来る3月14日に北陸新幹線開業に伴うダイヤ改正で、特急「はくたか」や特急「北越」などの多数の列車が消えてしまいますが、これと同時に
475系
が運行終了してしまいます。475系は1962年に北陸本線の急行列車に初投入されて以来、急行や準急そして普通列車に充当されてきましたが、ここにきてついに終焉を迎える事になりました。普通列車としては米原・近江今津~直江津間で活躍してきましたが、最晩年は朝夕のみ金沢~直江津間で活躍する程度になっていました。金沢の475系は471系やサハ455形などが遅くまで残るなど形式のバラエティに富んでいましたが、逆に改造車が東北や九州より比較的少なく、多くをオリジナル車で固めていた事もポイントでした。
そんな475系たちを見てみましょう。
こちらは
クモハ471形+モハ470形
です。1962年に登場した形式で、直流+交流60Hzの交直流電車でしたが、471系は多くが413系に改造されたため、比較的早い段階で姿を消していたのですが、3ユニットが413系への改造から免れ、主電動機をMT46形から473系と同じMT54形に交換した上で2010年ごろまで活躍を続けていました。とはいえ、抑速ブレーキが無いぐらいで実質的に475・457系と同一性能でしたが・・・。写真はクモハ471-2、モハ470-1です。
こちらは471系のTc車の
クハ451形
です。2両が遅くまで残っていました。写真はクハ451-33です。
471系のグループは6両編成の増結車に組み込まれたり、増結車との連結要員となったりするなど運用範囲は475系と比べて比較的狭かったですね・・・。
こちらは金沢の475系で主力的な存在である
クモハ475形
です。編成の大部分の制御電動車はこのクモハ475形が連結されていました。これは473系に抑速ブレーキを装備したものとなります。大多数がいるクモハ475形でも冷房機器の違いや車内改造の違いなどがありました。
写真は上からクモハ475-17、クモハ475-45です。
こちらは3電源対応の
457系
です。457系は直流+交流50Hz+交流60Hzに対応したもので、各地に投入されました。金沢では4ユニットが在籍していました。とはいえ、475系と比べて少数派なだけになかなか見つからなかったような気がします・・・。
こちらは475系のTc車である
クハ455形
です。475系と457系の制御車として連結していたため、多くの車両が在籍していました。クハ455形は急行用から近郊型への格下げに当たって他形式から改造や先頭車化改造車が多数発生していたのですが、改造車は多くが仙台地区と九州地区に投入され、金沢地区ではオリジナルの基本番台が多数を占めている事がポイントです。写真は上からクハ455-43、クハ455-63です。クハ455-63は冷房準備工事車として落成し、冷房化改造を行ったためAU12S形の冷房器を搭載している事がポイントです。
基本番台が多かったクハ455形ですが、数少ないながら改造車もいました。上はクハ165形から改造されたクハ455-302です。300番台は165系からの改造車ですが、多くが仙台地区と九州地区に投入され、金沢地区に配置されたのは302の1両のみでした。改造車は400・500・600番台がいますが、金沢には1両も投入していません。そんな貴重な300番台ですが、2010年に廃車されてしまいました。下はサハ455形から改造されたクハ455-701です。413毛糸の連結を目的に行われたもので、デッキなしや側面行先表示器を装備など他のクハ455形と異なる面が多数あります。
こちらは
サハ455形
です。金沢には4両がいていずれもクモハ+モハユニットと3両を組み増結車として活躍していました。サハ455形は仙台にもいましたが、早い段階で姿を消していたため、貴重なサハとして活躍していましたが、2010年に全廃となってしまいました。
2010年に3両編成×8本を6両編成×4本に組み替えた時に中間に入る先頭車について型式変更が行われ、モハ457・471・475形とサハ451・455形が誕生しました。しかし、実際は運転台の撤去などは行われておらず、ATSもそのままな状態だったようです。しかし、1年後の2011年に全て廃車されてしまいました。因みにパンタなしのM車は意外と今回が初めての登場となりました。写真は上からモハ471-2、サハ451-30です。
475系の国鉄色編成です。2005年に富山港線のLRT化を記念してA16編成とA19編成が国鉄色に戻された事がきっかけにこれまでにA13・16・19編成の3編成が国鉄色となりました。ただ、A16編成が2010年に廃車され、しばらくはA19編成のみの状態が続いていましたが、2013年の北陸本線100周年を記念して更にA13編成が国鉄色に戻され、再び2編成となりました。しかし、A13編成が2014年に廃車され、2005年からずーっと国鉄色をまとっているA19編成が最後の日を迎える事になりそうですね・・・。
写真は上から
A16編成(クモハ475-43+モハ474-43+クハ455-18)
A19編成(クモハ475-46+モハ474-46+クハ455-60)
A13編成(クモハ457-19+モハ456-19+クハ455-61)
です。
475系は3両編成単位が基本ですが、朝夕ラッシュなどには3両編成を2本つなげた6両編成で運用されていました。とはいえ、全編成が共通で運用されているので、北陸色、ご当地カラー、国鉄色同士の組み合わせも見る事が出来ました。急行列車が残っていた頃と比べると華やかさはないものの、475系の長編成は見ごたえがありますね~
次に475系の足跡です。
こちらは
米原
です。475系にとっての最南端は米原でした。でも、基本的に長浜及び近江今津以北で運用されていたため、米原にやってくるのは朝夕のみでした。とはいえ、敦賀以南は敦賀以北より比較的乗客が少なかったこともあり、419系が主力で、475系の列車は少数しか無かったようです。しかし、2006年の敦賀直流電化によって敦賀以南は223系または521系に置き換わったため、撤退してしまいました。
こちらは
福井
です。敦賀以北は475系にとって主舞台のような感じで、多数の475系が福井を行き交っていました。もちろん6両編成もサハ455形付きの増結車も福井を通っていました。しかし、521系の増備によって2011年に金沢~敦賀から撤退してしまいました。よって、福井県に姿を見せる事が無くなってしまいました。
こちらは
糸魚川
です。糸魚川で出発を待つ直江津行き列車です。475系にとっての最東端が直江津でした。元々糸魚川~直江津間は乗客が比較的少なかったため、敦賀以南と同じく419系が主力でしたが、419系の廃車が進むにつれて475系が充当される機会が増えていました。しかし、521系の投入により413系もこの区間に押し寄せてきて、2014年に糸魚川~直江津間から撤退してしまいました。しかし、定期運用が無くなった後も413系の長期入場に伴う車両不足を補うために413系の運用を代走する形で再び直江津へ乗り入れた時期もありました。現時点での最東端は糸魚川ですが、糸魚川にやってくるのは1日1往復のみです。
こちらは
岩瀬浜
です。今は富山ライトレールとなった富山港線ですが、富山港線も475系の活躍舞台でした。旧型国電を置き換えるために475系が入線し、主力として活躍していましたが、2006年のLRT化に伴う廃線によって富山港線から撤退してしまいました。晩年はデータイムの列車がキハ120系化され、475系は朝夕のみの運行でした。
475系の足跡はこれ以上です。
2015年に撮影したA19編成です。最晩年は金沢~糸魚川間で朝夕ラッシュを中心に運用されていました。かっては主力として終日活躍していたのですが、気づけば521系の投入によってあっという間に少なくなってしまった感じですね・・・。
475系の車内です。元急行形らしくボックスシートが並んでおり、しかもそのボックスシートもやや大きめなのでボックスシートに座ってのんびりと大きな窓から車窓を眺める事が醍醐味でした。しかし、これももうじきお見納めですね・・・。更にボックスシートのテーブルには栓抜きが残っており、昭和時代の面影を残していました。
消えるのは475系だけではありません。
413系
も半数以上が姿を消してしまいます。413系は5編成が第3セクターのあいの風とやま鉄道へ譲渡される予定ですが、クハ455形700番台を連結した編成を含む6編成は運用を離脱してしまいます。
北陸新幹線の開業に伴い、急行形電車の475系が運用を離脱してしまいますが、これによって急行形電車がJR線上から全て消してしまう事になります。北陸に行くたびに何度も乗車した475系ですが、ボックスシートが並んだ車内でのんびりと過ごす事はもう出来なくなってしまうんですね・・・。
以上です。
475系
が運行終了してしまいます。475系は1962年に北陸本線の急行列車に初投入されて以来、急行や準急そして普通列車に充当されてきましたが、ここにきてついに終焉を迎える事になりました。普通列車としては米原・近江今津~直江津間で活躍してきましたが、最晩年は朝夕のみ金沢~直江津間で活躍する程度になっていました。金沢の475系は471系やサハ455形などが遅くまで残るなど形式のバラエティに富んでいましたが、逆に改造車が東北や九州より比較的少なく、多くをオリジナル車で固めていた事もポイントでした。
そんな475系たちを見てみましょう。
こちらは
クモハ471形+モハ470形
です。1962年に登場した形式で、直流+交流60Hzの交直流電車でしたが、471系は多くが413系に改造されたため、比較的早い段階で姿を消していたのですが、3ユニットが413系への改造から免れ、主電動機をMT46形から473系と同じMT54形に交換した上で2010年ごろまで活躍を続けていました。とはいえ、抑速ブレーキが無いぐらいで実質的に475・457系と同一性能でしたが・・・。写真はクモハ471-2、モハ470-1です。
こちらは471系のTc車の
クハ451形
です。2両が遅くまで残っていました。写真はクハ451-33です。
471系のグループは6両編成の増結車に組み込まれたり、増結車との連結要員となったりするなど運用範囲は475系と比べて比較的狭かったですね・・・。
こちらは金沢の475系で主力的な存在である
クモハ475形
です。編成の大部分の制御電動車はこのクモハ475形が連結されていました。これは473系に抑速ブレーキを装備したものとなります。大多数がいるクモハ475形でも冷房機器の違いや車内改造の違いなどがありました。
写真は上からクモハ475-17、クモハ475-45です。
こちらは3電源対応の
457系
です。457系は直流+交流50Hz+交流60Hzに対応したもので、各地に投入されました。金沢では4ユニットが在籍していました。とはいえ、475系と比べて少数派なだけになかなか見つからなかったような気がします・・・。
こちらは475系のTc車である
クハ455形
です。475系と457系の制御車として連結していたため、多くの車両が在籍していました。クハ455形は急行用から近郊型への格下げに当たって他形式から改造や先頭車化改造車が多数発生していたのですが、改造車は多くが仙台地区と九州地区に投入され、金沢地区ではオリジナルの基本番台が多数を占めている事がポイントです。写真は上からクハ455-43、クハ455-63です。クハ455-63は冷房準備工事車として落成し、冷房化改造を行ったためAU12S形の冷房器を搭載している事がポイントです。
基本番台が多かったクハ455形ですが、数少ないながら改造車もいました。上はクハ165形から改造されたクハ455-302です。300番台は165系からの改造車ですが、多くが仙台地区と九州地区に投入され、金沢地区に配置されたのは302の1両のみでした。改造車は400・500・600番台がいますが、金沢には1両も投入していません。そんな貴重な300番台ですが、2010年に廃車されてしまいました。下はサハ455形から改造されたクハ455-701です。413毛糸の連結を目的に行われたもので、デッキなしや側面行先表示器を装備など他のクハ455形と異なる面が多数あります。
こちらは
サハ455形
です。金沢には4両がいていずれもクモハ+モハユニットと3両を組み増結車として活躍していました。サハ455形は仙台にもいましたが、早い段階で姿を消していたため、貴重なサハとして活躍していましたが、2010年に全廃となってしまいました。
2010年に3両編成×8本を6両編成×4本に組み替えた時に中間に入る先頭車について型式変更が行われ、モハ457・471・475形とサハ451・455形が誕生しました。しかし、実際は運転台の撤去などは行われておらず、ATSもそのままな状態だったようです。しかし、1年後の2011年に全て廃車されてしまいました。因みにパンタなしのM車は意外と今回が初めての登場となりました。写真は上からモハ471-2、サハ451-30です。
475系の国鉄色編成です。2005年に富山港線のLRT化を記念してA16編成とA19編成が国鉄色に戻された事がきっかけにこれまでにA13・16・19編成の3編成が国鉄色となりました。ただ、A16編成が2010年に廃車され、しばらくはA19編成のみの状態が続いていましたが、2013年の北陸本線100周年を記念して更にA13編成が国鉄色に戻され、再び2編成となりました。しかし、A13編成が2014年に廃車され、2005年からずーっと国鉄色をまとっているA19編成が最後の日を迎える事になりそうですね・・・。
写真は上から
A16編成(クモハ475-43+モハ474-43+クハ455-18)
A19編成(クモハ475-46+モハ474-46+クハ455-60)
A13編成(クモハ457-19+モハ456-19+クハ455-61)
です。
475系は3両編成単位が基本ですが、朝夕ラッシュなどには3両編成を2本つなげた6両編成で運用されていました。とはいえ、全編成が共通で運用されているので、北陸色、ご当地カラー、国鉄色同士の組み合わせも見る事が出来ました。急行列車が残っていた頃と比べると華やかさはないものの、475系の長編成は見ごたえがありますね~
次に475系の足跡です。
こちらは
米原
です。475系にとっての最南端は米原でした。でも、基本的に長浜及び近江今津以北で運用されていたため、米原にやってくるのは朝夕のみでした。とはいえ、敦賀以南は敦賀以北より比較的乗客が少なかったこともあり、419系が主力で、475系の列車は少数しか無かったようです。しかし、2006年の敦賀直流電化によって敦賀以南は223系または521系に置き換わったため、撤退してしまいました。
こちらは
福井
です。敦賀以北は475系にとって主舞台のような感じで、多数の475系が福井を行き交っていました。もちろん6両編成もサハ455形付きの増結車も福井を通っていました。しかし、521系の増備によって2011年に金沢~敦賀から撤退してしまいました。よって、福井県に姿を見せる事が無くなってしまいました。
こちらは
糸魚川
です。糸魚川で出発を待つ直江津行き列車です。475系にとっての最東端が直江津でした。元々糸魚川~直江津間は乗客が比較的少なかったため、敦賀以南と同じく419系が主力でしたが、419系の廃車が進むにつれて475系が充当される機会が増えていました。しかし、521系の投入により413系もこの区間に押し寄せてきて、2014年に糸魚川~直江津間から撤退してしまいました。しかし、定期運用が無くなった後も413系の長期入場に伴う車両不足を補うために413系の運用を代走する形で再び直江津へ乗り入れた時期もありました。現時点での最東端は糸魚川ですが、糸魚川にやってくるのは1日1往復のみです。
こちらは
岩瀬浜
です。今は富山ライトレールとなった富山港線ですが、富山港線も475系の活躍舞台でした。旧型国電を置き換えるために475系が入線し、主力として活躍していましたが、2006年のLRT化に伴う廃線によって富山港線から撤退してしまいました。晩年はデータイムの列車がキハ120系化され、475系は朝夕のみの運行でした。
475系の足跡はこれ以上です。
2015年に撮影したA19編成です。最晩年は金沢~糸魚川間で朝夕ラッシュを中心に運用されていました。かっては主力として終日活躍していたのですが、気づけば521系の投入によってあっという間に少なくなってしまった感じですね・・・。
475系の車内です。元急行形らしくボックスシートが並んでおり、しかもそのボックスシートもやや大きめなのでボックスシートに座ってのんびりと大きな窓から車窓を眺める事が醍醐味でした。しかし、これももうじきお見納めですね・・・。更にボックスシートのテーブルには栓抜きが残っており、昭和時代の面影を残していました。
消えるのは475系だけではありません。
413系
も半数以上が姿を消してしまいます。413系は5編成が第3セクターのあいの風とやま鉄道へ譲渡される予定ですが、クハ455形700番台を連結した編成を含む6編成は運用を離脱してしまいます。
北陸新幹線の開業に伴い、急行形電車の475系が運用を離脱してしまいますが、これによって急行形電車がJR線上から全て消してしまう事になります。北陸に行くたびに何度も乗車した475系ですが、ボックスシートが並んだ車内でのんびりと過ごす事はもう出来なくなってしまうんですね・・・。
以上です。