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Channel: 斬剣次郎の鉄道・バス斬り
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西日本JRバスのノンステ新車

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 西日本JRバスでは2013年に
 ノンステ新車
 を投入し、園福線で活躍しています。西日本JRバスではKC代投入後、2004年にPA代のワンステが投入されていますが、今回の新車はそれ以来となる一般路線用新車で、ノンステは初めてとなります。
 ノンステ新車は2013年秋に3台が入り、2014年3月に更に1台追加されています。



 こちらは2013年9月に投入された
 531−3940
 で、エルガのノンステです。大型車の新車はKC代以来となるので、約15年ぶりになるでしょうか・・・。エルガはQPG−LV234N3で、サーモキング製のクーラーが採用されています。そのエルガは郊外仕様で、右側給油です。
 JRバスで大型ノンステの新車を入れるのケースは少なく、北海道、中国、九州に次いで4例目となります。西日本JRバスがあそこまでやるとは思いもしませんでした・・・。



 こちらは2013年9月に投入された
 331−3941
 で、エルガミオのノンステです。エルガミオの新車は約9年ぶりですが、ノンステは今回が初めてとなります。SKG−LR290J1で、サーモキング製のクーラーが採用されています。エルガと同じく郊外仕様で、右側給油です。



 こちらは2013年9月に投入された
 331−3942
 で、エルガミオのノンステです。仕様は331−3941と同じです。



 こちらは2014年3月に投入された
 331−3941
 で、エルガミオのノンステです。2013年投入分の増備車にあたるものですが、仕様はほぼ同じのようですね。
 これによりノンステが4台になったわけですが、私が撮影した時は3台が動いていて、半分以上がノンステによる運行になっていました。因みに桧山バス停の時刻にはノンステダイヤが書かれていますが、撮影当日はそれ以上にノンステが運行されていました。





 桧山で見かけたツーステたちです。ツーステはエアロミディが2台、エアロスターが2台(うち1台は走行中に目撃)、キュービックが1台の計5台がいるのを確認しています。でも、顔ぶれが京都とほぼ変わらないせいか、減ったような印象がありませんでした・・・。最古参はエアロミディの334−5911でした。

 車庫内での撮影は事務室の許可をいただいております。
 以上です。

キハ183−104

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 キハ183形100番台
 は不足する先頭車を補うために1985年にキハ184形から先頭車化改造したもので、外観スタイルから「白ボウズ」と呼ばれています。jキハ183形100番台は4両が登場しましたが、急行「まりも」の廃止により3両が廃車され、キハ183−104のみ残っています。キハ183−104は主にオホーツクで使用されていますが、1両のみが故になかなか捕まえづらく、今回ようやくじっくりと撮影することができました。


 キハ183−104はキハ184−5を先頭車化改造したもので、後位部分に運転台を取り付けています。登場当初は国鉄色でしたが、JR化以後に現塗色に変更されています。


 先頭部分です。新設された先頭部分は貫通型となったことがポイントです。これまでキハ183系の先頭車は全て非貫通型でしたが、中間車として使用する事を考慮して貫通型としています。そのため、外観的にはキハ80系と似た感じで、屋根上に前面灯2つが付いています。100番台は500番台より先に登場しているので、キハ183系にとって初めてとなる貫通型先頭車となりますね・・・。
 尚、貫通扉には特急マークが付いていましたが、撤去されてしまったようですね・・・。


 出入口付近です。キハ184形は長編成における電源供給のために電源機関室を設けたことがポイントですが、先頭車化改造しても機関室はそのまま残されています。キハ184形は全車廃車されているため、キハ183−104はキハ184形の最後の生き残りとも言えましょう。


 キハ183形100番台のもう一つの特徴として、側面行先表示器が運転台近くに設けられている事です。通常はドアの近くに設けるのですが、キハ184形は機関室があるせいか、ドアとは反対側に設けていました。それが先頭車化改造してもそのまま残されました。でも、オホーツクでは自由席車として使用されており、2号車の扉と隣り合わせなので、2号車の側面行先表示を確認すれば十分ですね・・・。



 キハ183−104の出入口から入ると、すぐに機関室に当たるため、通路が片寄っている事が特徴です。その通路には折りたたみ座席が2脚設置されている他、機関室の火災に対応するため消火器が2個設置されています。これらはキハ184形独特の仕様ですが、今はキハ183−104が唯一です。


 冬に撮影したキハ183−104です。車体に雪が付着していても、走り続けています。

 来年度からキハ261系を追加投入するとアナウンスしており、キハ183−104も危なくなってきました・・・(初期車の仲間ですからね)。
 以上です。

第14回スルッとKANSAIバスまつり

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 本日、姫路大手前公園において、
 スルッとKANSAIバスまつり
 が行われました。2008年の第8回以来となる姫路での開催ですが、場所は少し違う場所となっています。今年は会場が比較的狭かった事もあり、車両展示数が21台と少なめでしたが、グッズ類は限定物が出るなど充実していたようですね・・・。





 京阪バス
 では先日に納車されてばかりの新しい定期観光バスのC−3279が展示されていました。京都をイメージした新しいデザインになっていますが、それだけでなく久々のSHDが採用されたこともポイントです。車内もこれまでと大きく異なり、茶系でまとめられ、更にコンセントも付いていました。にしても、京阪バスがまさか希望ナンバーを採用するとは・・・。
 そういや、前回の姫路開催時も定期観光バスの車両が展示されてましたね・・・。



 京都市交通局
 は洛バスの1507が展示されていました。今年から洛バスのデザインが新しくなったこともあり、そのPRを兼ねてのことでしょうか・・・。イベント終了前に幕回しが行われ、多数の撮影者で賑わっていました。


 今回は展示車両が少なかった割に特別参加という形で
 西日本JRバス
 のエルガミオが展示されていました。そこが予想外でした・・・。西日本JRバスはスルッとKANSAIカードやPiTaPaを導入していないにもかかわらず・・・。
 昨年展示されていた江若交通、南海りんかんバス、水間鉄道などは展示されず、江若交通はブースのみの参加でした。会場の関係でしょうか・・・(今年は軍師勘兵衛のPRを兼ねているということもありますし・・・)。




 大阪市交通局
 ではゼブラバスの19−1422が展示されていました。ゼブラバスは各営業所に1台ずつが配置されていますが、今回展示されたのは守口所属のものです。ゼブラバスは外見だけでなく、車内において広告がモダンをイメージしたものが使われるなど凝ったものになっていました。なるほどです。




 山陽バス
 では今夏に入った夜行高速バス用のセレガが展示されていました。その時、仮眠室が公開されていたので(山陽バスはいつもですが・・・)、少し見てきました。仮眠室は横になるだけでなく、運転台との連絡用電話器やブザーなどが用意されていました。そして、客室とのドアも・・・。ドアが小さいので、出入りするのに苦労しそうな感じでした・・・(夜行バスに乗っていると、車内から仮眠室に出入りする乗務員をよく見かけるので・・・)。あと、コンセントも付いていました。



 地元の
 神姫バス
 では昨年と同じく連接バスが展示されていました。連接バスの導入後、関西初の連接バスとあって注目的な存在になりましたね・・・。そして、ものしり教室&綱引きなど用としてブルーリボン?の7970が使用されていました。



 今年の展示車両を見ていくと、三菱ふそうの展示が高槻市交通部と阪急バスの2事業者のみと寂しい状態でした。神戸市交通局のこぺっこバス、神姫バスのシータロG、京都市交通局の西工ノンステを除けば全てJ−BUSで占められていました。まぁ、関西ではすっかりJ−BUSが主力になってしまったということもありますが、三菱ふそう好きの私にすれば寂しい印象でした・・・。でも、J−BUSの車両たちでも魅力のある車両ばかりだったので、悪くはないですが・・・。




 イベント終了後恒例の車両パレードです。今年は会場から姫路城を背に姫路駅へ向かうルートで行うとアナウンスされていたこともあり、多数の方が撮影されていました。そのトリを連接バスが務めていたのですが、連接バスが故に前後に車を配置して走行していました。連接バスはあらかじめ定められた道路以外を走るのに色々苦労されていることが伺えました(日本は連接バスが一般的でないということもありますが・・・)。

 以上です。

上り臨時寝台特急「あけぼの」 乗車記

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 2014年3月改正で
 寝台特急「あけぼの」
 が廃止され、以後はGWや盆休みに臨時として運行されています。そんな臨時特急「あけぼの」に乗車してきましたのでレポートします。臨時では定期列車時代から時刻が大幅に変わり、特に下りの青森着が12時台になるなど本来の利用からほぼ無視したような設定となり、車両も6両編成に減車され、とりあえず運行しているような状態でした。


 上りは青森発が17時11分ですが、青森駅には16時40分ごろに3番ホームに入線してきました。約30分停車となりますが、これた定期時代よりやや長くなって驚きました。約30分間という時間はやや長めということもあり、みんなが思い思いに撮影していました。


 機関車は
 EF81 139
 でした。長岡まで務めます。臨時特急の牽引機は定期時代と変わらず、牽引区間も同じです。したがって、編成が短くなった以外は定期時代とほぼ変わらない姿です。








 客車です。乗車時の編成は以下の通りです。
 1号車 オハネフ25 202
 2号車 オハネ24 7
 3号車 オハネ24 44
 4号車 オハネ25 220
 5号車 オハネ24 554
 6号車 オハネフ24 21
     カニ24 102
 定期時代は9両編成が基本でしたが、臨時では6両編成となっています。定期時代からA寝台、ソロ、B寝台各1両ずつが減っていました。でも、基本的に定期列車時代とおなじ車両が使用されており、中には北斗星用だった車両もいました。


 臨時列車ではA寝台、ソロ、B寝台が減車されたため、6両編成全てがB寝台となり、5号車のソロが唯一の個室で、それ以外が開放寝台となりました。日本海やきたぐにではA寝台などが全て減車され、B寝台の解放寝台のみが残った事を考えると、個室寝台が残ったのは奇跡でしょうか・・・。でも、ソロが1両のみとは少々さびしそうな感じでした・・・。



 青森駅の案内表示ですが、表示には「臨時寝台特急」と案内されていました。つまり、「あけぼの」は寝台特急ではなく、臨時寝台特急になっている事がわかります。時代の流れでしょうか・・・。でも、ホーム上の乗車口表示ではまだ寝台特急になっていました。




 今回は
 ソロ
 が取れたので、そこに乗車します。上段で、しかも進行方向なので、GOODな環境でした。ソロの上段に乗るのは数年ぶりですが、車内に入るとロープが付いていました。これは転落防止のためですが、室内の半分にロープが付いている感じなので、室内移動に苦労しそうな感じでした(実際にロープが邪魔でしたが・・・)。そして、転落防止のためなのか、枕の位置に関して注意表記がありました。おそらく、進行方向に足を置こうとして、ドア側に頭を向けて落下事故につながったのかもしれませんね・・・。


 17時11分に
 青森
 を出発しました。ゆっくりとホームを出て、奥羽本線を南下していきます。




 そして、次の
 新青森
 に到着し、ここで7分停車です。定期時代はすぐに出発しましたが、臨時はしばらくの停車です。とはいえ、新幹線が出来てから「あけぼの」が新青森に停車するようになりましたね・・・。でも、あけぼのより遅い新幹線に乗ると、当日中に東京に着いてしまうんですよね・・・。


 新青森を出発し、次の津軽新城で運転停車です。ここで普通列車と交換しますが、あけぼのでは臨時でもいくつかの駅に運転停車します。


 新青森を出て次に
 弘前
 に停車しました。この時、701系やキハ40系や弘南鉄道など多数の車両が迎えていました。







 弘前を出ると、大鰐温泉、碇ヶ関、大館、鷹ノ巣、二ツ井、東能代と停車していき、ここで少しずつ乗客を拾っていきます。各駅では駅舎が山側で、個室も山側であったため、各駅の改札口を眺める事が出来ました。各駅の改札口では名産物や観光案内などが置かれており、風土を感じさせました。



 定刻から少し遅れて
 秋田
 に到着しました。ここで3分間停車し、乗務員交代します。定期時代は4番ホームでしたが、臨時では2番ホームで乗降扱いです。ホームが変わったにもかかわらず2番ホームには乗車口案内が設置されていたことは驚きでした。それだけに「あけぼの」は奥羽本線や羽越本線沿線にとって東京への移動に欠かせない列車だったんですね・・・。
 この後は少しうとうとになりながらも景色を眺めながら過ごしていました。鶴岡を過ぎた辺りから就寝に入りました。


 5時半ごろに起床すると、既に高崎線を走行していました。東北では曇り空でしたが、関東は晴れのようです。



 6時20分に終点の
 上野
 に到着しました。定期時代から約30分繰り上げとなり、朝早い到着になってしまいましたが、多数の方が降車し、カメラを向けていました。「あけぼの」では朝ラッシュを避けるために朝早い時間帯に到着していたのですが、6時20分とはさすがに早いなと思うのですが、臨時なので仕方がない面もありますが・・・。
 長岡からはEF64 1051の牽引でした。

 臨時化でもそれなりに乗車していた感じでしたが、それでもほどなくして設定が無くなってしまうのでしょうか・・・。日本海ときたぐにでは1年もしないうちに設定が無くなってしまったし・・・。
 以上です。

旭川駅前バスプール完成

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 先日に旭川駅でバスの撮影を行うために旭川駅に下車して、駅舎を出ると、駅前に
 バスプール
 が完成し、一部の路線がバスプール内から発着するようになり、かつバスの待機場として使うようになりました。これは今年の7月1日より使用が始まったものです。尚、バスプールは「バスタッチ」として案内されています。



 バスプールは旭川駅の東方に設けられ、東口改札口を出て外に出るとすぐに位置しています。バスプールは緑橋通から直線でつながっており、バスはラケット状で回るようになっています。乗り場は1〜9番があり、2・3番が道北バス、4・5・6番が旭川電気軌道が使用し、7〜9番は降車専用、1番は未使用という形になっています。


 2番乗り場に停車中の道北バスの急行名寄行きです。道北バスは名寄・層雲峡・白金・美瑛方面といった中距離の路線がバスプールに移りました。旭川電気軌道は旭岳・旭川空港・旭山動物園方面の路線がバスプールに移りましたが、10月には東川方面の路線も移ってくる予定です。これらの路線はこれまで宮下通上及び緑橋通上にあるバス停に発着していたので、便利になりました。ただ、高速バスは従来通りです。


 こちらは宮下通上のバス停で発着している旭川電気軌道の6系統です。市内線のほとんどは従来通りで、駅だけでなく、一条通上にあるバス停(1条7丁目と1条8丁目)も引き続き使用しています。なので、ややこしさは相変わらずです・・・。でも、観光地へ向かう路線はほとんどがバスプールに集約されているので、わかりやすくなったのかもしれませんね・・・。



 バスプール上で待機しているバスたちです。旭川電気軌道と道北バスの両方とも待機に使用しているようです。ただ、バスプールから発着する路線に充当される車両よりも道路上から発着する路線に充当される車両が待機しているケースが多いようです。なので、回送でやってて、待機後に回送で出ていくシーンをよく見かけました。
 これはもしかしたら、旭川駅の近くに設けていた待機場の一部をバスプールへ移したのでしょうか・・・。旭川でバス待機の様子を撮影するなんて新鮮に感じたものです。



 旧駅舎時代の写真です。旧駅舎時代は駅前に広場がありましたが、駐車場が大部分を占めていて、バスの発着はほとんどありませんでした。旭川ぐるっと観光バスがかろうじて広場で発着していたぐらいでしょうか・・・。下の写真は旭川電気軌道の6系統ですが、今も昔も同じ場所から発着しています。背後にある大きな屋根は撤去され、今は見る事が出来ません。


 前回撮影時に撮影できなかった旭川電気軌道のエアロスターの2001をようやく撮影できました。バスプールで待機しているところをバルブ撮影しました。尚、撮影当日はQKG代のエアロスターノンステは2台とも1系統に充当されていました。

 以上です。

緑駅

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 緑駅
 は釧網本線にあるJR北海道の駅です。この駅は無人駅ですが、網走方の普通列車の一部がここで折り返しており、行先表示に出てくる駅でもあります。



 緑は相対式ホームの2面2線を持っており、交換可能駅です。昔は1番ホームの側に側線などを持っていたそうですが、貨物輸送の廃止などによって撤去されています。2つのホームの間を構内踏切で結んでおり、1番ホームにはその階段があります。階段にはゴムシートが敷かれており、いかにも北海道らしい雰囲気ですね・・・。


 駅標です。




 駅舎
 です。緑は駅舎を持っていて、1番ホームに隣接して設けられています。ただ、無人駅となっているため、事務室は閉鎖されていて、待合室のみ開いている状態です。改札ラッチは無く、待合室から直接ホームに入れる構造になっています。
 上から2番目の写真はホームから見たものですが、北国らしく除雪機械が常備されています。でも、この駅は定期的に整備しているようで、駅舎周辺には花壇がありました。


 駅舎から見た駅前の光景です。住宅がまばらに広がっており、のどかな光景になっています。なんか、北海道らしい光景ですね・・・。



 丁度、釧路方面からの普通列車が到着し、ここで列車交換が行われていました。緑は交換可能なので、こういう光景が見られます。尚、ホームは1番が釧路方面及び緑折り返し列車、2番が網走方面と使い分けています。

 以上です。

N−6239・6240納車

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 京阪バスの大津支所に
 N−6239・6240
 が納車されました。いすゞエルガで、QKG−LV234N3となります。基本的に仕様は昨年投入分とはあまり変わっていないようです。これで、大津の大型ノンステは9台となりました。このうちエルガは6台となり、大型ノンステの主力的な存在になりましたね・・・。



 こちらは
 N−6239
 で、ナンバーは滋賀200か1013となります。ナンバーがN−3100の続番になっていますが、滋賀ナンバーが1000台を突破してからの最初の新車となりますね・・・。



 こちらは
 N−6240
 で、ナンバーは滋賀200か1014となります。



 代替はA−1961とA−3798です。大津のAタイプは5台いましたが、このうち2台が代替となったため、3台に減ってしまいました。というか、2000年式のAタイプがとうとう代替になってしまったことを考えると、いよいよか・・・という感じです。
 A−1961は大阪地区で最後まで残ったAタイプで、大津に転入した後も主力的に活躍していたので、よく見かける存在でした。A−3798は転入してから数年は主力で活躍していましたが、その後は予備車的な使われ方をするようになり、浜大津方面など色んな系統に突然入ったりするなど神出鬼没的な存在でした。

 以上です。

上高地シャトルバスのハイブリッドバスたち

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 アルピコ交通では
 上高地シャトルバス
 を運行していますが、環境保護のためにハイブリッドバスを大量に投入し、これを投入しています。これらのハイブリッドバスの中心を担っているのがセレガで、2002年から順次投入が進められ、シャトルバスだけでなく高速バスや貸切バスなども拡大しています。
 そんな中で、上高地シャトルバスで活躍しているハイブリッドバスたちを見てみましょう。



 こちらは2002年式の
 セレガ HIMR
 です。型式はHM−RU2PPERです。これまではブルーリボンで投入していましたが、2002年投入分からセレガでの投入となりました。セレガのハイブリッド自体は1997年に発売されているのですが、当時の松本電鉄ではブルーリボンを投入していました。でも、急坂が続くので、高出力を求めてセレガに変えたのだと思われます(セレガのハイブリッドは高出力を求める事業者が好んで投入したみたいですし)。
 完全な路線車が故にメトロ窓かつ折戸になっている事がポイントです。現時点で上高地シャトルバスにおいて定期的に使用される最古参となっています(ブルーリボンは既に全車が定期運用から降りているみたいなので・・・)。
 写真は上から10270(松本200か 253)、10275(松本200か 259)です。






 こちらは2003年式の
 セレガR HIMR
 です。型式はHM−RU2PPERです。2003年にセレガはマイナーチェンジがなされ、前面マスクに変化が生じていますが、HIMRもそれに合わせてセレガRマスクとなり、名称もセレガR HIMRに変わっています。前面マスクの変更だけでなく、窓周りの塗装も変わり、2002年式からやや引き締まった感じになりました。他にデーラーも直結式になっています。メトロ窓と折戸は変わっていません。
 2003年式は10台以上と大量投入されたため、よく見かけました。写真は上から
 10374(松本200か 325)
 10375(松本200か 326)
 10376(松本200か 327)
 10377(松本200か 328)
 10379(松本200か 330)
 です。こんなにたくさん見かけました。



 こちらも2003年式のセレガR HIMRですが、善光寺御開帳シャトル輸送のために川中島バスへ貸し出ししていたため、ナンバーが新しくなっています。でも、一応2003年式の仲間です。写真は上から10370(松本200か 711)と10372(松本200か 713)です。





 こちらは2004年式の
 セレガR HIMR
 です。型式はHM−RU2PPERです。基本的に2003年式と同じです。この年も10台が投入されましたが、これを持ってしばらく投入が途絶えます。セレガR HIMRは2005年に新短期規制に適合する形でセレガR ハイブリッドへマイナーチェンジされていますが、松本電鉄では高速バスや貸切を含めて投入していないようです。写真は上から
 10450(松本200か 402)
 10451(松本200か 403)
 10454(松本200か 406)
 10459(松本200か 411)
 です。




 こちらは2004年式の
 セレガR HIMR
 です。型式はHM−RU2PPERです。こちらは元々貸切用として投入されたもので、アルピコ交通になった時に一般路線車になりました。元々貸切用として投入しているため、窓がT字窓で、スイングドアになっています。ただ、行先表示については車両によってサボで対応したり、LED式行先表示器を取り付けたりしています。
 写真は上から
 04280(松本200か 969)
 24802(松本200か 899)
 04283(松本200か 904)
 です。同じタイプながら社番が違うのは新社番と旧社番が混じっているためです(04***が新社番、24***が旧社番)。3台とも転属で一旦ナンバーを変更しているため、ナンバーが新しいです。




 こちらは2012年式の
 セレガ ハイブリッド
 です。型式はQQG−RU1ASBRです。2004年以来8年ぶりに上高地シャトルバス用のセレガハイブリッドが投入されました。先代の時は特徴的な仕様が多かったのですが、新型セレガではT字窓かつスイングドアと一般的な仕様になっています。因みにセレガハイブリッドは2009年に高速バス用として投入されたのが最初で、この時はBJG代でした。でも、上高地シャトルバス用はしばらく投入されなかったため、2012年式のQQG代が最初となります。
 写真は上から
 12201(松本200か 833)
 12202(松本200か 870)
 12204(松本200か 978)
 です。セレガハイブリッドは高速バスへ転用されたのちシャトルバス用に戻ったりとしているため、ナンバーを変えた車両が多く、新車当時からシャトルバスで活躍しているのは12201の1台のみとか・・・。


 こちらは2013年式の
 セレガ ハイブリッド
 です。型式はQQG−RU1ASBRです。2013年も引き続き投入されましたが、2013年式から窓がスモークガラスになっています。写真は13208(松本200か 898)です。私が確認した車両の中で一番新しい車両です。


 ブルーリボンのHIMRは上高地シャトルの定期便から撤退していますが、シーズンになると沢渡駐車場〜上高地間のシャトルバスの応援に駆け付けているようです。撮影当日は2台見かけました。


 最後にエアロバスです。貸切用っぽいですが・・・、車体には乗合の文字も・・・。でも、このエアロバスは上高地へ向かっていったので、上高地関係の貸切バスでもつかっているのでしょうか・・・。

 以上です。

上野東京ライン乗務員訓練

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 来春開業予定の
 上野東京ライン
 の乗務員訓練が8月より行われています。その訓練運転風景を撮影しましたので、レポートします。





 こちらは
 上野
 です。訓練運転は上野〜東京間を往復する形で行われていますが、上野では6番ホームにて折り返しが行われていました。撮影当日はE233系のE06+E52編成と185系CM07編成が充当されていましたが、ほぼ中間点ですれ違うように設定されているようで、E233系と185系が交互で6番ホームに入線し、数分で折り返すというパターンを繰り返していました。尚、6番ホームの案内表示はJR表示のみでした。



 こちらは
 御徒町
 です。上野から秋葉原までは電留線の一部を転用しているため、山手線と京浜東北線に並走する形になっています。しかも、障害物がほぼ無いので、新しい撮影名所になりそうですね・・・。下のE233系では渡り線を渡っているシーンで、御徒町のほぼ中間に渡り線があります。


 御徒町の上野方を眺めたものです。185系とE231系500番台が並走しています。上野東京ライン開業後はこういうシーンも当たり前になってくるのでしょうか・・・。



 こちらは
 秋葉原
 です。秋葉原からは新幹線の上を走る関係で急勾配を上下します。その関係で3・4番ホームから勾配を上下するシーンを眺める事が出来ます。でも、少し前までは電留線で休憩する列車を眺める事が出来たのですが、今は上野東京ラインの列車が勾配を上下するシーンを眺める事になりますね・・・。


 今の上野東京ラインの線路で、電留線として使われていた頃の写真です。3・4番ホームの側では2本の電留線があり、おもに常磐線の列車の休憩に使われていました。しかし、上野東京ラインの工事によって電留線が閉鎖され、高架へのアプローチ線になりました。

 上野東京ライン開業後はどんな車両が行き交う姿を見る事が出来るのか、楽しみなところです。
 以上です。

道南バス 久々の新車 & 最近の中古車たち

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 道南バスでは今年に入ってまとまった数の
 新車
 が投入されました。高速車は時折入っていたようですが、今回は一般路線車、高速車、貸切車と色んなタイプをまとめて投入したことがポイントです。特に一般路線車は日デRA系以来となります。



 こちらは
 エルガ
 のワンステです。QPG−LV234Q3で、長尺が選択されています。2人掛けシートを多くした郊外仕様となっています。道南バスのエルガは意外と今回で初めての投入になるようですね・・・。確か、道南バスは元々いすゞ以外の3メーカーを入れてたような気がします。エルガはどちらかといえば郊外路線に入っているようです。


 こちらは
 ブルーリボン?
 のワンステです。QPG−KV234Q3です。基本的にエルガと同じです。道南バスは元々日野を入れていますが、ブルーリボン?は今回が初めての投入となります。ブルーリボン?は室蘭市内の路線を中心に充当されているようです。




 こちらは
 エアロスター
 のワンステです。QKG−MP35FPです。エアロスターはATが標準なので、もちろんATが採用されています。なので、道南バスにとって初めてとなるAT車となります。エアロスターは約14年ぶりの投入となりますが、ワンステは意外と今回が初めてとなるようです。850と851は所属営業所が違うようですが、850の方は室蘭市内の路線に充当されていました。
 以上から一般路線車の新車は3メーカーとも投入されたことになりますね・・・。


 次に中古車です。
 こちらは
 元江ノ電バス
 の日デUAです。短尺ですね・・・。


 こちらは
 元名古屋市交通局
 のエアロスターノンステです。道南バスが自前で投入した大型ノンステは郊外路線が多いのですが、エアロスターノンステは室蘭市内の路線に充当されているようです。中古の大型ノンステはいまのとここの1台のみのようです。



 こちらは
 元関東バス
 です。上が三菱ふそうU−MP218K、下が日デU−UA440HSNです。道南バスではエアロスターのMBECS−?を初めとする多数のタイプが投入されていますが、関東バス名物だった3扉車は意外と三菱ふそうと日デの各1台ずつの2台のみです。今年に入った2台とも撮影できましたのでUPしました。因みに三菱ふそうの方は投入からしばらくは特定用で使用されていましたが、最近になって一般路線用に転用され、室蘭市内で活躍するようになっています。



 こちらは
 元横浜市交通局
 です。上がエアロスター、下がキュービックです。道南バスではいくつかのタイプが投入されています。


 こちらは
 元川崎鶴見臨港バス
 のエルガミオノンステです。ついにエルガミオもやってくるようになりました・・・。

 以上です。

N700系F編成

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 2012年より投入が開始されたN700Aですが、投入計画の関係でほとんどがJR東海所属編成ですが、JR西日本所属編成も1編成がおり、こちらは
 F編成
 となっています。F編成は1編成のみで、N700系と共通で使用されている事もあり、なかなか遭遇していなかったのですが、先日に遭遇出来ました。


 先頭部に記載されたF1編成です。F編成といえばJR西日本所属の300系に対して付けていた記号です。300系は3000番台でしたが、JR東海編成とは座席など内装が異なっていました。N700AでもF編成が引き継がれた形ですが、仕様はJR東海編成と全く同じです・・・。


 N700Aのロゴもきちんと記載されていますが、JR記号がJR西日本のブルーになっている事が相違点です。これぞJR西日本ですね。番台もJR東海の1000番台に対して4000番台になっている事がポイントです。
 撮影時はのぞみ97号に充当されていましたが、どうやらのぞみ97・98号はJR西日本担当のようです。なので、JR西日本担当を狙えば遭遇できるのかもしれませんね・・・。

 F編成は1編成のみですが、今後の車両代替計画によっては増備もありうるのかもしれませんね・・・。元々N700A投入のアナウンスが出た時はJR西日本の投入予定のアナウンスが無く、追加投入のアナウンス時に初めて世に出ましたからね・・・。
 以上です。

9月末で消えるもの? 奈良交通

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 10月1日にバス事業者でダイヤ改正がおこなわれる予定で、その中で9月末で
 お見納め
 になってしまうものがいくつかあります。本日から3回にわたってお見納めになってしまうものを取り上げたいと思います。
 その第1回は奈良交通です。奈良交通といえば、専用道の老朽化に伴う閉鎖が大きな話題になっているのはご存知の通りです。他に熊野線の池原折り返しの廃止(減便)などが行われます。


 バス専用道
 はかっては鉄道線の国鉄阪本線用として建設されたもので、凍結に伴い、バス専用道に転用され、国鉄バス→JRバスが使用していました。しかし、JRバスの廃止により、奈良交通が引き継いでいましたが、トンネルの老朽化などで閉鎖が決まったわけです。
 閉鎖を前にボンネットバスによるツアーや1日限りのJRバス復活走行などのイベントが行われ、定期便でも2〜3台の続行運転が行われるなど話題になっています。しかし、私は2010年に1往復乗車しただけで、これらのイベントには行っていませんでした。当時は閉鎖という話題もなかったので、私一人だけ往復していた感じです。拙ブログの2010年3月26日付けの記事にてその時の様子をレポートしています。





 五條バスターミナルを出たバスは五条市内の中心部を通ったのちにバス専用道に入り、終点まで専用道を通っていました。専用道には元々鉄道線として建設されていたものを使用しているため、小さなトンネルや橋梁や交換設備など鉄道線ならでの光景を見る事が出来ました。気仙沼線や大船渡線のBRT並みの光景ですね・・・。尚、専用道に並行する国道にも路線を運行しているため、専用道上では国道にあるバス停と区別するために専用道○○というバス停がいくつかある事がポイントでした。


 終点の専用道城戸は元々駅として用意された土地をそのまま使っているため、広い構内が特徴で、立派な駅舎もありました。駅舎には待合室や乗務員休憩室などがあり、一つの拠点という感じでした。JRバス時代はそれなりの本数が運行されていたようで、バス駅として機能していたようですが、奈良交通になってから本数が減り、バスもすぐに折り返すようになってしまったようです。



 専用道城戸行きの行先表示です。側面の経由地表示にある上柏原、賀名生、衣笠は専用道上にあるバス停ですが、国道上にはないため、専用道が付いていません。乗車当時は日野RHに対して行先表示器がLED化される前ですが、今はLED化されてしまったようです。でも、LED化後の経由地表示でどんな感じになっているかはわかりませんが・・・。



 もう一つ、湯盛温泉杉の湯〜池原〜下桑原間で2往復が運行されている熊野線ですが、この旅のダイヤ改正で
 池原折り返し
 の1往復が削減され、下桑原の1往復のみの運行になります。下桑原行きが夕方、下桑原発が朝の運行ですが、ダイヤ改正後もそのままなので、日帰りで池原に行くことが不可能になってしまいます。したがって、池原行きもお見納めになってしまいます。




 池原バス停には2階建ての建物と屋根付き車庫などがあり、バスの営業所としての雰囲気があります。そうそう、池原バス停はかって奈良交通北山営業所だったのです。かって北山峡特急が運行されていた頃、池原で休憩していた他、池原発着便が運行されるなど交通の拠点として賑わっていました。しかし、路線の廃止などが進み、北山営業所は廃止され、単なる休憩場として機能しているだけのようです。でも、下桑原発着便がここで停泊しているのかは不明ですが・・・。尚、池原折り返しの便はここで休憩するはずなのですが、訪問時はここで休憩せずにどっかへ行ってしまいました・・・。




 建物では待合室部分だけ今でも開いており、いつでも入れるようになっています。待合室の中には窓口がありましたが、板で塞がれ、そこに時刻表と路線図が掲げられているだけでした。時刻表には下桑原行き1本、湯盛温泉杉の湯行き2本が書かれていますが、改正後は下桑原行きと湯盛温泉杉の湯行きの1本ずつのみになります。つまり、単なる途中停留所になってしまいます。
 また、村営バスもここを発着しており、その時刻表も待合室内に掲げられています。




 池原バス停の1つ先の池原大橋バス停です。ここは池原から下桑原方にあるため、バスは1日1往復しか来ません。それでも立派な待合室がありますね・・・。中の写真は池原大橋バス停の時刻表ですが、10月以降の池原バス停もそのような感じになります・・・。


 池原折り返しの陰に隠れる形ですが、75系統大和八木駅〜湯盛温泉杉の湯行きが廃止され、全て大淀バスセンター折返しになります。つまり、湯盛温泉杉の湯へ行くには近鉄吉野線の大和上市駅や越部駅などへ電車で向かってからバスに乗るか、大淀バスセンターで乗り継ぐかどちらかになります。更に夕方の湯盛温泉杉の湯発が無くなるので、下桑原行きを見るために湯盛温泉杉の湯へ向かうと帰れなくなってしまいます・・・。

 専用道の閉鎖は残念ですが、代わりに国道経由便が増発されるので、交通の足としては問題ないのですが、池原折り返しの廃止は北山村へのアクセスが更に限られ、北山のスポーツセンターへ行こうと思ったら、余計に時間と日数がかかってしまう形になってしまいます。それだけに10月改正は奈良県南部の足が更に不便になってしまう感じですね・・・。
 以上です。

9月末で消えるもの その2 伊予鉄南予バス

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 バスネタが多いので、二日続けてバスの記事です。
 昨日に引き続き9月末で消えるものの第2弾です。第2弾は
 伊予鉄南予バス
 です。伊予鉄南予バスでは10月1日にダイヤ改正が行われ、いくつかの路線が廃止になります。特に久万営業所ではやや大規模な路線廃止が行われます。というわけで、それをレポートします。



 久万営業所管内でいくつかの路線が廃止になりますが、その中に
 杣野前組行き
 が含まれています。正確に言うと、一の谷〜杣野前組間が廃止されます。この区間は平日昼間の1往復のみの運行で、森の中の狭隘道路を走り抜けます。杣野前組行きは1往復のみですが、久万を出て峠御堂・上直瀬を経由して杣野前組に向かいます。久万営業所発13時40分です。





 久万営業所を出たバスは一旦上直瀬まで行き、一の谷まで戻ったのち廃止区間に入ります。因みに久万営業所管内は一旦立ち寄ってある程度戻って別の場所へ行くようなルートを取る便が多いです(河之内や馬野地など)。
 廃止区間に入ると、いきなり山間の中に入り、くねくねとした狭隘道路を通って行きます。山間が開けると、集落に入るのですが、数軒の住宅と田畑が広がるというのどかな田舎らしい光景が広がります。それが終わると、再び山間の中に入り、今度は山林の中を駆け抜けます。これがハイライト区間です。山間→集落→山林と景色が変化し、しかも狭隘道路を延々と走って行くので、こんなに凄いところまでバスが通じているんだなと感じさせました。


 山林を駆け抜けると、やや高いところに集落が見えます。ここが終点の杣野前組です。松山駅からJR四国バスと伊予鉄南予バスを乗り継いでそしていくつかの山を越え、更に山林の中を駆け抜けてたどりついた終点です。松山駅から2時間かかったのですが、集落はこんなに奥深いところまで出来ていたんだなと感じさせる光景でした。




 杣野前組バス停はT字路のど真ん中にあり、バスは道路上で回転します。バス停ポールは無く、標識を使って時刻表などを掲示していました。そうそう、伊久万営業所管内ではバス停ポールを使わず、住宅などの壁に時刻表やバス停看板を貼り付けるバス停が多いことが特徴です(上直瀬など・・・)。したがって、バス停の存在すら気づきにくいバス停もあるとか・・・。それでも運転手は覚えているようです・・・(ある意味凄い・・・)。因みに廃止区間でバス停の存在に気付いたのはバス停ポールを使用していた西浦だけでした。更に杣野前組バス停の時刻表の大半が破れ、かろうじて久万営業所行きの発車時刻が読める程度でした・・・。




 今回、久万営業所管内で廃止される路線は以下の通りです。
  久万〜河之内〜水押
  仕七川〜水押
  妙〜市口
  一の谷〜杣野前組
 つまり、末端区間のいくつかが削られてしまう事になります。したがって、水押行き、市口行き、杣野前組行きが見られなくなってしまうということになります。とはいえ、これらの廃止区間を1日で回れるかというと無理で(久万から杣野前組と市口へ向かう便がほぼ同じ時間に出るため)、色々悩んだ末に杣野前組を選びました・・・。



 路線の廃止は久万だけでなく八幡浜管内でも発生します。写真は9月末で廃止される
 三机行き
 です。三机行きが夕方、三机発が朝の1往復のみの運行で、三机?で停泊するダイヤのようです。三机行きの廃止により、三机口〜三机間が廃止されます。他に八幡浜駅〜三崎を結ぶ路線について、亀ヶ浦池温泉経由便が無くなり、それに伴って加周〜大久間が廃止されます。でも、路線廃止に伴う本数減は少数に留まるようです・・・。


 そして、大洲及び長浜管内でもダイヤ改正が行われます。路線廃止は無いものの、全便が土休日運休となってしまいます(本数もわずかながら減便される)。つまり、伊予大洲駅や伊予長浜駅において土休日はバスが全く来なくなってしまいます・・・。でも、大洲営業所は高速バスと松山市駅〜三崎間の特急バスが通るので、土休日も開いていると思いますが・・・。
 てゆうか、大洲には日野RLがいるんだけど、今回のダイヤ改正ではK−RJの方が落ちてしまうのでしょうか・・・。

 伊予鉄南予バスでは今回のダイヤ改正で比較的大規模な路線廃止が行われ、ますます寂しくなってしまいます・・・。私が初めて撮影した時は八幡浜管内に榎野行きがあったんだけど、今は廃止されてしまったし・・・。
 以上です。

東海道新幹線開業50周年に寄せて

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 本日で
 東海道新幹線開業50周年
 を迎えました。1964年10月1日に東海道新幹線が開業し、それ以来尾50年間も東京〜大阪間の大動脈として無事故で活躍して事は驚異に値します。というわけで、私にとっての東海道新幹線の思い出を語ります。
 私が初めて新幹線に乗ったのはいつなのか覚えていません。多分、1990年前後だと思います。当時は100系の投入が進められており、0系がまだ主力として活躍していた時期です。ただ、その頃は新幹線に乗って東京とかへ行った記憶が無いので、おそらく関西近辺なのかも・・・。それ以来、何度も新幹線を利用してきました。
 形式ごとに思い出を語ります。


 まず、
 0系
 です。2008年にJR西日本で残っていたR編成が営業運転を終了し、新幹線上から消えて久しいです。とはいえ、JR東海の16両編成に乗ったという記憶は何故かありません。でも、R編成は最晩年を中心にたくさん乗った事が記憶に新しいでしょうか・・・。でも、12両編成のウエストひかりに乗車した記憶はあります。あの時は営業休止中のビュフェに記憶があります・・・。
 でも、0系は1964年に登場し、それ以来約40年間活躍してきたわけですが、私にすれば古い車両とは思えなかったものです。それだけに新幹線の顔として活躍してきた証しでしょうか・・・。


 こちらは4両編成のQ編成です。0系史上最短編成で、山陽本線の博多口を中心に運用されていました。そのQ編成に2001年に1度だけ乗車しました。写真の車両は1000番台のトップナンバーである21−1001です。



 次に
 100系
 です。私が新幹線に初めて乗った頃は全盛時代で、2階建てを組み込んだ16両編成が活躍していました。ただ、写真は短編成化の上で山陽新幹線のこだまに転用された後ばかりです・・・。写真は上が6両編成のK編成、下が4両編成のP編成です。P編成は一足先に消え、K編成も2011年に営業運転を終了し、線路上から消えました。でも、K編成とP編成はオール2&2シートなので、自由席に座るだけでもグリーン車的な雰囲気を味わうことができ、お気に入りでした。


 こちらは1997年に撮影した「グランドひかり」のV編成です。当時は700系がまだ登場しておらず、16両編成が闊歩していた全盛時代です。私はJR東海のG編成とJR西日本のV編成に乗車した記憶があるのですが、残念ながら2階建て車に足を踏み入れる事が出来ませんでした。というか、両親からうろつくなと言われたせいもありますが・・・。でも、あの頃はかっこよく感じたものです・・・。



 次に
 300系
 です。1992年にのぞみで営業運転を開始し、高速性を高めるために低屋根化を図り、270km/hで営業運転を開始しました。300系はのぞみからこだままで何度もお世話になり、思い出はたくさんあります。初乗車は1995年ごろで、確か姫路へ行こうとして間違ってのぞみに乗ってしまったのが始まりだったような気がします・・・。300系の印象といえば、小窓ながら窓が大きかったということでしょうか・・・。
 さておき、300系はJR東海のJ編成とJR西日本のF編成があり、それぞれ内装が異なっていたのが印象的でした。でも、2012年に引退してしまいました。



 次に
 500系
 です。500系は1997年3月に300km/h運転対応として登場し、山陽新幹線で300km/h運転が行われました。1997年3月に山陽新幹線内で営業運転を開始し、11月には東京乗り入れを開始しました。しかし、後継車の登場などにより、2010年2月末をもって東海道新幹線への乗り入れが終了し、以降は山陽新幹線のこだまへ転用されました。
 300km/h運転対応のために先頭形状を長くしたことがポイントですが、登場当初はJR西日本管内の各駅は500系を前面に出してPRしたり、CMでも盛んに宣伝されていたのを覚えています。
 下の写真は500系の東京乗り入れ開始直後の1997年12月に京都で撮影したものです。この時が500系の初乗車で、乗車を心待ちにしていたのを記憶しています(両親から落ち着けと何度も言われたものです・・・)。500系独特の車内インテリアなどに目を奪われたものです・・・。それだけに注目度の高い車両でしたね。


 8両編成化の上で山陽新幹線のこだまに転用された500系です。全盛時代とは行かないものの、今でも人気はあるようですね・・・。それだけに500系はインパクトが大きかったものです。



 次に
 700系
 です。700系は1999年に登場し、高速性を追求した500系に対して乗り心地改善などに注力したことがポイントです。それだけに500系と比べて大人しい印象でした。しかし、700系は大量に投入され、あっという間に主力の座に就いていました。JR東海のC編成とJR西日本のB編成がありますが、両者で車内インテリアや座席が大きく異なっていた他、B編成について側面行先表示器がLED化されていました。でも、今は東海道新幹線での最古参車となり、廃車が進んでいる事について今まだ違和感を感じています・・・。
 700系に初めて乗ったのが1999年の4月で、のぞみ3号の京都→博多間です。当時はのぞみ1号と5号が500系で、その中に700系が入れ混じっているような感じでした。初めて乗って車内に入ると、ずいぶん大人しくなったなと感じたものです。


 こちらは山陽新幹線で使用される8両編成のE編成です。2000年に登場し、ひかりレールスターを中心に充当されていました。しかし、ひかりレールスターが九州新幹線直通のさくらに転用されると、ひかり運用から外れ、こだまが中心になってしまいました。でも、7000番台E編成は4人用個室や2&2シートや今は無いけどサイレントカーといった独自のサービスが行われています。登場当初はCMなどでよく宣伝されていました。



 次に
 N700系
 です。N700系は2007年に登場し、さらなる高速性と快適性・環境性能向上の両立を目指した事がポイントで、車体傾斜装置などが採用されています。2007年の登場後、大量増美が続けられ、現在の主力的な存在になっています。JR東海のZ編成とJR西日本のN編成がいますが、今はN700Aの性能に合わせる改造が進行中です。
 N700に初乗車したのは営業運転開始直後の2007年7月でしたが、それ以降数え切れないほど乗車しています・・・。


 こちらは九州新幹線直通対応として登場した7000番台のS編成で、同仕様でJR九州所属の8000番台R編成もいます。指定席車に2&2シートが採用されたほか、山陽新幹線で初めて半室グリーン車が採用されたこともポイントです。九州新幹線開業直後に初乗車して以来、何度もお世話になっています。



 そして
 N700A系
 です。N700系をベースに定速走行装置の採用やブレーキ装置の改良などが行われたもので、2013年に登場しています。外観は従来のN700系と同じです。JR東海のG編成とJR西日本のF編成が登場しています。
 N700Aに初乗車したのが2013年2月ですが、当時はN700Aの運行ダイヤを駅員に尋ねる事により、公開していました。でも、編成が増えるにつれて薄れてしまいましたが・・・。でも、たまにN700Aに当たる時があるので、何度も乗車しています・・・。



 開業50周年を迎えるにあたって、各駅で旗が飾られたほか、車内デッキにシールが貼られるなどPRしていました。東海道新幹線の歴史を紹介する書籍が多数出たり、TVでも盛んに紹介されたりしていたので、本当に注目されているんだなと感じたものです・・・。それだけに新幹線は日本に大きな力を与えたような気がしたものです。


 開業50周年記念入場券セットとクリアファイルです。入場券は10月1日に新幹線の各駅で発売されましたが、私は京都駅で購入しました。駅によってすぐに売り切れたところもあったようですが、京都駅では夜になってもまだ売れ残っていて、長い列が続いていました・・・。でも、入場券はファンだけでなく、一般と思われる方も購入していたので、注目度が高かったようですね・・・。
 クリアファイルは新幹線の改札口内で改札口を通った人に対して配布されたものです(無料)。東海道新幹線の歴代車両が並べられていて、見応えのあるクリアファイルでした。

 東海道新幹線は本日で50周年を迎えたわけですが、今でも大動脈であることは変わりなく、100周年も無事故で運行出来る事をお祈りいたします。
 以上です。

9月末で消えるもの その3 田辺〜新宮間バス乗り継ぎ

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 一昨日に続く9月末で消えるものその3です。その3は
 田辺〜新宮間バス乗り継ぎ
 です。9月末で上記が出来なくなってしまいます。


 理由は
 明光バス
 が10月1日にダイヤ改正を行い、大規模な路線廃止が実施されます。その中に日置江住線が含まれ、これによって田辺〜新宮間をバスで乗り継いでいくことが不可能になってしまいます。今回のダイヤ改正で田辺ローカルと日置ローカルが整理され、明光バスの路線は基本的に田辺〜白浜駅〜白浜地区の各観光地が中心になってしまいます。
 でも、田辺〜新宮間のバス乗り継ぎは完全に不可能になるわけでなく、本宮大社経由で乗り継ぐことができます。でも、観光地経由なので、紀勢本線及び海岸沿いの純粋たる生活路線を乗り継ぎながら向かうことは不可能になってしまいます。


 第1ランナー
 は田辺駅発7時38分の白浜駅経由日置駅行きです。これは田辺日置線ですが、10月1日ダイヤ改正で田辺駅〜白浜駅間が廃止され、白浜日置線になります。田辺駅〜白浜駅間を結ぶ路線は多数ありますが、ほんのわずかな区間ながら単独区間があり、今回の路線短縮で廃止されてしまいます。乗車時は日野HRが充当されていましたが、どうやらリエッセが中心のようです・・・。



 田辺駅を出ると、医療センターまでは他の路線と同じルートを通り、医療センター〜は単独区間に入ります。その中にビッグユーを通りますが、今回の路線短縮でビッグユーにバスが来なくなってしまいます。白浜駅を出て紀勢本線に沿って県道214号線と県道34号線を通り、富田橋から国道42号線に入り、しばらく走ると、海が見えてきました。田辺駅と白浜駅は海岸から離れた場所にあるので、なかなか海を眺める事が出来ませんでしたが、ここにきてようやく眺めるようになりました。しかし、国道42号線(熊野街道)はトラックがかなり多く、数え切れないほどすれ違いました。もしかしたら、水害の復旧工事のためなのでしょうか・・・。椿温泉を経て海、山間、トンネルを繰り返す光景が続きます。


 そんな中で奥志原に到着し、ここで下車します。バスは日置駅まで行きますが、私はここで下車します。




 奥志原
 バス停には明光バスの日置支所が置かれており、日置ローカル線は全てここを起点としています(田辺日置線は単なる途中停留所ですが・・・)。日置支所にはプレハブの建物がある小さな車庫ですが、訪問時にはバスが見えず、建物の中は無人でした。
 尚、日置ローカル線は日置川線、城川線、日置江住線の3路線がありますが、今回のダイヤ改正で全て廃止され、奥志原は白浜日置線の単なる途中停留所になってしまいます。



 第2ランナー
 は奥志原発8時55分の江住駅行きです。日置江住線は1日3往復が運行されており、今回はその初便におあたります。車両はリエッセでしたが、どうやら自家用車からの転用のようです。立ち客無しの小判ナンバーです。


 奥志原を出ると、ほどなくして日置の中心部に入ります。そこには学校や役場の支所などが置かれています。そして、日置大橋から他の路線と別れて熊野街道を通って行きます。因みに日置ローカル線の他の2路線は日置駅を経由して各方向へ向かいますが、日置江住線だけは日置駅を経由しません。



 日置江住線のほとんどは熊野街道を通るのですが、ほぼ海岸に沿っているので、海を眺める事が出来ます。しかも、車窓から眺める海岸は美しく、抜群です。途中ですさみ町内を通るのですが、すさみ温泉や港などが見え、紀伊半島らしい光景が続きます。


 見老津を過ぎて江住に近づいたときに突然国道から外れて海岸沿いの狭隘道路を通ります。その中でまさしく港町とも言えるような光景を見ることができます。多数の漁船が留め置かれている姿や漁業関係の施設などが車窓に出てきます。ここが日置江住線のハイライトとも言えましょうか・・・。


 奥志原から約40分ぐらいかけて終点の江住駅に到着しました。バスは駅舎を背に向けて停車し、ここで乗降扱いを行っていました。でも、約10分の折返しで奥志原へ戻って行きました・・・。


 江住駅では明光バスと熊野交通のバスが乗り入れてきます。そのため、駅前には両者のバス停ポールが並んでいます。田辺側が明光バス、新宮側が熊野交通とわかりやすい配置ですね・・・。
 因みに両者との接続関係は概ね良好なので、乗り継ぎはそんなに難しくありません。でも、9月末で明光バスの方が廃止され、熊野交通のみ乗り入れてくることになります。



 さて、
 第3ランナー
 は江住駅発10時25分の串本駅行きです。これは江住線で、熊野交通の串本ローカル線の一つです。車両はリエッセですが、熊野交通が投入した自己発注車で、側面行先表示器があるれきっとした一般路線仕様です。


 江住駅を出ると、すぐに国道42号線に入り、ひたすらそこを通ります。海岸沿いなので常に海を眺める事が出来る事は変わりありません。でも、前ランナーと大きく違うところは途中での乗降が多かったことです。しかも、串本へ向かう客だけでなく、短区間の利用が結構見られたことに驚きました・・・。この路線は地味な串本ローカル線ですが、生活路線として機能している事が伺えました。


 串本駅の南側に広がる串本の中心部を通り抜けると、終点の串本駅に到着しました。江住駅から約40分で到着しました。バスはすぐに回送となってどこかへ行きました・・・。


 串本駅に到着してすぐに
 第4ランナー
 のバスがやってきてそこに乗り込みます。第4ランナーは串本駅発11時5分の新宮駅行きです。実は串本での乗り換え時間が1分しかなく、ひやひやとしたのですが、第4ランナーは本州最南端の潮岬始発で、串本高校の近くの交差点で信号待ちしているのを見かけて大丈夫だと感じたものです。尚、第4ランナーは新勝線で、60分ヘッドで運行されています。今回は日野HRでした。


 今回も国道42号線をひたすら通るので、しばらくは海とのお付き合いが続きます。紀勢本線も同じですが・・・。でも、海岸沿いの町並みの中を走ることが多いので、写真のような光景もよく見かけます。


 古座駅を過ぎて古座川を渡っているシーンです。写真の山側には紀勢本線一の有名撮影地が見えます。


 こちらは太地駅です。新勝線はほんの一部だけ太地町内を走り、太地駅前を通ります。この駅で太地町営バスと接続しています。


 串本から約1時間かけて勝浦温泉の町並みの中に入ります。その町並みを走ると、紀伊勝浦駅に到着します。紀伊勝浦駅から少し歩くと、もう海なんだよね・・・。その分温泉街と港町をミックスしたような雰囲気です・・・。紀伊勝浦駅を出てすぐに紀勢本線の踏切を渡って国道42号線に合流します。因みに国道42号線と合流点に熊野交通勝浦営業所があります。


 国道42号線をひたすら通り、一部の区間で紀勢本線と並行し、更に海岸沿いを走ったりしていくうちに新宮の市街地の中に入り、権現前で国道42号線から別れて少し走ると、いよいよ終点の新宮駅に到着しました。


 時刻は12時40分。田辺駅を出てから約5時間かけて新宮駅に到着しました。ほとんどの区間で国道42号線を通り、更に海を眺めていたのです。でも、これが紀伊半島らしい光景であり、一つの魅力だと思うのです。そして、105系のローカル列車が走る紀伊田辺〜新宮間において紀勢本線と並行しながらもバスを乗り継ぐことが出来たわけです。でも、これは9月末をもって不可能になってしまいました・・・。

 以上です。

南武線の在来車たち

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 本日より南武線用のE233系8000番台が営業運転を開始しましたが、これより本格的に車両代替が進められることになります。というわけで、南武線の
 在来車
 たちを見てみましょう。



 南武線の主力である
 205系
 です。205系は大きく分けて新製投入車、山手線からの転入車、山手線からの転入+先頭車化改造に分けられます。こちらは南武線に新製投入された編成で、ナハ2〜16編成の15編成がいます。写真はナハ2編成で、1989年に投入された第1弾です。近年に新設された快速列車に充当されたシーンです。


 こちらは1990年に投入された第3弾のナハ13編成です。新製投入車は投入時期によって車番が3つぐらいのグループに分けられています。第3弾の先頭車の車番が129〜と新しくなっていますね・・・。でも、このグループが一番多いです。


 こちらは残存していた103系を置き換えるために2004年に山手線から転入してきた編成です。国鉄時代に投入された若番車で揃えられている事がポイントです(ドアの小窓がアクセントですね・・・)。この編成はナハ34〜44編成がいます。写真はナハ44編成です。


 こちらは同じく山手線からの転入車ですが、先頭車がサハ205形からの先頭車化改造車となっている事がポイントです。そのため、先頭車は1200番台になっています。先頭車が違う以外は基本的に他の205系と同じです。このグループはナハ46〜51編成の6編成が投入されましたが、うち1編成は仙石線へ転出しています。



 こちらは2014年に横浜線から転入してきたナハ17編成です。横浜線時代はH26編成でしたが、サハ204・205形を抜いて6両編成化されたものです。横浜線時代に前面行先表示器がLED化されているので、南武線の205系としては先頭車化改造編成を除いて唯一の編成となります。また、南武線の205系の号車サボは黄色になっていますが、ナハ17編成だけは何故か白色になっています(横浜線時代をそのまま使っている?)。




 次に
 209系
 です。209系は4編成が在籍しています。写真は基本番台で揃えられたナハ32編成です。南武線では1993年と1997年に各1編成ずつ209系が新製投入されており、基本番台としては京浜東北線以外で投入された唯一の路線となります。1993年に投入されたナハ1編成は廃車されましたが、1997年に投入されたナハ32編成は今でも走っています。そして、ナハ32編成は基本番台の唯一の生き残りです。


 こちらがナハ1編成です。ドアエンジンが空気式という209系の初期車にあたる編成となります。でも、ドアエンジンを電気式に揃えるために2200番台に置き換えられ、2009年に廃車されてしまいました。


 こちらは2009年に京浜東北線から転入してきた編成で、VVVFインバータ制御などの機器の更新を行っているため、2200番台になっていますが、元は基本番台となります。2200番台はナハ52〜54編成がいます。でも、ナハ32編成は行先表示器がLED化されているため、2200番台とは外観はほぼ変わっていないようです・・・。

 南武線ではこんなに多彩な編成がかつやくしているのですが、E233系8000番台の投入により、急速に姿を消そうとしています。時代の流れと言われてみればそうかもしれませんが・・・。
 以上です。

第3回信州バスまつり

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 9月28日にアルピコ交通長野支社で
 信州バスまつり
 が行われ、そこに参加してきましたのでレポートします。





 こちらは
 旧松本電気鉄道
 が保有していた車両で、保存車です。上が1974年式のいすゞBU10Kで、上高地用の高出力車です。上高地用といえばセレガハイブリッドですが、大昔は高出力ながらごく普通な車両が入っていたんですね・・・。下が1984年式のO−MP118Mです。ブルドッグとしては最末期に当たる車両で、モノコックボディながらフィンガシフトを採用していました。ごく初期のフィンガシフトは床から生えていて、四角形状でしたね。こういうタイプは帝産湖南交通のP−MP518Mや関東鉄道バスの1288Mなどで見かけました。





 こちらは
 信南交通
 です。上が1990年式のエアロスターMで、U−MP218Kです。幕が外されていますが、どうはら廃車だそうで・・・。下は1967年式の日野BT51です。センターアンダーフロアエンジンバスで、エンジンが前輪と後輪との間にある事がポイントです(現代はリアですね)。廃車後にNPO日本バス保存会で保存されているものです。確か、以前に柿岡で荒廃に近い状態で保管されているのを見かけたのですが、映画への出演で綺麗になったようですね・・・。このバスには補助席が付いていますが、両側から開く事がポイントです。


 こちらは
 上田バス
 の日野RJです。中型短尺のRJ170AAで、元東急バスのものです。今でも現役で走っているようで、そのPRがなされていました。


 こちらは
 草軽交通
 の三菱ふそうエアロミディです。元東急バスのもので、コーチで使われていたものです。





 こちらは
 高速車
 たちです。上から
 アルピコ交通 PJ−MS86MP(阪急バス2894からの借入車)
 伊那バス QRG−RU1ASCA
 千曲バス QRG−RU1ASCJ
 長電バス BKG−MS96JP
 です。昼行、夜行ともに展示されていました。何気なく千曲バスの大阪線用の車両がエアロバスからガーラに変わってたんですね・・・。



 こちらは
 貸切車
 たちです。上から
 北アルプス交通 QRG−MS96VP
 アリーナ観光 LKG−RU1ESBJ?
 アリーナ観光の方はリフト付きで、リフトの実演が行われていました。


 こちらは
 トミーテック
 が保存している元京都バスのいすゞP−U32Nです。前期型にあたるタイプです。京都バスの55号車として活躍した後、トミーテックに引き取られ、美しく整備された上で保管されているようですね・・・。現役時代を見ているので、懐かしく感じたものです。なお、このイベントでブースを設け、スルッとKANSAIバスまつりでも販売された限定バスコレ(エアロスターK)が販売されていました。




 バスまつりではメーカーもブースを設け、
 サンプルカー
 を展示していました。三菱ふそうは新型エアロスターのQKG−MP38FM、日野はセレガハイブリッド(QQG−RU1ASBR)を展示していました。特にエアロスターでは折りたたみ式のスロープを出していました。


 自動車教習所も展示されていました・・・。エルガですが、型式は確認していません・・・。



 バスまつりでは
 ボンネットバス
 の試乗会も行われていました。上が大町エネルギー博物館が保管している薪バス、下がNPOバス保存会が保管しているボンネットバスです。時間を決めて構内を1周していました。




 アルピコ交通では一般路線車を使用した体験型イベントなどが行われていました。上はBDF車によるPDFの紹介(直富商事による)、中は元東急バスのエルガミオによるバスの乗り方教室、下が元山陽バスのキュービックによる洗車機体験です。
 一応、バスまつりでよくみられるイベント内容ですね・・・。


 お絵かきイベントも行われ、長電バスの元川崎鶴見臨港バスの601が使用されていました。なお、このお絵かきバスはイベント終了後、そのままで運用入りしたそうですね・・・。




 今回のイベントではバス営業所全体を公開していたため、留置中の一部の高速車を公開したりしていました。他社の高速車や留置中の車両についても撮ってくださいというような状態でした。バス車庫でのイベントはよくあるのですが、安全上からエリアを区切って行う事が一般的なので、こういう形は珍しいかと・・・。ただ、イベントで賑わっている最中に出入庫のバスが走りまわったりしているので(しかも、結構頻繁でした)、ちょっと危ないんじゃないかなと懸念していましたが・・・。



 バスまつりのイベントの一つとして夜行高速車による
 シャトルバス
 です。長野駅東口→会場間の2本が運行され、エアロクィーンの40458が充当されていました。これは定員制で、長野駅東口で先着順で受け付けを行っていました。私はそこに乗って会場へ向かいました。尚、このシャトルバスは一般よりやや高めの値段で設定されれ、受付と座席指定を済ませると、下の写真のような乗車券を頂く事が出来ました。









 シャトルバス
 に充当された車両たちです。シャトルバスは長野駅東口とエムウェーブから出ていました。長野駅はアルピコ交通、エムウェーブはアルピコ交通と長電バスが担当していました。因みにシャトルバスに充当された車両は全て中古車です。



 シャトルバスに充当された車両にはシャトルバスと記載された紙が掲げられていましたが、その紙には何と元事業者のカラーリングがデザインされていました。上が元遠州鉄道、下が元横浜市交通局の車両に掲示されていたものです。そこまで凝っているとは驚きでした・・・。

 以上です。

礼文駅

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 礼文駅
 は室蘭本線にある駅で、長万部〜東室蘭間に位置しています。


 「礼文」といえば稚内近くに位置する礼文島をイメージしますが、礼文駅の由来は駅が位置する地名からきています。駅の位置する地名が「礼文華」なので、そこから取って「礼文駅」としたようです。最初、礼文駅の存在を聞いたとき、礼文島ではないのに何で礼文やねんと思ったものです。



 礼文駅は2面3線を持っており、駅舎は上りホームに位置しています。基本的に端っこが本線で、中線が待避線として使われています。写真では普通列車が特急列車の退避なので、中線に停車しています。2つのホームの間には構内踏切で結んでいますが、島式ホームからはスロープ、片面ホームからは階段でつながっています。


 構内踏切ですが、踏切の一部にはカバーが付いています。これは雪によって棒が動かなくなってしまうのを防ぐためのもので、北海道では各地で見られます。



 駅舎
 です。上りホームに位置しており、住宅風の小さなものになっています。これは開業時の駅舎でなく、老朽化によって改築されたときに住宅風になった感じでしょうか・・・。



 駅舎の内部です。待合室に窓口・事務室が設けられています。しかし、礼文駅は無人駅なので窓口は閉鎖され、板で塞がっています。なお、待合室はやや広めで椅子が多数配置されていました。時刻表によれば普通列車は1日上下16本が停車しているようです。あと、駅ノートも置かれていました。


 駅舎の外では住宅がまばらに広がっている程度で、静かでした。


 礼文駅前を通る道路上には礼文駅前バス停があり、立派な待合室が建っていました。これは豊浦町営バスが使用していて、1日3往復のバスが停車しているようです。ただ、全て土休日運休のことです。


 礼文を通過するスーパー北斗です。礼文では多数の特急列車が高速で通過しています。

 以上です。

本格的にノンステの投入が進む西鉄バスの福岡地区

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 2013年末から西鉄バスの福岡地区において
 ノンステ
 の投入が本格的に進んでいます。これまではハイブリなど少数のみで、それ以外はワンステでの投入が進められていましたが、福岡市から補助金が出たことにより、本格的にノンステの投入が進められるようになりました。そんなノンステたちを見てみましょう。なお、渡辺通幹線用のノンステは以前にレポートしており、除外します。



 こちらは
 エルガ
 です。エルガは2012年度も投入されているのですが、2013年度は大半が渡辺通幹線用としての投入で、一般のノンステは6台のみの投入です。写真は上から
 2792 福岡200か2813 吉塚
 2796 福岡200か2830 片江
 です。




 こちらは北九州地区に投入されたエルガです。北九州地区におけるノンステの投入は門司や小倉など特定の営業所に限られていましたが、2013年度からはそれ以外の営業所にも投入されるようになりました。写真は上から
 2758 北九州200か 898 門司
 2760 北九州200か 900 門司
 2834 北九州200か 948 中谷
 です。







 こちらは
 エルガミオ
 です。エルガミオはこれまでワンステで入れていたのですが、ノンステの本格投入に合わせてノンステでの投入となりました。エルガミオは多数いますが、ノンステは意外と今回が初めてとなります。ノンステ表記がある以外はワンステとほぼ変わらないので、以外と目立ちにくいのかも・・・。写真は上から
 2799 福岡200か2813 博多
 2803 福岡200か2833 早良
 2804 福岡200か2834 百道浜
 2805 福岡200か2840 百道浜
 2807 福岡200か2843 雑餉隈
 2810 福岡200か2846 雑餉隈
 です。福岡地区の各営業所に投入されています。


 エルガミオのノンステのうち博多に配置された2812のみ明治ヨーグルトのラッピングがなされています。これは新製当初からだそうで、前面の塗り分けが旧塗色がベースになっている事がポイントです。旧塗色初の純正車体がここで出現したことになりますね・・・。



 エルガミオノンステの2799は現在博多にいますが、新製は月の浦でした。写真は月の浦に配置されていた時のものです。月の浦はたまに新車が入るのですが、今回の新車は月の浦にとって初のノンステとなります。しかし、すぐに博多へ転属してしまいました。撮影時は西鉄大橋駅発着路線に充当されていました。





 こちらは
 ブルーリボン?
 です。ノンステ本格投入の流れでブルーリボン?のノンステも登場しました。日野の大型ノンステはブルリハイブリで例がありますが、ディーゼルは今回が初めてとなります。とはいえ、前面灯以外はエルガと変わりありませんが・・・。写真は上から
 7802 福岡200か2880 早良
 7806 福岡200か2884 桧原
 7808 福岡200か2886 桧原
 7811 福岡200か2889 土井
 です。どちらかといえば、日野メインの営業所に配置される傾向があるようですね・・・。



 こちらは
 レインボー?
 です。レインボー?もノンステが登場しています。レインボー?ノンステはエルガミオと同じく今回が初めての登場となります。写真は上から
 7816 福岡200か2869 早良
 7817 福岡200か2870 早良
 です。レインボー?はエルガミオよりも少なめの投入となったようです。









 こちらは
 エアロスター
 です。ノンステ本格投入の流れでエアロスターのノンステも登場しました。エアロスターのノンステは2012年末に投入された空港連絡バス用以来となりますが、一般路線用は今回が初めてとなります。ただ、西工でいえば1998年式の3305と3306以来になりますが・・・。2013年はJ−BUSばかりの投入で、ノンステ本格投入でも全てJ−BUSでの投入になるだろうと予想していたのですが、三菱ふそうもきちんと入れていたんですね・・・。今回の新車から扉上の塗り分けが変わり、ブラック処理がなされるようになりました。写真は上から
 4830 福岡200か2896 金武
 4831 福岡200か2897 金武
 4834 福岡200か2900 柏原
 4837 福岡200か2903 片江
 4839 福岡200か2905 片江
 4840 福岡200か2906 片江
 4844 福岡200か2909 宇美
 4845 福岡200か2910 宇美
 です。基本的にエアロスターワンステの配置のある営業所を中心に投入されています。そして、柏原にノンステが配置されるのは今回が初めてとなりますが、柏原は元々日野メインの営業所なので、初のノンステが三菱ふそうとは意外でした・・・。



 2014年も高速車の新車が投入されていますが、今回はエアロエースとセレガが投入されています。特にエアロエースでは2台が日田東町に配置され、大分ナンバーの車両が登場しています。因みに日田東町には過去に日デRAのB型の高速車が投入されたことがあり、純正車体の投入は今回が初めてとなります。


 こちらは小倉競馬のラッピングがなされた9698です。B高にもついにラッピングが登場したことになりますね・・・。

 ノンステの大量投入で福岡地区においてノンステが目立つようになってきました。
 以上です。

Smart BESTとハローキティ和歌山号

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 近畿車輛が開発を進めている充電型バッテリー電車である
 Smart BEST
 が期間限定で串本〜新宮間においてハローキティ和歌山号として運行されており、そこに乗車してきましたのでレポートします。Smart BESTの車両はDGBC2系と呼ばれ、車両にはその表記があります。



 新宮方先頭車で1号車となる
 DGBC2B−1
 です。これは電車でいえばTc車に当たる車両で、ディーゼルエンジン、補助電源装置などが搭載されています。この車両に搭載されたディーゼルエンジンで発電し、その電気でモーターを動かして走るという形になります。窓配置とクーラーが各車によって異なり、DGBC2B−1は窓位置が225系ベースで、クーラーが集中式の1基のみになっています。



 串本方先頭車で2号車となる
 DGBC2A−1
 です。これは電車でいえばMc車に当たる車両で、バッテリーとVVVFインバータ制御が搭載されています。そのため、床下にはバッテリーが見えます。窓配置とクーラーが各車によって異なり、DGBC2A−1は窓位置が扉間2枚で、クーラーがセミ集中式の2基になっています。


 Smart BESTは近畿車両で開発を進めていることから、先頭形状は225系ベースになっており、運転台も高運転台になっています。しかし、先頭形状は平面となっている事がポイントです。貫通扉上にLED式行先表示器が付いています。




 車内です。座席は221系と似たタイプの転換クロスシートを山側、窓側に向けたベンチシートを海側に配置した構成になっています。これはハローキティ和歌山号の運転に向けて改装したもので、海側への展望を意識したような感じです。因みにハローキティ和歌山号は全車指定席ですが、指定される座席は全て山側のクロスシートで、ベンチシートはフリースペースという感じです。





 DGBC2系は3扉車ですが、ハローキティ和歌山号では2扉車として使われるため、中央の扉は閉鎖され、山側には座席、海側にはベンチシートが設置されています。ただ、窓配置の変更を行っていないため、山側の座席には位置によって窓が無いという状態が発生しています。3ABとか・・・。
 尚、扉部分にはロール式カーテンが取り付けられましたが、取り付けに当たって接着剤を使用しているようです(下の写真)。でも、扉を埋めたわけではないので、ドアは開きませんという注意書きがありました。


 DGBC2A−1の車端部には便所が設けられています。便所は車いす対応の大型のものになっていますが、225系のような丸側ではないようです。便所は元々なかったものがハローキティ和歌山号の運行に合わせて取り付けたようで、1つの窓と扉が閉鎖されています。



 DGBC2B−1の車端部です。車端部には横向きシートと機器スペースが設けられています。横向きシートは元々あったものをそのまま使っているようですが、指定席には入っていないようで、フリースペースのような感じになっていました。機器スペースは試験車の運命なのか所々設けられていました。


 運転台の後ろです。基本的に225系とほぼ同じですが、助手側に窓がありません。多分、機器スペースになっていると思います。そして海沿いを走る関係で避難用はしごが置かれていました。それだけでなく、運転室後部にキティちゃんのぬいぐるみが多数置かれていました・・・。



 DGBC2系の側面行先表示です。JR西日本の車両をベースにしているようで、行先表示と種別表示の2つが付いていました。でも、両方ともLED表示でしたが、字体がJR西日本のと異なり、ゴシック字体でした。でも、レイアウトとカラーはJR西日本に合わせてました・・・。


 新宮駅のハローキティ和歌山号の表示です。ハローキティ和歌山号は串本〜新宮間を2往復しており、快速列車扱いで運行されています。ベースは新宮のようで、新宮を起点に2往復しているという感じです。


 ハローキティ和歌山号が停車する駅にはホームに専用の乗車目標が設置されていました。9月から12月までの期間限定ながら専用のものが用意されるとはかなりの積極的ですね・・・。あと、キティちゃんがJR西日本の制服を着ていますね・・・。




 DQCB2系では各車に2台ずつLCD表示が付いており、パワーフロー情報が表示されていました。一番上が停車状態で、エンジンと発電機は停止状態でバッテリーからインバータへ電気を送っている状態です。真中が力行状態で、エンジンを動かして発生した電気をバッテリーとともにインバータへ送っている状態です。ただ、エンジンが動くのはバッテリーが少ない状態の時のみです。停車状態と力行状態で電力の消費量に差があり、もちろん力行状態が一番浪費します。下が減速状態の時です。モーターから発電した電気を回生装置でバッテリーへ充電しています。そのため、真ん中の力行状態の時よりバッテリーの残量が増えている事がわかります。
 つまり、Smart BESTは基本的にバッテリーの電気で動き、足りない時はエンジンで補うという感じになっている事がわかります。


 串本に到着したハローキティ和歌山号です。そのまますぐに折り返します。

 Smart BESTは充電型バッテリー電車ですが、基本的にバッテリーのみで動くので、環境によく、更に電車とほぼ変わらない性能なので、今後の普及に期待したいところです。乗り心地もそんなに悪くなかったし・・・。
 以上です。
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