというのは広尾駅を中心に町が形成されていたということになりますね・・・。



 広尾にはJR北海道バスと十勝バスが乗り入れており、バス停ポールが並んでいました。しかし、JR北海道バスは平日3往復、土休日2往復しかやってきませんが、十勝バスはほぼ1時間に1本の割合でやってきます。つまり広尾は帯広志向であることが伺えます。とはいえ、十勝バスのは広尾線代替バスに当たりますからね・・・。尚、JR北海道バスは近くの空き地で折り返し待ちしますが、十勝バスは近くに営業所があり、ここから発着しています。
 尚、旧広尾駅舎の中に十勝バスの窓口があり、ここで乗車券を買うことができます。因みに私はここで帯広までの乗車券を買いましたが、硬券でした。


 広尾から16時22分発帯広駅前行きのバスに乗り込みます。車両はブルーリボンⅡノンステでした。最近は広尾線にノンステ新車を投入していて、写真の車両もその仲間です。広尾線は長距離路線ですが、ハイバックシートそして2人掛けシートの多用などで対応しているようですね。
 広尾を出ると、国道336号線を通りますが、途中から国道236号線に入り、海岸とは離れた場所をひたすら通って行きます。その中で大樹、虫類、更別、中札内、大正と旧広尾線の駅だった場所で乗客の入れ替わりがありました。丁度夕方なので高校生の利用が多かったですね・・・。旧広尾線では有名な幸福駅があったのですが、幸福バス停もきちんとありました。でも、大正○号が続く中に位置していました・・・。因みに○号の停留所の一部には国鉄にあった仮停留所のようなバス停もあり、運賃もいくつかの停留所をまとめて1区間210円とかがありました。
 大正○線が長く続いた後、帯広の郊外地に入り、イトーヨーカドーやイオンなどの商業施設を経由していきます。


 広尾から約2時間20分で終点の
 帯広駅前
 に到着しました。これで様似からえりもと広尾を経由して根室本線の帯広駅に到着したことになります。

 以上です。

下りトワイライトエクスプレス乗車記

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 先日、下りの
 トワイライトエクスプレス
 に乗車してきました。
 トワイライトエクスプレスは運行開始時から人気列車でしたが、客車の老朽化などの理由で2015年に廃止されることが発表されました。しかし、私は数年前に上りを1度乗車しただけで、下りは未乗車でした。というわけで、廃止を前に1度は下りに乗って置こうということで乗ってきたわけです。でも、トワイライトエクスプレスは半数以上がツアー枠で、一般枠は少なく取れにくい列車として有名でしたが、廃止発表後はますますプラチナチケット化し、一番ランクが低い開放寝台でさえ取れにくくなっています。しかし、私は10時打ちで何とか希望日の下りを取ることができました。
 とゆわけでレポートします。











 乗車当日の編成は以下の通りです。
 1号車 スロネフ25 501
 2号車 スロネ25 501
 3号車 スシ24 1
 4号車 オハ25 551
 5号車 オハネ25 523
 6号車 オハネ25 522
 7号車 オハネ25 511
 8号車 オハネ25 561
 9号車 オハネフ25 501
     カニ24 12
 つまり、第1編成が充当されていました。


 大阪からはEF81 113の担当です。大阪~青森までロングランします。



 大阪駅でのトワイライトエクスプレスの案内表示です。トワイライトエクスプレスは10番ホームから11時50分に出発します。確か、長らく12時ちょうど発でしたが、最近になって11時台に早まり、今年から11時50分発となっています。


 11時11分、トワイライトエクスプレスが10番ホームに入線してきました。発車まで39分という早い入線は最近珍しくなったような気がしますが、早い入線は列車をゆっくりと眺めながら乗車するにはふさわしい時間だと思います。



 指定されたのは
 6号車
 の11番です。なので、6号車のドアから入ります。ドアに入るといきなりカーベットがお出迎えです。高級列車らしいお出迎えですね・・・。そして、ドア上には「B個室」の表示が出ています。


 6号車はシングルツインとツインの合造車ですが、ドアから入ってすぐはツインが並んでいるので、通路が側に寄っています。一応、B寝台ですが、木目調とあって豪華な感じです。



 今回の宿は
 シングルツイン
 です。今回はこれが取れました。シングルツインは1人用個室ですが、追加料金を支払うと2人でも利用できます。そのため、上段に固定式のベッドが付いています。下段はソファになっていますが、ソファを引き出すことによりベッドにすることもできます。11番は日本海側と反対側にあたるので、日本海を眺めることはできません。しかし、プラチナチケット化としていた中で取れたのだから贅沢は言えません。


 11時50分定刻に
 大阪
 を出発しました。これから札幌まで約22時間の旅が始まります。


 大阪を出て次の
 新大阪
 で早くも停車です。ここで新幹線乗り継ぎ客?を迎えます。ホームの端には撮影者がたくさんいました。廃止発表後に撮影者が増えたといわれると、納得できますね・・・。新大阪を出発すると、東海道本線をひたすら走ります。223系、225系、207系、321系などとたくさんすれ違います。


 大阪を出て34分で
 京都
 に到着します。新快速なら新大阪・高槻停車で30分で走りますが、トワイライトエクスプレスは機関車牽引なので時間がかかります。でも、これを昼間に味わうなんて貴重なんですよね・・・。京都では1分の停車で出発です。
 京都を出ると、山科から湖西線に入ります。ここで車掌がやってきて、ここで車内改札を受けます。切符の拝見だけでなく、車内設備の説明も受けました。


 堅田を過ぎると、琵琶湖の近くを走りまます。快晴とあって、琵琶湖の眺めが抜群です。写真はサロンカーで撮影したものですが、多数の客でにぎわっていました。


 近江舞子
 で後続のサンダーバードに抜かされるために5分間停車します。この退避は最近になって設定されるようになったようです。トワイライトエクスプレスは足が遅いので、こういうケースが出てしまうんですよね・・・。数年前に廃止された日本海でも近江塩津で退避していました。


 湖西線を走り抜けると、
 敦賀
 に到着しました。近江塩津から北陸本線に入っていましたが、ここから本格的に日本海を沿って北上していくことになります。



 敦賀を出てすぐに北陸トンネルに入っている最中に食堂車に入り、
 ランチタイム
 です。ただ、ランチタイムは13時~ですが、かなりの人気のようで、約1時間待ちでした。13時のオープン直後に食べるには1時間以上前から並んでいる必要があるようです(実際にも東海道本線を走っている最中に既に列が出ていましたし・・・。当然、相席です。
 ランチタイムでは下りのみの営業で、どちらかというと通常のレストランと同じメニューが提供されています。ハンバーグステーキ、ビーフシチュー、オムライスなどが提供されており、それぞれライス&パンやサラダなどがセットで付いています。私は人気があるといわれているオムライスを注文しました。オムライスはなかなか出来ていて、おいしかったものです。とはいえ、食堂車でランチを食べられるのも下りトワイライトエクスプレスだけですものね・・・。


 鯖江
 で運転停車し、サンダーバードに抜かされます。


 敦賀の次は
 福井
 に停車します。
 福井を出たあたりで食堂業者がやってきて、ディナーの確認と朝食の予約が来ました。ディナーは料金が高すぎるので予約していなかったのですが、その旨を伝えるとともに朝食の予約を行いました。


 加賀笠間の辺りから北陸新幹線の高架橋と並行します。北陸新幹線が走りだす頃と同時にトワイライトエクスプレスが廃止になってしまうんですよね・・・。車両基地の方は見逃してしまいました・・・。



 15時37分に北陸の中心部である
 金沢
 に到着しました。ここで3分間停車します。15時半ということはそろそろ夕方に差し掛かる頃で、いよいよ夕方の日本海を走る形になりますね・・・。でも、金沢からは来春に第3セクターに移管されてしまいます。


 金沢を出てすぐにある金沢総合車両基地には来春に引退する475系の姿が見えました。北陸の世代交代も佳境を迎えようとしています。でも、これと同時にトワイライトエクスプレスが廃止されてしまいますよね・・・。


 金沢の次は
 高岡
 です。ここでK-1編成の北越とすれ違います。留置線にはカラフルなキハ40系列が・・・。


 高岡からわずか15分で
 富山
 に到着します。ここで2分間停車です。隣のホームには413系の列車が停車していました。


 富山を過ぎると、立山連峰が見えました。立山連峰には既に雪をかぶせており、いよいよ冬に入るんだなと感じさせました。でも、こういう光景がなかなかいいんですよね・・・。しかも、夕日を浴びている姿が・・・。


 あと、日本海も見逃せません。この辺りは日本海に近づくので、夕日と日本海のセットを眺める事が出来ます。そのため、サロンカーでは多数の人がカメラを向けていました。夕日の日本海は下りトワイライトエクスプレスの中でもトップクラスの見どころです。



 列車が金沢を出たあたりからサロンカーで車掌のサイン会が行われていたので、車内限定のスタンプと共にサインを頂いてきました。こういう車掌とのふれ合いはトワイライトエクスプレスの醍醐味の一つです。そして、スタンプではトワイライトエクスプレスの牽引機の焼き物が使われていました。しかし、その焼き物なかなか出来ているんですよね・・・。
 因みにサインを頂いている最中、サロンカー周辺では夕食の弁当を届ける食堂業者が往復していて、いつのまにか夕方になったんだなと感じさせました。しかも、中にはもう弁当を食べる人も・・・。




 日も暮れた17時56分に
 直江津
 に到着し、ここで10分間停車します。これははくたかに抜かされるためですが、この退避は今年になって設定されたようです。トワイライトエクスプレスは5番ホームに停車しますが、はくたかは2番ホームと離れています。というか、直江津では多数の方が撮影されていました。


 直江津の次は
 長岡
 に停車します。時は19時。食堂車ではディナータイムですが、私は予約していないので、部屋の中でおとなしく景色を眺めていました。


 長岡の次は
 新津
 に停車します。19時43分ですが、もう当日の乗降扱いはここまでです。以後は洞爺までノンストップです。トワイライトエクスプレスは通常のブルートレインではなく、観光目的なので乗車扱いも早く終わってしまいます。新津から羽越本線に入ります。


 新津出発後ほどなくしてサロンカーに行くと、夕方の人の多さとは一転して人がまばらに・・・。20時台ですが、景色を望めなくなるとそれぞれの部屋に引っこんでしまうんですね・・・。でも、サロンカーに残った人たちは談話したり酒を飲んだりしていました。


 21時から
 パブタイム
 です。どちらかというと、アルコール類を嗜むタイムのようなもので、アルコール類各種と一品料理が中心です。北斗星やカシオペアではトワイライトエクスプレスでいうとランチタイムと同じメニューが出てきますが、トワイライトエクスプレスではそれがありません。弁当が出ているからなのでしょうか・・・。
 私は弁当は注文せず、パブタイムで夕食と決めていました。なので、ピラフを注文し、食べました。これもなかなか良かったです・・・。夕食にしては少ないですが、部屋に戻ってお菓子を食べる事で補っていました。


 鶴岡
 です。もう乗降扱いは終わっているので、運転停車です。


 羽越本線を走り抜けて、日が変わる前に
 秋田
 に到着しました。もちろん運転停車です。新幹線ホームではこまちが到着しようとしていました。ここから奥羽本線に入ります。


 こちらは大久保ですが、ここで上りトワイライトエクスプレスとすれ違う事になっていますが、上りが遅れていたようで、実際は羽後飯塚を過ぎたあたりですれ違いました。一瞬でした・・・。ここから暫く眠りに入ります。


 ここは
 青函トンネル
 です。3時50分ぐらいにトンネルの中に入りました。確か、トンネルを一目で見ようとする人でサロンカーが賑わっていたというような話を聞いていたのですが、いざ行ってみると数人だけ・・・。3時台なのでみんな眠っているのでしょうね・・・。
 私はトンネル通過光景を見届けるとすぐに部屋に戻り、就寝に入りました。



 起床は朝の7時頃。この時は礼文の辺りを走っていました。もう北海道に入っていて、五稜郭での機関車交換や長万部ももう既に過ぎていました。しかし、起きてみると朝日が輝いていて、今日はいい天気であることを示しているかのような感じでした。もちろん、朝日を浴びた海も美しかったです。


 7時18分に
 洞爺
 に到着し、ここから乗降扱いが再開されます。新津~洞爺間ノンストップはもちろん日本一です。乗降扱いが再開されたという事はいよいよ朝になったんだなと感じたものです。


 洞爺の次は
 東室蘭
 です。奥に785系の室蘭行き普通列車が出発を待っていました。



 東室蘭を出て暫くして
 モーニングタイム
 です。モーニングタイムは予約制ですが、予約は車内で受け付ける事になっています。私は8時20分~を予約していたので、この時間にやってきたわけです。朝食は和洋食の折衷形式でした。かっては洋食と和食の2種類があり、予約時にどれかを選ぶ形でしたが、最近に和洋食の折衷になり、全員同じメニューになりました。私としては以前に食べた洋食のスクランブルエッグがお気に入りでしたが、仕方ないですね・・・。でも、これもなかなかGOODでした。


 苫小牧
 から千歳線に入り、いよいよ旅も終盤にさしかかってきました。千歳線に入って電車とすれ違うようになると、札幌に近づいてきたんだなと感じさせます。


 千歳線に入って暫くすると、
 南千歳
 に停車します。ここが最後の乗降扱いで、以後は札幌までノンストップです。千歳ではなく南千歳に停車するのは空港との接続を考慮してのことですね・・・。


 スーパー北斗やスーパーおおぞらなどが停車する新札幌は通過です。でも、札幌の市街地が広がっていて、いといよ札幌に近づいたんだなと感じさせます。さあて、降車準備に入りますか・・・。


 そして、9時52分定刻に終点の
 札幌
 に到着しました。大阪から22時間の旅も終りを迎えました。


 五稜郭からの牽引機はDD51 1100+DD51 1093の重連でした。



 札幌でのトワイライトエクスプレスです。大阪からの長旅お疲れ様でした。そして、色々と楽しませていただきありがとうございました。


 到着から約10分後の10時5分ごろにドアが閉まり、手稲に向けて回送で走り去って行きました。


 こちらはトワイライトエクスプレスの車内で販売している旅のしおりです。私はこのしおりを使って旅を楽しませていただきました。この本にはトワイライトエクスプレスの案内だけでなく、車窓の沿線ガイドやメモなどがあり、旅にはもってこいです。しかも、運転時刻が記載されたしおり付きです。価格は600円です。

 こうして下りのトワイライトエクスプレスに乗ってきましたが、大阪から乗り換えなしそしてのんびりと一夜を過ごし、北海道に辿りつく・・・、トワイライトエクスプレス出ないと出来ない旅の醍醐味でした。こんなに高い人気を誇りながら廃止を迎えてしまうのは残念な限りですが、いい旅の思い出になった事は事実です。
 以上です。

防長交通 防府管内のバスたち

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 防長交通は山口県の東部と北部を中心にエリアを持つバス事業者ですが、今回はこのうちの
 防府管内
 のバスたちを取り上げてみます。防長交通は防府市内に防府営業所を置き、防府駅発着路線を中心に運行しています。でも、防府だからといってこれといった特徴は無く、車両構成は他の営業所とほぼ同じです。



 こちらは1990年式の
 レインボー
 です。防府傘下の堀出張所に配置されている車両で、防府駅~堀間の防石鉄道代替バスに充当されています。旧塗色でトップドアになっている事がポイントです。しかも、座席がハイバックシートになっています。そのレインボーですが、屋根上にクーラーコンデンサーが無いのですが、どうやらビルトイン式のようです。



 こちらは
 エアロミディ
 のノンステです。2001年式のKK-MJ26HFです。エアロミディのノンステとしては初期タイプで、行先表示器が幕式となっています。防長交通では徳山と山口管内で系統番号が導入されていますが、防府管内は導入されていないので、表示はシンプルです。


 こちらは2003年式のエアロミディノンステですが、行先表示器がLED化され、型式もKK-MJ27HFとなっています。



 こちらは
 レインボー
 のノンステです。エアロミディと並行してHRのノンステも投入されています。上が2002年式、下が2004年式で、いずれもKK-HR1JKEEです。




 こちらは
 レインボーⅡ
 のノンステです。上から2008年式のPDG-KR234J2、2012年式のSKG-KR290J1、2013年式のSKG-KR290J1です。現在の主力として投入が続いているタイプです。もはやどこでも見かけるようになりました・・・。


 こちらは元近鉄バス→明光バスの
 リエッセ
 です。1998年式のトップドアです。どうやら最近になってやってきたもののようです・・・。


 こちらは元近鉄バスの
 レインボー
 です。最近になってやってきた車両のようで、2段窓のKC代です。撮影時は防府駅~イオンタウン防府のシャトルバスに充当されていました。因みに防府駅南口にイオンがあるのですが、イオンタウンはそれと別の場所にあります(防府駅の徳山寄りにあり、電車からも見えます)。


 定期観光バスに充当されているエアロバスです。1995年式のU-MSです。

 以上です。

北海道拓殖バスの元関東バスの車両たち

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 北海道拓殖バスでは2009年より
 元関東バス
 の車両を投入し、特に最近はまとまった数が入るようになってきました。そんな中で、元関東バスの車両たちを見てみましょう。因みに元関東バスの車両は車体に関東バス時代の社番が記載されている事がポイントです。



 拓殖バスにおける元関東バスの第一陣として投入された
 日デJP
 です。1997年式のKC-JP250NTN改のワンステです。151と153の2台が投入されており、それぞれ元D1007、C1005です。



 こちらは2012年に投入された
 日デRM
 です。2000年式のKK-RM252GSNでワンステとなっています。中型車ながら中扉が4枚折戸になっている事がポイントです。このタイプはE321~E323の3台が投入されていますが、3台とも拓殖バスに投入されています。写真は195(E322)と198(E321)です。いずれも新得所属です(因みに198の写真は新得ローカルに充当された時のシーンです)。


 こちらは2012年に投入された
 日デUA
 です。2000年式の大型ノンステで、KC-UA460KANです。拓殖バスにとって初めてとなる大型ノンステとなります。大型ノンステであるが故なのか、塗り分けが他の車両と異なっており、特に屋根上は関東バス時代の塗装が残っています。
 日デUAノンステはこの後も続きますが、KL代なのでKC代はこの196(元C1107)の1台のみです。






 こちらは2014年に投入された
 日デUA
 ノンステで、2001年から2002年にかけて投入されたKL-UA272KANです。KC代とは側面行先表示器の位置や運転台などに差異があります。このタイプは2014年にまとまった数が投入されています。写真は上から
 帯広200か 216(元B1117)
 帯広200か 219(元A1108)
 帯広200か 221(元A1109)
 帯広200か 225(元B1112)
 です。日デUAノンステは5台が投入されているので、これで全部撮影したことになりますね・・・。UAノンステは帯広市内の路線で活躍しているようです。


 まとまった数のUAノンステが投入されているので、その並びも見ることができます。写真は196と219の並びですが、それぞれKC代とKL代なので、両者の差異が確認できます。



 日デKL-UAとほぼ同時に
 いすゞエルガミオ
 が投入されています。2001年式のKK-LR233J1改で、ノンステとなります。拓殖バスは元々いすゞを入れていなかったのですが、このエルガミオによって拓殖バスにもいすゞの一般路線車が在籍する形になりました。217(元A904)と223(元A905)の2台がいます。

 このように最近は元関東バスの車両が続々と投入されていますが、社番を表記している辺りからして以後も新顔が入ってくるのかもしれませんね・・・。
 以上です。

時が止まったままの岩手船越駅

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 岩手船越駅
 は山田線の駅です。山田線が東日本大震災により被災を受け、それ以来岩手船越駅は休止となっています。



 岩手船越駅は相対式の2面2線のホームを持つ交換可能駅です。しかし、駅舎を見ての通り無人駅となっています。ホームは宮古方面と釜石方面でそれぞれ分けており、駅舎側が宮古方面ホームとなっています。
 営業休止中、ホームはそのままとなっていて、時が止まったかのような感じになっています。でも、駅舎は入口がふさがれているため、ホームには立ち入れない状態になっています。


 駅標です。駅標はそのままとなっています。確か、休止中は盗難防止のために駅標を外した駅があったような気がしますが、岩手船越駅はそのままになっています。


 釜石方面ホーム上にある待合室です。入口や窓は全て板で塞がれています。盗難防止などのためでしょう・・・。


 入口が塞がれた駅舎には釜石~宮古間のバスの時刻表とバス振替輸送に関する説明が記載された紙が貼りつけられていました。とはいえ、紙には乗車券に関する説明が中心で、バス停の位置とかの説明がありませんでした・・・。



 船越駅前バス停です。バス停は駅前ではなく、すぐ近くにある国道45号線上にあります。バス停ポールには岩手県交通と岩手県自動車の2つが並んでいますが、釜石~宮古間をバスで行くにはこの辺りで乗り継ぐ必要があるためです。駅舎前に掲げられていた紙にも乗り継ぎが必要という旨が記載されています。因みに船越駅前と道の駅やまだは隣同士で、この区間は岩手県交通と岩手県北自動車の両方とも通っています。

 山田線釜石~宮古間は鉄道線での復旧を要望しているようで、BRTとしての復旧の可能性は低そうですが、三陸鉄道への移管の可能性があるようです。でも、岩手船越駅の駅舎の板が外れ、列車がやってくるのはいつになるのでしょうか・・・。
 以上です。

伊予鉄南予バス 久万管内

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 今回は伊予鉄南予バスの
 久万営業所
 のレポートです。先日に久万営業所~杣野前組線とK-RJを取り上げましたが、今回は久万管内全体です。久万営業所は久万高原町内で路線バスを運行している伊予鉄グループの事業者です。かっては伊予鉄道直営でしたが、不採算を理由に伊予鉄久万バスに分社化され、2005年に伊予鉄南予バスに吸収されて現在に至っています。
 久万管内の路線は伊予鉄グループの他の路線との接続が無く、久万高原町内で完結している事がポイントです。かっては松山市駅~久万営業所間の路線があったのですが、今は廃止されてしまいました。



 久万管内で中枢となるのが
 久万営業所
 です。久万管内の路線のほとんどがここから出ています。久万営業所は久万高原町役場の近くにあり、どちらかといえば久万高原町の中心部に位置しています。南予バスの他の営業所よりも建物が立派で、八幡浜に次ぐ感じになっています。でも、一部は貸しテナント?として接骨院が利用しています。
 バス乗り場は建物を囲うようにバスが発着しています。



 久万管内の路線は久万高原町内の各方面へ延びていますが、実を言うと他の南予バスの営業所と比べて複雑なのが特徴です。というのはある方向へ行くのにあちこち立ち寄るためで、便によって経由地が違ったりします。したがって、素人では分かりにくいという感じでしょうか・・・。
 バスの本数はかなり少なく、1路線につき1日数往復というレベルです。更にほとんどの便は土休日運休で、土休日になると運行しているのは面河・石鎚土小屋方面の3往復ぐらいです。



 久万管内の路線を大きく分けると、3つに分けられます。でも、経路が複雑なのであんまり自身はありませんが・・・。
 1つめが
 嵯峨山・上直瀬方面
 です。久万営業所から東へ向かい、久万高原町の北部にある上直瀬方面へ向かいます。9月末までは杣野前組行きもありましたが、現在は廃止されています。沿線にふるさと旅行村や岩屋寺などがあります。




 2つめが
 面河・石鎚土小屋方面
 です。久万高原町の北東部にあります。でも、面河へ向かうに当たって一旦南下します。そこには面河渓や石鎚山などといった観光地があるため、土休日も運行されている事がポイントです。面河に小さな車庫があり、面河発着で市口などのスクールバス的な路線も運行されている事がポイントです。ただ、市口は9月末で廃止されています。


 3つめが
 富里方面
 です。他の路線とは異なり、経路が複雑でなく、1経路のみと単純です。富里は久万高原町の西側にあり、久万営業所から一旦南下したうえで西方面へ向かいます。
 因みに南方面はJRバスが運行しているため、伊予鉄南予バスの路線はありません。となると、久万高原町は伊予鉄南予バスとJR四国バスでほぼ全域をカバーしている事になりますね・・・。


 車両です。久万営業所の車両は他の営業所と基本的に同じです。
 写真は1983年式のK-RJ172AAで、1288と1289がいました。しかし、このうち1288が落ちたそうで・・・。他に1984年式のP-RJ172BAの1347もいます。



 こちらは1988年式のP-RJ172BAです。この車両は一般的なレインボーとは異なり、メトロ窓かつトップドアになっている事がポイントです。これは元々急行バス用として投入されたもので、急行バスの廃止により営業所を転々とし、今は久万にいます。この車両は幕を使用せずサボで対応しています。これは幕に久万管内の表示が入っていないためだそうです・・・。面河・石鎚土小屋方面で使っているようです。



 こちらは日野HRの7mノンステです。久万にもノンステの波がやってきました。とはいえ、オリジナルではなく親会社からの転籍だどうです。LED式行先表示となっていますが、一応、久万管内の内容が入っているようです。でも、小型ノンステがいながら訪問時はK代とP代が主力で動いていました。


 久万営業所へ行くにはJR四国バスの久万高原線に乗るわけですが、久万営業所前に久万中学校前バス停があり、そこで下車すれば松山から久万営業所へ行くことができます。因みに久万中学校前の次のバス停が久万高原で、バスはここでちょっとの休憩に入ります。
 とはいえ、久万管内は他の伊予鉄グループの路線との接続が無いため、他の事業者の路線に乗る必要があるという珍しいケースでしょうか・・・。

 車庫内での撮影は事務室の許可をいただいております。
 以上です。

大正~IKEA間運行開始と元都営バスの日野HR

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 大阪の鶴浜にあるIKEAでは大阪駅やなんばから無料シャトルバスを運行していますが、11月1日より
 大正~IKEA
 間の急行バスを運行開始しました。これは大阪ドーム千代崎・大正橋(大正駅)~IKEA間を結ぶもので、大阪駅となんば発着とは異なり、運賃を徴収するれきっとした一般路線であることがポイントです。運賃は210円均一です。因みに路線バスであるため、大正橋~大阪ドーム千代崎間での利用は可能のようです。
 この路線は大阪市交通局の外郭団体である大阪シティバスが運行し、平日は30分ヘッド、土休日は20分ヘッドで運行されています。運行に合わせて用意されたのが元都営バスの日野HRです。ます、これらの日野HRを見てみましょう。



 こちらは
 91-1900
 です。2001年式なので、元H代であることが分かりますね・・・。車体塗色は紺一色に変更されています。行先表示器は幕式で、側面はシールで対応しています。



 こちらは
 91-1901
 です。元都営バスの日野HRは以上の2台が投入されています。1901は前面行先表示が大阪シティバス表示で、サボで対応していました。


 車内です。車内は都営バスであった面影がほとんどないほどに改修されていました。でも、戸袋窓部分に座席が無いというのは都営バス時代そのままとなっています。IKEAシャトルバスは大型荷物を考慮して荷物スペースとして座席を設置していない個所があるので、まさにピッタリなのかもしれませんね・・・。


 大正駅付近を走る91-1901です。ここは大阪市営バスが多数走っており、並走するシーンが見られます。にしても、まさか都営バスと大阪市営バスが同じ道路上を走るとは思いもしませんでした・・・。てゆうか、数年前まではそのことすら考えられなかったんだよね・・・。


 大正~IKEA間の運行開始に合わせて、元都営バスの日野HRとともにUSJ輸送で活躍していたエルガミオの92-1705も転用されています。LED式行先表示器はそのままですが、側面行先表示器は使用停止となっているようですね・・・。大正~IKEA間は以上の3台で回していました。
 尚、大正~IKEA間のルートは大阪市営バスが多数通っている大正通かと思ったら、別のルートでした(泉尾経由)。




 なんば~IKEA間のシャトルバスで活躍している北港観光バスのブルーリボンⅡです。上がPKG-KV234N3、下2つがQPG-KV234N3なのですが、ブルーリボンⅡながらサーモキング製クーラーになっています。最近のエルガでもデンソーが増えているのにサーモキングにこだわっているとは驚きです・・・。

 以上です。

サンライズ瀬戸 琴平延長運転

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 9月から11月までの土休日限定で
 サンライズ瀬戸
 が高松~琴平間の延長運転が行われています。下りのみで、高松到着後そのまま方向転換して琴平に乗り入れる形を取っています。そんなサンライズ瀬戸で琴平まで乗車しましたのでレポートします。
 尚、高松~琴平間での乗車は不可でした。また、東京~琴平間を乗りとおす場合、運賃は高松非経由で計算してもOKだそうです。


 サンライズ瀬戸の琴平延長に合わせて行先表示も専用のものが用意されています。でも、行先表示の部分がこれまでの黒から茶系になっていて、ビックリしました。行先は高松に寄るので、「高松・琴平」になっていました。



 東京駅の案内表示です。案内表示も行先表示と同じく「高松・琴平」になっていました。それだけでなく、琴平まで延長するという旨が表示されていました。普段にないことなので、色々注意を喚起していました。



 東京で出発を待つサンライズ瀬戸です。充当編成はJR西日本のI2編成でした。因みに出雲の方はJR東海のI5編成でした。今回は7号車のシングルを選択しました。7号車ということは高松から先頭に立つやつですね・・・。シングルは2階席でした。




 定刻の22時丁度に
 東京
 を出発します。この時は定期列車なので、停車も定期と同じ横浜・熱海・沼津・富士・静岡と停車して行きます。1時12分発の浜松で夜の乗降扱いはここで終了。あとはしばらくノンストップです。


 5時25分定刻に
 姫路
 に到着しました。ここから朝の乗降扱いが始まります。定刻という事はここまで順調ということですね・・・。



 6時27分に
 岡山
 に到着しました。ここでサンライズ出雲と分割するために4分間停車。分割シーンは相変わらず人気で、多数の人が集まっていました。駅の案内表示もきちんと「高松・琴平」と表示されていました。


 岡山を出て宇野線に入ります。その時、夜が明けて太陽が姿を見せました。本日はいい天気になりそうです。


 児島に停車し、ここで乗務員交代。児島をでてほどなくして
 瀬戸大橋
 を渡りました。朝日を浴びながら瀬戸大橋を渡るのもなかなかいいですね・・・。大橋を渡るといよいよ四国です。


 坂出を経て定刻の7時27分に
 高松
 に到着しました。定期列車ならここで終点ですが、本日は琴平まで延長なので、単なる途中停車駅となります。多度津~琴平間は電化設備の容量の関係で入線できる電車の数が限られるらしく、サンライズ瀬戸の前後を走る電車をディーゼルカーに運用変更している関係で数十分の遅れだだけで延長運転が中止になると聞いていたのですが、定刻に到着出来てホッとしました。





 高松では27分間停車します。サンライズでは岡山以外では1~2分間停車が当たり前なだけに長時間停車は異例です。というわけで、27分間を利用して色々と撮影です。高松駅の案内表示にもきちんと琴平と表示されていました。ただ、改札口の案内表示では何故か松山方面のところに表示されていました(琴平方面のとこあるのに・・・)。にしても、いつの間にかLEDがフルカラーになってたんですね・・・。


 7時54分定刻に高松を出発。すぐに高松運転所の側を走ります。運転所を下り方面から眺めるのは通常夜間なので、明るい間に眺めるのはなかなかありません。


 端岡
 でちょっとの運転停車です。この区間は複線で、列車の追い抜きとかないのに運転停車なんて驚きです。


 2度目の
 坂出
 です。ここで2分間停車です。


 坂出を出ると、瀬戸大橋線と別れて予讃線を走って行きます。ここからが延長区間の本番です。サンライズに乗って瀬戸大橋線を見送るなんて違和感ありですね・・・。


 瀬戸大橋線との合流駅である宇多津は通過です。特急「しおかぜ」などは停車なんですがね・・・。


 そして、高架から降りると
 多度津
 に停車します。延長区間で初の停車です。多度津に隣接して多度津工場が置かれているため、駅構内には多数の車両が留置されていました。


 多度津を出ると、予讃線と別れて土讃線に入ります。そうそう、単線区間ですね・・・。サンライズ瀬戸が単線区間に入るのは今回が初めてですね~



 土讃線に入って最初の停車駅である
 善通寺
 に到着します。ここで2分間停車し、特急「南風」と交換します。サンライズ出雲では伯備線などで交換による運転停車はありますが、瀬戸ではめったに見られないシーンですね。でも、善通寺が最後の停車駅です。


 善通寺を出てしばらく走ると、琴平の街が見えてきました。




 8時51分定刻に終点の
 琴平
 に到着しました。これで、サンライズ瀬戸は琴平まで足を伸ばした形になりますね。サンライズ瀬戸は過去に松山まで延長運転を行った事があるので、JR四国の電化区間のほとんどを通った形になるのでしょうか・・・。



 琴平駅にはサンライズ瀬戸延長運転を歓迎する看板などが所々見られました。地元は大歓迎のようです。何しろ、東京直通列車がやってきたのだから・・・。しかも、到着が9時前なので尚更です。因みに琴平で下車した乗客はそんなに少なくなく、大体30人ぐらいでした。ファンの方抜きでもそれなりいました。


 こちらはサンライズ瀬戸到着から10分後に琴平を出る高松行き快速サンポート号です。この列車は所定なら電車ですが、サンライズ瀬戸延長運転のために多度津での乗り換えの措置の上でディーゼルカーによる運転となっていました。通常なら121系2両編成ですが、当日は1000形の単行でした(車内はそんなに混んでなかったけどね・・・)。
 でも、サンライズ瀬戸の琴平延長運転にあたって、電化区間の容量の関係で電車をディーゼル車に変更するなどいろいろ調整が大変であったことが伺えました。

 サンライズ瀬戸の琴平延長運転は関東方面からの琴平へのアクセスに一役買った形ですが、乗り換えなしで行けるというインパクトはそれなり大きかったように感じました。乗客はそんなに少なくなかったようですし・・・。ある意味面白い内容でした。
 以上です。

道南バス苫小牧管内の最近の中古車たち 他

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 2012年に苫小牧市交通部の路線が道南バスへ委譲され、苫小牧市内の路線を道南バスが運行するようになりました。その時、車両は元苫小牧市交通部のものを移籍したうえで引き続き運用していましたが、最近になって老朽化のために
 中古車
 の投入により、代替が進められています。その中古車たちはもちろん道南バスカラーとなったため、苫小牧市内の路線に道南バスカラーの車両が目立つようになってきました。これらの中古車たちを見てみましょう。
 尚、新たに投入された中古車たちは行先表示が元苫小牧市交通部時代をそのまま使用しているため、表示そのものが元苫小牧市交通部と同じで、側面も小型のものが使用されています。




 苫小牧市交通部からの委譲後に初めて投入された中古車で、
 元横浜市交通局
 のブルーリボンワンステです。屋根上にデンソー製クーラーが載った1999年度車です。このタイプは3台が投入されていますが、761のみミラーの位置が異なっています。おそらく、港南仕様だと思われます。
 尚、一部車両には窓に「委譲路線」と書かれたボードを掲げています。おそらく、誤乗防止のためだと思われます。


 こちらは
 元千葉海浜交通
 のブルーリボンワンステです。1999年式で、長尺車です。



 こちらは
 元立川バス
 のエルガJです。2005年式のPA代ですが、立川バスでは廃車が進んでいて、その1台が道南バスの苫小牧に投入されています。中古車としては初めてとなるノンステとなります。


 こちらは
 元中日臨海バス
 の日デUAです。多分2003年式か2004年式だと思われます。KL代であることは事実です。この車両は特定用として投入されており、KL代ながらツーステとなっています。


 こちらは
 元箱根登山バス
 のエアロスターです。2003年式のKL-MP35JKです。箱根登山バスは約10年しか使わないようで、その中古車が流れてきた形ですね・・・。確か、元箱根登山バスの車両は東海バスグループに流れる事が多かったような気がしますが、東海バスグループ外にも流れる時あるんですね・・・。


 こちらは元関東バスの日デRPです。社番が100となっていて、苫小牧所属車に与えられる800番台ではありません。ひょっとしたら、他の営業所からの転入だと思われます。もちろん、苫小牧市内の路線に充当されています。


 元苫小牧市交通部の車両と並んだエルガJです。苫小牧バスターミナルの待機場では道南バスカラーの車両が目立つようになってきました。でも、違和感はまだ拭えないのですが・・・。



 苫小牧駅からイオンへの無料シャトルバスを運行している藤田荷役に元横浜市交通局のブルーリボンシティノンステが投入され、無料シャトルバスで活躍しています。シャトルバスにもノンステ化の波が来ましたね・・・。
 因みに今回の訪問時にそのイオンへ行ってきたのですが、そのイオンは道南バス苫小牧営業所(旧苫小牧市交通部)に近いところにあることを発見しました。なので、道南バス苫小牧営業所行きのバスに乗って終点で下車し、ここからイオンまで歩くのも悪くないと思います(道路をまっすぐに歩くだけなので・・・)。


 苫小牧~厚真間を中心に運行しているあづまバスにQKG-MP35FPが入ってました。この事業者は確か日デが中心だったような気がしますが、日デ撤退後は三菱ふそうを入れた感じでしょうか・・・。

 以上です。

すっかり変わった広島電鉄 呉地区

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 2012年3月末限りで呉市交通局が事業終了し、路線は全て広島電鉄に引き継がれました。委譲直後に撮影に行ったものの、それ以来しばらくご無沙汰していました。そんな中、先日に2年ぶりに
 呉地区
 へ足を運び、撮影してきました。広島電鉄が投入した新車がずいぶん増え、在来車も広電塗色への変更が完了し、すっかり広島電鉄という世界になっていました。そんな様子をレポートします。




 2012年に投入された
 エルガミオノンステ
 です。委譲直後にエルガミオとレインボーⅡの新車を投入していましたが、それに引き続いて投入されたものです。


 エルガミオから少し遅れて
 レインボーⅡノンステ
 も投入されています。




 こちらは2013年に投入された
 エルガミオ&レインボーⅡノンステ
 です。中型ノンステに関しては2013年も投入されましたが、基本的には2012年と同じのようですね・・・。





 こちらは2013年に投入された
 ブルーリボンⅡノンステ
 です。2013年になって大型の新車も投入されるようになりました。広島電鉄としての投入なので、仕様は広島電鉄標準となっているようですね・・・。エルガは入っていないようです。


 こちらは2014年に投入された
 エルガミオノンステ
 です。撮影できなかったのですが、レインボーⅡも一緒に投入されています。とはいえ、呉市交通局の中型車はそんなに数が多くなかったのですが、広島電鉄になってから中型車の投入が進められたため、呉駅には中型車が目立つようになりました。





 こちらは2014年に投入された
 ブルーリボンⅡノンステ
 です。ブルーリボンⅡも増備されました。呉地区について、大型車は日野、中型車はいすゞと日野の並行投入という感じになっているようです。というわけで、三菱ふそうは少しずつ数を減らしています。







 呉市交通局からの引き継ぎ車に関して、広電カラーへの
 塗装変更
 が全て完了していました。2012年3月末には苫小牧市、明石市、呉市が事業終了しましたが、苫小牧市は全てそのままで運用中、明石市は事業終了直後にナンバーを外し、1年近くかけて神姫バス及び山陽バスカラーに変更したうえで投入しているに対し、呉市はハイペースで広電カラーへ変更し、夏までには完了したようですね・・・。
 でも、呉市交通局の車両は広電にも在籍しているものと同じタイプが多いせいか、広電カラーに対する違和感はあまり感じませんでした・・・。でも、キュービックとかは違和感ありましたが・・・。




 行先表示に関して、番号表示が無くなり、経由地と行先表示のみというシンプルな表示になっていました。呉市交通局は元々系統番号は無く、行先表示にある番号は停留所の番号ですから、番号を無くしても無理ないですね・・・。しかし、今年から広島都市圏に系統番号の導入が行われ、その中で呉地区にも系統番号が導入されることになっているので、また表示に変化が生じるのかもしれませんね・・・。

 以上です。

宇都宮線205系Y12編成

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 宇都宮線には湘南色の帯を纏った205系4両編成×8本が活躍しています。今回はこのうちの
 Y12編成
 を見てみましょう。宇都宮線用205系は多くが京葉線からの転用で、前面形状が京葉線独特のものになっていますが、Y11編成とY12編成の2編成だけは埼京線からの転用であるため、先頭形状が205系標準になっている事がポイントです。





 写真は上から
 クハ205-612(クハ205-124)
 モハ205-612(モハ205-338)
 モハ204-612(モハ204-338)
 クハ204-612(クハ204-124)
 です。先頭形状が違う以外はクハ205形にトイレ、半自動ボタン取り付け、パンタグラフのシングルアーム式への取り替えなどは他の編成と共通です。ただ、元京葉線のは行先表示器が幕式になっているに対し、元埼京線のは行先表示器がLED式になっている事がポイントです。これは埼京線時代にLED化されていたものをそのまま使っているためです。前面行先表示は行先と宇都宮線の交互表示されています。ただ、行先表示はE231系の緑色ではなくオレンジ色で表示されています。

 宇都宮線用205系は多くが京葉線独特の先頭形状になっているので、一般的な形状は2編成しかなく、ある意味珍しい存在ですね・・・。
 以上です。

士別軌道 日野K-RC301P

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 士別軌道にはモノコックボディの
 日野K-RC301P
 が残存しており、現在復刻塗色に変更したうえで運用に就いています。そんな日野K-RC301Pを見てきましたので、レポートします。




 日野K-RC301Pは1982年式で、社番も82009となっています。この車両は士別軌道が自己発注で投入したものではなく、和寒町が使用していたものです。和寒町時代は自家用車として使われたのだと思われますが、士別軌道入りにあたって、ワンマン機器などを装備して一般路線で活躍しています。



 側面行先表示器は無く、サボで対応しています。でも、士別軌道は自家用車上りが多いため、側面行先表示はサボを使用しているケースが多いです。そして、扉横には出入口表示があり、幕式となっています。でも、この車両は前乗り前降りで使用しているため、前扉のみ「出入口」で表示されています。因みに前扉に整理券箱が置かれています。


 前面窓上に行先表示器が無いという典型的な自家用車スタイルです。でも、前面窓下に行先表示器が付いています。そして、日野のエンブレムが輝いていますね・・・。


 更にリアには日野RCのエンブレムも付いています。モノコック時代の日野にはリアなどにエンブレムが付いている事が当たり前だったようですね・・・。でも、色あせています。


 車内です。2人掛けシートが主体ですが、前中扉間の公式側のみ1人掛けソートが並んでいます。ただ、シート形状が違うので、おそらく和寒町時代は2人掛けシートが並んでいたのが士別軌道入りしてから一部を1人掛けシートに交換されたものだと思われます。あと、網棚や窓枠にある押しボタンなどが独特の雰囲気を醸し出しています。


 復刻塗色になる前のK-RC301Pです。現行塗色を纏っていました。


 当日は30線西3号→士別駅の便に入るということで、乗ってきました。士別駅~30銭西3号は中多寄線(士別駅~風連)の区間便に当たるもので、学休日運休です。K-RC301Pはその運用に入ることが多いと聞いていたので、朝一の風連行きに乗車して30線西3号まで先回りして待ちかまえました。そしたら、K-RC301Pがやって来ました。


 30線西3号
 バス停の近くにある広場で発車待ちしているシーンです。風連発着便は道路上で乗降扱いしますが、30線西3号発着便はここで乗車扱いするようです。


 30線西3号の待合室です。そのバス停にはバス停ポールが無く、待合室に時刻表が貼りつけられていました。因みにこの辺りはバス停ポールがあっても色あせてて読みにくいところが多いうえにバスの車内には次停留所表示が無いため、運転手に30線西3号で降りる旨を伝えて、そこに止めてもらいました・・・。


 K-RC301Pは30線西3号発7時50分の士別行きとなり、士別駅へ向かうわけですが、その途中で中多寄線のルートから外れて士別翔雲高校などを経由して士別駅に到着しました。因みに郊外線で朝一の士別行きは士別翔雲高校を経由するみたいですが、時刻表には何も記載されていませんでした。
 士別駅に到着後、入庫かと思いやバス乗り場へUターンし、数人の生徒を乗せて走り去って行きました。どうやら士別駅発の士別翔雲高校行きのスクールバスになったようです・・・。その後、入庫しました。




 しばらく士別軌道を撮影していないうちに
 新顔
 がやってきていました。ただ、新顔は全て元自家用車で、上から94006(旭川200か 866)、91026(旭川200か 877)、94031(旭川200か 914)です。U代とKC代ですね・・・。


 新顔が登場した一方、廃車となった車両もいます。写真は1989年式のP-HT235BAの89021ですが、後継車の投入に伴って廃車になったようです。元自家用車ですが、小型の前面行先表示器が特徴でした。

 車庫内での撮影は事務室の許可をいただいております。
 以上です。

中型ロングの投入が進む茨城交通

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 茨城交通では最近
 中型ロング
 の投入が相次いでいます。その中型ロングは全て京王バスからで、数もそれなり投入されているため、かっての元西武のように主力的なぞんざいになっているのかのように見えるほどです。そんな中型ロングを見てみましょう。









 こちらは
 日野HR
 です。2012年に初投入されてから継続して投入が進み、気づけば各営業所に配置されている始末です。でも、長期にわたって投入しているせいか、ノンステ表記の字体やLED表示器に差異が生じています。
 これだけ入れると、大型ノンステや中型ノンステよりも数が多いということになりますね・・・。






 こちらは日野HRと並行して投入が進んでいる
 日デJP
 です。2012年の初投入されていらい、順次投入されています。日野HRと同じく投入時期によってノンステ表記などに差異があります。特に前面の表記について、最初は「なかのり」が後に「ノンステップバス」と変化しています。一部はお絵かきバスとして走っています。



 日デJPのうち2台は
 復刻塗色
 で活躍しています。復刻塗色は昭和50年代に採用されていたカラーだそうで、おそらくモノコックボディの車両に施されたのでしょう・・・。


 元京王について、中型ロングだけでなく、純粋たる中型ノンステも投入されています。こちらは日デRMです。純正顔ですが、数はそんなに多くないようですね・・・。


 元京王バスの車両の投入が続く中、高速車については新車も投入されています。こちらは2013年に投入されたエアロエースです。2014年式のQRG代です。コンセント付きだそうですね・・・。


 こちらは茨城オートからの引き継ぎ車ですが、引き継ぎ車について茨城交通カラーへの変更が進められているようです。これは以前から進められているようですが、今回初めて見かけました。しかし、茨城交通カラーになると、自己発注車に見えますね・・・(茨城交通は自己発注でRJワンステを入れていないことは承知しておりますが・・・)。


 一方、古参車について目を転ずると、P代の車両はずいぶん淘汰が進んでいますが、その中で一つ目のRJが現役で走っていました。これは1987年式ですが、もう27年選手ですね・・・。



 元西武の日デUAもずいぶん数を減らしていて、水戸22かナンバーのP代もずいぶん数を減らしていて、見かけたのは1台ぐらい・・・。更に3扉車も廃車が発生しているようで、見かける機会も減ってきました。時代は変わるものですね・・・。


 そして、茨城交通で唯一のエアロスターKである408はまだ現役で走っているのを確認しています。1991年式ですが、元都営バスの車両で廃車が発生しているようで、ひょっとしたら安泰でないのかも・・・。このエアロスターKは一時期特定落ちしていたものが一般路線に復帰したそうで・・・。

 以上です。

滋賀県内の各駅前にある平和堂巡り その1(東海道本線編)

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 滋賀県内を鉄道で通っていると、各駅の近くに屋上に鳩マークを掲げた建物をお目にかかった方が多いかと思います。その建物は滋賀県を中心に近畿・東海・北陸に店舗を展開している総合スーパー大手の
 平和堂
 です。平和堂は1953年に彦根市で創業して以来、滋賀県各地に店舗を展開しており、滋賀県民にとってはなじみ深いスーパーでもあります。私も気付けばかなりお世話になっていました。
 そんな平和堂ですが、ドミナント戦略によって店舗を増やしていったため、滋賀県内の鉄道路線に乗っていると多くの駅の近くに平和堂の店舗を見かけることがよくあります。その各鉄道駅と近くにある平和堂をその1(東海道本線編)、その2(湖西線・北陸本線編)、その3(草津線、近江鉄道など編)の3回に分けてレポートしていきます。
 レポートに入る前に平和堂の基礎知識及びレポートにあたっての定義を述べます。
 平和堂は店舗拡大していく中でさまざまな出店パターンを取っていたため、店舗形態は大きく分けて3つあります。
 平和堂・・・ごく一般的な総合スーパー形態
 アルプラザ・・・総合スーパーに専門店を加えたもの
 フレンドマート・・・食料品+αに特化したもの(住宅地の中にあるごく普通なスーパーと同じ)
 このレポートでは基本的に総合スーパー形態とし、ごく普通のスーパーであるフレンドマートは対象外とします(例外あり)。平和堂といっても店舗縮小などでフレンドマートと変わらない状態になっている店もあるのですが、とりあえず対象としております。
 まず、東海道本線沿線からです。東海道本線沿線は大津~米原間で近くに平和堂が無い駅を数えた方が早いほどたくさんあります。

 1.大津駅

 滋賀県に入って最初に来る駅が
 大津駅
 です。駅の近くに県庁があり、滋賀県の中心部とも言えます。


 その大津駅の側に
 アルプラザ大津
 があります。アルプラザ大津は平和堂大津店として1974年に開業し、1986年にファッション品を強化したESTA(エスタ)に改称し、1994年に食料品も強化して現在のアルプラザになりました。アルプラザは新規開業もしくは既存平和堂店舗を新築移転したものがほとんどで、既存店舗をそのままアルプラザ化したのは大津店が唯一です。
 しかし、客の減少と建物の老朽化により、2013年末をもって閉店する予定でしたが、諸事情で閉店が延期になっています。因みに閉店して建物を解体し、新たにマンションを建設し、その1階にフレンドマートとして入居する予定と聞いています。
 現在は閉店を前提にテナントの撤退が進み1Fに衣服、B1Fに食料品が営業しているだけです。2F以上は閉鎖されましたが、B1・1Fにトイレが無い関係で2Fはトイレのためにごく一部が開放されている程度です。



 アルプラザ大津店の特徴として、駅舎と店を直結する通路がある事です。平和堂は基本的に駅前もしくは駅から離れた場所にあるため、駅舎から一旦駅前広場に出る必要があります。しかし、アルプラザ大津店は改札口すぐにある階段を上るとアルプラザ大津への連絡通路に入り、そのままアルプラザ大津の2Fに行く事が出来ます。そういう連絡通路がある店はここだけです。
 しかし、現在は大津駅の2Fが閉鎖され、更にアルプラザも2Fのほとんどが閉鎖されたため、連絡通路も閉鎖されています。連絡通路の案内が「平和堂」になっていて、かって平和堂だった名残りになっています。

 2.石山駅

 次の膳所駅は近くに平和堂が無いので、次は私の地元の
 石山駅
 となります。石山駅は滋賀県下の駅で最大乗降数を誇る駅です。


 その石山駅から徒歩5分ぐらいした商店街の中に
 平和堂石山店
 があります。平和堂石山店は1970年9月に平和堂第4号店として開業しました。石山店は典型的な総合スーパー形態で、初期の店舗形態を残す数少ない店舗です。最近の平和堂は環境変化などによりチェーン店の受け入れが増えているのですが、石山店はダイソーといったチェーン店が入居している程度で、大半の売り場が平和堂直営のままとなっている事がポイントです。
 そんな石山店ですが、石山駅周辺に雑貨店がほとんどないため、日用品などを買いに行く時に時折重宝しています(たまに食料品も・・・)。私にとって生活の一部とも言えましょうか・・・。何気なく利用してきた石山店が滋賀県に多数ある平和堂の第4号店と知った時は驚いたものです。


 平和堂石山店で最大のポイントは何ともいっても5Fです。5Fはゲーセンとレストランがあるのですが、ゲーセン部分はかってボーリング場でした。しかし、石山駅近くの国道1号線沿いに大きなボーリング場が出来ると、そちらへ客が行ってしまったためにボーリング場が閉鎖され、床をかさ上げした上でゲーセンに転用されました。でも、ゲーセン部分の床が一段低い状態なので、ボーリング場の名残りを残しているとも言えましょうか・・・。国道沿いのボーリング場の方は10年ぐらい前に閉店され、今はマンションが建っています。
 しかし、今年の秋にゲーセンが閉鎖され、遊戯類が全て撤去され、広大な空きスペースになっています。

 3.瀬田駅

 石山駅の次の駅の
 瀬田駅
 です。


 瀬田駅から少し草津方面へ歩くと
 アルプラザ瀬田
 があります。アルプラザ瀬田は1987年2月に開業しました。バブル期に開業したせいか、高級的なデザインが特徴で、特にエレベーターが凄いです。そして、国道1号線沿いにあるため、大型の立体駐車場が設けられています。そこまでいいのですが、客減少でテナントの撤退が進み、今はTSUTAYAが入居するなどテコ入れを図っています。開業間もない頃に行った記憶があるのですが、当時は屋上に遊園があり、所々賑わっていたような記憶があります。しかし、今は屋上は閉鎖され、4Fは塾などが入居しており、上はやや元気のない様子でした。


 3Fにはプレイランドが設けられており、そこには約15年前にブームとなった電車でGO!が置かれています。15年前は凄いブームで、草津などのゲーセンに置いてあったのを覚えています。今はほとんどのゲーセンから撤去され、プレイランドを中心に僅かに残っているにすぎません。実を言うと、電車でGO!が置かれている平和堂店舗はもう一つあるのですが、これは後ほど・・・。

 4.草津駅

 瀬田駅の次の南草津駅は平和堂は無いので(駅の近くにフレンドマートがあるけど・・・)、その次の
 草津駅
 です。草津駅は東海道本線と草津線が分岐する交通の拠点です。昔は宿場も設けられていましたね・・・。そのため、昔から駅周辺に平和堂、ヒカリ屋、近鉄百貨店などが出店し、競合していました。


 草津駅東口を出て、駅前広場を挟んで向かい側に
 くさつ平和堂
 があります。くさつ平和堂は平和堂草津店として1968年に開業しました。平和堂の第2号店で、この草津店の開店により琵琶湖ネックレスチェーン展開が本格的に始まりました。開業から50年以上たっているにもかかわらず建物の古さを感じさせないのは2000年に大幅改築を行ったためです。しかし、内部はテナントの撤退が進み、実質的に1Fの食料品、2Fの衣服のみの営業で、3Fは本屋などの専門店、4・5Fは塾が入居しています。なので、総合スーパーとしての機能はほぼ失われたという感じでしょうか・・・。


 駅側の正面出入り口です。外観が目新しいのですが、大幅改装した結果なんですが・・・。でも、大幅改装は客減少の苦境から延命した形ですが・・・。


 東口の反対側にあたる西口から少し歩くと
 アルプラザ草津
 があります。これは大型商業施設のエイスクエアの中にあり、1996年に開業しました。このアルプラザ草津の開業により平和堂とエルティ932の客がそこへ転移し、平和堂とエルティ932は店舗縮小を余儀なくされました。まさに厳しい競争ですね・・・。特にエルティ932の全盛時代を知っているだけに現状をみると目を覆いたくなります・・・。
 さて、アルプラザ草津は2階建てですが、店は平面に大きく広がっており、いくつかの専門店が入っています。建物外にも専門店があり、これらでエイスクエアを構成しています。イオンモールなどが出来た今でも賑わいはほぼ持続している事は嬉しい限りです。

 5.栗東駅

 草津駅の次の
 栗東駅
 です。1991年に開業した比較的新しい駅です。


 栗東駅の向かい側に
 アルプラザ栗東
 があります。これは2003年に開業したものですが、かっては栗東サティでした。しかし、サティを運営しているマイカルが破たんしたため、閉店する事になり、その店舗跡を平和堂が買い取ってアルプラザとして開業しました。ただ、アルプラザとして開業するための改装が短期間であったため、平和堂らしくない所がいくつか見られます。店自体は3階建てで、平和堂店舗と専門店が入っています。実は栗東サティ時代に行ったことあるのですが、ほとんど覚えてないなぁ・・・。



 アルプラザ栗東のアミューズメントにはN700系の乗り物が置かれていました。デパートのアミューズメントには新幹線などの乗り物が置かれているところが多いのですが、時代の変化に合わせて車両そのものも変化してきていますが、最近はN700系まで出てきているようです。そのN700系はLCD画面付きです。変わったなぁ・・・。

 6.守山駅

 栗東駅の次の
 守山駅
 です。


 守山駅西口を出て、少し歩くと
 平和堂守山店
 があります。1976年に開業しました。平和堂は駅~歩いて数分のところにあるのですが、駅からは見えません。平和堂周辺が高層マンションに囲まれているためなのですが、高層マンションはほとんどが近年に建設された新しいものばかりです。その中にやや古い建物が建っている自体が守山の発展を感じさせます。守山店は総合スーパー形態ですが、飲食店はありません。因みに開業時の写真がネットに出ていたのですが、建物そのものはそのままで、色だけ違っていました・・・。
 因みに守山駅から離れた西の方にアルプラザ守山があるのですが、対象外とします。


 守山店は店舗と駐車場が道路を挟んで別の建物になっており、これをつなぐ通路があります。こういうものはアルプラザ瀬田でも見られますが、道路をはさんでというのはあまり見かけないような・・・。

 7.野洲駅

 守山駅の次の
 野洲駅
 です。野洲駅には網干総合車両所野洲派出所があり、一部の列車はここを起終点としているほど列車運行上の拠点となっています。


 野洲駅東口を出て少し歩いた新幹線高架橋の側に
 アルプラザ野洲
 があります。2000年に平和堂野洲店を移転した上でアルプラザ化して開業しました。平和堂野洲店は平和堂第6号店として1971年に開業しているので、老朽化のためだと思われます。2階建てで、いろんな専門店が入っています。隣に新幹線が通っているので、新幹線の車窓からすぐ近くに平和堂のハートマークが出て来たのを見たお方が多数おられるかと思います。


 アルプラザ野洲の前に野洲市コミュニティバスが通っています。アルプラザの買い物客がコミュニティバスを利用している方がおられました。尚、一般路線はアルプラザ手前の道路を通るだけであるプラザには立ち寄りません(バス停も近くになし)。

 8.篠原駅

 野洲駅の次の
 篠原駅
 です。滋賀県に入って東海道本線の各駅は橋上駅舎が続いていましたが、篠原で初めて地上駅舎と出会う事になります。小さな駅舎というのはのどかな印象がありますね・・・。


 篠原駅から近江八幡方面へ少し歩くと
 平和堂篠原店
 があります。1990年に開業しました。平和堂は1980年代から店舗展開に当たって売り場面積をやや小さめにしていますが、篠原店はその仲間にあたります。従って、売り場は食料品、衣服、日用品と生活に必要な最低限のものが並べられています。篠原店の特徴として、1階が駐車場&専門店、2階が食料をはじめとする平和堂店舗であることがポイントです。そのため、1階から2階へは長いスロープが設置されています。平和堂でこういう形になっているのは少ないですね・・・。


 3階にはかってちびっこ広場と称するプレイランドがありましたが、プレイランドそのものが閉鎖され、一部を除いて物置になっています。平和堂では中型店でもこういうプレイランドが折られていましたが、最近は閉鎖が続いているようです。

 9.近江八幡駅

 篠原駅の次の
 近江八幡駅
 です。近江八幡市の中心駅で、草津以北の琵琶湖線で乗客の多い駅です。また、ここから近江鉄道線が分岐しています。


 近江八幡駅北口の向かい側に
 平和堂近江八幡店
 があります。1972年に開業した平和堂第7号店です。現存する平和堂で言うと5番目に古いものですね(第5・6号店は現存していない)。この店は総合スーパー形態が基本ですが、テナントの撤退や入れ替わりが進んでいます。確か、3F(だったと思う)に家具店が階全体に入居しています。



 平和堂近江八幡店を語るには外せないのが5Fにある鉄道運転模型「交通パノラマ」です。これは平和堂の創業者が趣味で設置したものです。これは以前に拙ブログの記事にてレポートしていますので、詳しくはそちらをごらんください。
 http://blog.goo.ne.jp/yoichiro1221_train223kei/e/0a9d2529590f74f4d2c2567cfdd8617c
 因みに小さい頃に訪れた事があり、当時は交通パノラマ館だけでなく、鉄道の前面展望を楽しめるゲーム機械もおかれていた記憶があります。それだけに昔は鉄分満載なプレイランドでした。今はプレイランドすら閉鎖してしまい、5Fは鉄道模型と飲食店1軒があるだけというさびしい状態になっています。


 近江八幡駅からちょっと歩いた先にある近江八幡市役所近くに
 アルプラザ近江八幡
 があります。これは元々ダイエーだったものを閉店後に平和堂が買い取って2007年にアルプラザとして開業したものです。因みにダイエー近江八幡店は滋賀県初のダイエー店舗でしたが、閉店により滋賀県からダイエーが無くなっています。このアルプラザは3Fに電気店のエディオンが入居している以外は基本的に典型的なアルプラザ形態です。私が中学生の頃、近江八幡で開催された駅伝大会に参加した時、その打ち上げ会のためにダイエー近江八幡店に行った記憶があります。

 10.能登川駅

 近江八幡駅の次は一駅飛んで
 能登川駅
 です。


 能登川駅西口に
 フレンドマート能登川店
 があります。本来なら対象外ですが、駅前にあるという事でちょっと取り上げます。フレンドマート能登川店は2003年に能登川駅の改装に合わせて平和堂能登川店(1977年開業)を移転してフレンドマート化したものです。ただ、フレンドマートといっても、TSUTAYAなどが入居しており、実質的に総合スーパー形態に近い感じになっています。
 ただ、老朽化した平和堂店舗の移転新築などに合わせてフレンドマート化するという動きがいくつか出ているので、能登川のようなケースが出てくるのかもしれません。

 10.河瀬駅

 能登川駅の次は一駅飛んで
 河瀬駅
 です。


 河瀬駅西口から琵琶湖線沿いを北へ向かい、県道196号線を北西へ向かうと、
 平和堂日夏店
 があります。河瀬駅近くの平和堂は河瀬店でなく、日夏店となっています。これは平和堂の所在地が日夏町である事から来ています(河瀬駅は南河瀬町)。1991年に開業した中型店で、2階建てとなっています。篠原店と同じように駅からちょっと歩いたところに平和堂が位置しているのは駅周辺の住民や駅からかなり離れたところの住民の両方をカバーできるようにしているためです。駅からちょっと離れた場所に中型店を開店するのは1980年代から1990年代にかけての特徴です。

 11.南彦根駅

 河瀬駅の次は
 南彦根駅
 です。周辺のベッドタウン化に伴って1981年に開業した比較的新しい駅です。


 南彦根駅東口から歩いてすぐのところに
 ビバシティ彦根
 があります。これは平和堂が「京滋最大級の大型複合商業施設」として1996年に開業しました。アルプラザを上回る大型商業施設で、3階建ての建物に平和堂店舗をはじめ多数の専門店街にボーリング場、映画館などの娯楽施設が入っています。最近各地で開業が相次いでいるイオンモールと似た形態です。滋賀県では守山市にピエリ守山、竜王町に三井アウトレットパーク、草津市にイオンモール草津などの開店が相次いでいますが、ビバシティはその先駆けに当たります。しかも、滋賀県北部における大型商業施設はビバシティが唯一なので、開業から15年以上経った現在も盛業中です。
 開店当時、ビバシティの近くに住む私の友人がビバシティのことについて色々話をされていて、かなり離れた滋賀県南部に住む私にとって羨ましく思ったものです(当時の世間話はビバシティの話で持ちきりでした)。でも、私は次の年にその友人の家へ遊びに行くついでに初めてビバシティに行きました。その時は圧倒的な広さにビックリの連続でした。


 ビバシティのプレイランドにはN700系の乗り物が置かれていました。アルプラザ栗東と同じものですね・・・(形は多少違いますが・・・)。


 ビバシティの隣には
 平和堂本部
 があります。つまり、平和堂の本社ということになります。平和堂は彦根で創業しており、それ以来ずーっと彦根に本部を構えています。ビバシティと比べると地味ですが、これでも滋賀県を中心に近畿、北陸、東海そして中国に店舗を展開しているのだから・・・。

 12.彦根駅

 南彦根駅の次は
 彦根駅
 です。近江鉄道と接続している滋賀県北部の中心を成す駅です。


 彦根駅西口の駅前広場の向かい側に
 アルプラザ彦根
 があります。これはアルプラザの第1号店として1979年に開店しました。平和堂は総合スーパー形態ですが、アルプラザは総合スーパー形態を基本に専門店を充実化した事がポイントです。アルプラザは一般的に駅から少し離れた広い土地に3階建てという構成が基本なのですが、開店当時は駅前に4~5階建てという構成が基本であったため、アルプラザとしては珍しく6階建てとなっています。珍しいというか初期の平和堂の形そのものになっている感じでしょうか・・・。とはいえ、最近はテナントの撤退が少しずつ進んでいて、特にレストランは1~2店のみと他の平和堂並みになっています。
 因みに彦根駅から少し離れた銀座商店街に彦根銀座店がありますが、これは最寄り駅が近江鉄道ひこね芹川駅であるため、その3にて紹介します。



 アルプラザ彦根では6Fに
 鉄道模型店
 があり、広大なジオラマがあります。多数の鉄道模型が展示されており、運転する事も出来ます。平和堂近江八幡店と並んで鉄道ファンにはオススメなポイントです。

 13.米原駅

 彦根駅の次は
 米原駅
 です。東海道本線と北陸本線が分岐する昔からの鉄道の拠点で、更に新幹線や近江鉄道と接続しています。まさしく鉄道によって栄えた町です。


 新幹線側の米原駅西口の駅前広場の向かい側に
 平和堂米原店
 があります。平和堂米原店は1986年に開店しましたが、当時の形態に沿った3階建ての中型店となっています。とはいえ、テナントの撤退や入れ替わりが進んでいるのですが、1Fのフードコートが特にさびしくなっています(かってはマクドナルドあったのに無くなってしまったし・・・)。そして、3Fには時間制のプレイランドがあり、電車でGO!が置かれています。平和堂で電車でGO!が遊べるのはアルプラザ瀬田と平和堂米原店ぐらいです。


 1Fに遊戯設備があり、そのにはC57型の乗り物があります。平和堂は基本的に新幹線と205系が多いのですが、SLなのは米原店ぐらいです。そうそう、米原はSL北びわこ号の起点駅なので、それに習ってSLを置いたのでしょうか・・・。北びわこ号はC56型が基本ですが、たまにC57型も牽引するので、まさにピッタリですね・・・。

 東海道本線米原以東には平和堂店舗が無いので(フレンドマートはあるけど・・・)、以上になります。
 その2(湖西線・北陸本線編)に続きます。

南越後観光バス 津南営業所管内

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 南越後観光バスのエリアの一つに津南町があり、その津南町に
 津南営業所
 を置き、津南発着の路線バスを運行しています。そんな津南を訪れてきましたのでレポートします。



 津南管内の中で主力なのが
 十日町~津南線
 です。飯山線に並行していますが、飯山線の本数が少ないため、1時間に1~2本地方にしては本数が多いことがポイントです。飯山線に並行しているとはいえ、全ての便において津南駅を経由せず、津南駅から少し離れた中心部を通ります。一部の便は津南より先の源内山(津南原)まで行きます。
 この路線は幹線らしく、大型車がメインです。


 こちらは
 湯沢~清津峠~津南~森宮野原駅線
 です。一部の停留所を通過する急行バスとして運行されています。これは越後湯沢駅から清津峠を通って津南に至る路線で、津南から新幹線駅へのアクセスを担っています。この路線は4往復の運行ですが、新幹線駅へのアクセスを担っているため、乗客はそこそこ乗っています。この系統は津南と湯沢の共管で、大型車が充当されています。
 因みに森宮野原駅到着後、津南営業所へ回送してここで休憩するようです。


 こちらは
 津南~秋山郷線
 です。津南から津南町南部にある秋山郷を結ぶ路線で、4路線ある津南ローカルの一つです。終点は和山温泉ですが、一部便は途中の大赤沢、見玉止まりとなっています。基本的に津南発で、中心部を通って秋山郷へ向かうため、津南駅は朝夕の一部便しか立ち寄りません。


 こちらは
 津南~鹿渡新田線
 です。津南から飯山線に沿って鹿渡新田へ向かう路線です。津南ローカル線の一つですが、津南ローカルの中で路線長が一番短く、全便が津南駅を経由しています。津南営業所又は津南中学校から津南駅前を通って飯山線に沿って向かいます。津南管内の路線はほとんどが信濃川より南側を通るのですが、この路線だけは信濃川の北側を通ります。


 こちらは
 津南~中子線
 です。津南から津南町の南西部にある中子を結ぶ路線です。津南ローカル線の一つです。


 こちらは
 津南~百ノ木線
 です。津南から飯山線に沿って西へ向かい、更に新潟県と長野県の県境近くにある県道238号線を南下して津南町南西部にある百ノ木へ向かう路線です。百ノ木と中子は近いのですが、ルートは全く異なります。一部の便は森宮野原駅を経由します。この路線は津南ローカルの一つですが、津南ローカルで唯一津南駅を経由しません。



 津南行きのバスです。実を言うと、津南行きといっても、津南、津南小学校、津南中学校、津南営業所、津南病院、津南駅と多数あり、同じ路線でも便によって行先が異なります。南越後観光バスの路線の中で一番ややこしいなと感じたのが津南でした。行先がバラバラなので、まとめて撮るのにどこで撮ればいいのかわからなかったほどです。


 こちらは
 津南バス停
 です。津南の中心部の端っこにありますが、津南管内の路線の全てがここを通ります(ただし、全便ではない)。なので、実質的に津南管内の中心的なバス停とも言えましょう。


 こちらは
 津南役場前バス停
 です。津南の隣のバス停です。津南町役場最寄りのバス停で、全路線が通っています。商店街の中にあるので、実質的に津南の中心部にあたります。



 こちらは
 津南駅前バス停
 です。飯山線津南駅前にあるバス停ですが、津南の中心部から信濃川をはさんで離れています。そのため、駅に乗り入れて来るバスは鹿渡新田方面がメインで、中子方面(一部のみ)、秋山郷方面(朝夕のみ)が乗り入れてくる程度です。中心部から離れているので、バスの本数が少ないのも無理ありませんね・・・。




 こちらは
 津南営業所
 です。津南の中心部の外れにあり、津南バス停から中津川の橋を渡ってすぐのところにあります。しかも、営業所自体は道路よりもかなり低い場所にあるため、道路から営業所へのアクセス道路が急坂になっています。
 営業所最寄りバス停の名称が「大割野車庫」となっています。南越後観光バスの車庫前のバス停はみんな営業所の名前そのままになっているのですが、○○営業所と○○車庫が異なるのは津南だけです。津南ローカルの一部便はここが起終点としていますが、十日町~津南線もここを起終点としています(路線時刻表には記載されていませんが・・・)。

 津南地区の時刻表をぱっと見ただけでは行先が多すぎてわかりにくいなと思っていたのですが、実際に行ってみると、行先が多すぎるだけで経路自体はそんなにややこしくなかったと感じました。更に十日町~津南線の本数の多さも鉄道線の本数が少なかった昔の路線バスの姿を残しているように感じました。
 以上です。

N-6245納車

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 京阪バス大津に
 N-6245
 が納車されました。いすゞのエルガ(QKG-LV234N3)で、ナンバーは滋賀200か1026となります。



 N-6245の投入により、大津の大型ノンステは12台となり、このうち9台をエルガで占める形になりました。基本的な仕様は従来車とほぼ変わりません。


 代替はA-3797です。これにより、ついに大津からAタイプが消滅しました。2012年に大阪地区からAタイプが消滅した時はまだかなりの数のAタイプが走っていて主力的な存在でしたが、ここ2年間の間に大型ノンステが12台投入され、急速に代替されていき、気づけばAタイプが消えてしまったのが実情です。そして、大津のツーステ&前後扉車もB-1939の1台のみとなりました。Bタイプが故にBタイプの運用や貸切以外に入る機会は限られてしまいますが・・・。
 A-3797はA-3798と同じく予備的な存在で、神出鬼没でした。でも、滋賀大学やテニス関係などの臨時バスによく入っているのを見かけたものです。



 A-3797を最後に撮影したのが11月29日でしたが、ひょっとしたら石山駅でAタイプを撮影することはもうないのかもしれませんね・・・。最晩年は一部の幕が旧幕に交換されていました。

 Aタイプが消滅したということは一つの時代が終わったのかもしれませんが、これによって大津管内は原則的に全ての便において低床化が図られたので、ある意味バリアフリーになったかと思います。
 以上です。

北斗星の廃止に寄せて

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 本日、上野~札幌を結ぶ
 北斗星
 の廃止が報道されました。

 私はそこを聞いて、
 「えっ、もう来春で廃止!?」
 という感じでした。そもそも、北斗星は北海道新幹線が開業する2016年春がタイムリミットだと思っていたのですが、トワイライトエクスプレスと同時にタイムリミットを迎える事になった事に驚きました。理由は北海道新幹線の試運転の時間確保や車両の老朽化が主な理由のようですね。


 乗客減でブルートレインの廃止が相次ぎ、今度は車両の老朽化を理由に人気列車にメスが入ったという感じですが、今回の北斗星の廃止によって
 ブルートレイン
 の定期列車が消滅し、更に定期の寝台特急もサンライズのみになってしまいますね。トワイライトエクスプレスの方は完全廃止みたいですが、北斗星の方は当分の間、臨時列車として運行するみたいですね・・・。
 私にとって、北斗星に乗ったのは4回ですが、上りが3回と多く、下りは1回だけです。また下りに乗ってみたいのですが、廃止が発表されたので、プラチナチケット化するだろうし・・・(こないだのトワイライトの時は苦労して取ったし・・・)。

 今回のトワイライトエクスプレスと北斗星の廃止は一つの時代の区切りに感じますね・・・。いつでもゆっくりと列車に揺れられながら北海道へ行くことも出来なくなってしまいますし・・・。
 以上です。
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